『奄美・沖縄エッセイ』069
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2013.04.24 ■
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◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
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     □◆□◆□▼ 三つの山 ▼□◆□◆□

ハイタイ、いつのまにか4月も末、もうすぐゴールデンウィークと
なります。一足先に夏を迎えた南の島々には、また多くの人たちが
訪れることでしょう。私も、南の島をぜひ訪れたいところですが、
予定がうまく合わず、すこし難しそうです。

さて、今月の初め、7日に、ひさしぶりに姫路を訪れました。一つ
のお祭を見ることが目的でした。新幹線で姫路の駅に着くと、北に
向かって10分ほど商店街を歩けば、アーケードが無くなるところで
、正面に姫路城が見えるのですが、今は大天守保存修理工事のため
、覆いがかかっていました。でも、今回の目的は姫路城ではありま
せん。その姫路城の鎮守の神社であるといわれる、総社という神社
に行くのがその目的でした。7日は、そこで20年に一度行われると
いう三つ山大祭の最終日でした。アーケードにも、そのことを知ら
せる幟や、ポスターがあちらこちらに見られました。

三ツ山大祭というのは、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)
、別名総社と言われるその神社の神門前に、高さ18m直径10mの置き
山を三つ造り、その最上部に山上殿を設け、それを依り代として神
の降臨を仰ぐものです。三つの山というのは、5色の布を巻いた五
色山、同様の二色山、そして、小袖を飾った小袖山です。そのさい
神門上にも、神門の上に設けた門上殿へ射楯神と兵主神を移し、置
山に天神地祇を招きます。新聞紙の一面に偶然見つけたこのお祭の
記事を見て、この三つの山をぜひ見てみたいと思ったのでした。

なにせ20年に一度のお祭の最終日ですから、多くの人が訪れていて
、姫路城正面の広場にも、多くのテントが建てられていました。い
まも、神を迎えての盛大な祭は続いているのです。記事を見て衝動
的に、ほぼ予備知識無しに訪れたのですが、アーケードを抜けると
、人々が歩いてく方向、右手の建物の上に、そのカラフルな山の一
部が見えました。そこから歩いて5分ほど、道路を隔てて、総社の
西側の門がありました。そこから入って少し歩くと、右手の神門前
に大きな山が現れました。初めて目にするそれは、写真などで見る
イメージよりも、かなり大きなものでした。

なぜ、このお祭、この三つの山を見に行ったかといいますと、ここ
ろのところ数年、人の世界観に関心があり、その三つの置山は、世
界の中心としてこの世に出現したのではないかと考えたからです。
上に書きましたように、全国の天神地祇を招くということから、神
の降臨したその山は、まさに世界の中心でした。とても五色、ある
いは、二色、そして数多くの小袖でカラフルに飾られている三つの
巨大な山は、まさに世界の中心でした。演劇研究の群司正勝は、こ
の三つ山について「この置き山をして成立せしめる要因は、その風
流化、つまり活性化にほかならない」(『風流の図像誌』p48)と
述べています。風流(ふりゅう)とは、主に日本の中世以降におい
て、神の標を飾り立てることをいいます。

さて、ここまで書いて、三つ山祭が、どのうように「奄美・沖縄」
に関係があるのか、いぶかる方も居るかも知れません。しかし、琉
球の歴史を知っている方なら、ここで、あるいは「三つの山」とい
うタイトルで、ピンときたかも知れません。琉球が統一される以前
の時代を「三山時代」と呼びます。これは、今帰仁城を中心とした
北山、大里城を中心とした南山、そして、首里を中心とした中山の
三つに国が分かれていたからです。しかし、沖縄本島のそれぞれの
地域を「山」と呼ぶ理由については、ほとんど考えられてきません
でした。単にその地域に山があるからか。しかし、山原を含む北山
はともかく、中山、南山については、それほど山らしい山はありま
せん。このことについて、興味深い考えを群司は述べており、以下
そのまま引きます。

沖縄には「中山(ちゅうざん)という語がある。ここはもっとも神
聖な地域であり、威力の存在する処で、いわば神と交流するもっと
も直接的な接点つまり首里地区をさすが、一方権威としての中央を
意味する場所を指したので、中山などという山はないというべきで
ある。清の冊封副使の、琉球の見聞記を『中山伝信録』というが、
中山はその国府を指したのである。中国皇帝は琉球の国王に対して
、琉球国中山王に任ずという詔勅を封じて渡来したのが冊封使であ
る。琉球は十四世紀に、中山、南山、北山の三山を統一したのが、
中山王尚巴志で、三山とは、一つの世界統一を表示したことになる
。(『風流の図像誌』pp17-18)

たしかに、14世紀に三山が争ったと琉球の歴史書には記されていま
すし、中国の歴史書にも、それぞれの王が朝貢したことが記録され
ています。だから、これがフィクションだということではもちろん
ないのです。しかし、群司が述べるように、これらの地域を「山」
と呼ぶのは、そこに「山」が存在するからではなく、それぞれが一
つの完結した世界、言い換えれば、宇宙をなしていたことの現れで
はないでしょうか。おそらく、三というのは、これだけで宇宙全体
を表す数だと思います。だから、これら三つを統一したという尚巴
志は、世界を、宇宙を統一した王ということになります。

実は、総社には、三つ山大祭とともに、もう一つ、60年に一度の一
つ山大祭というのがあります。そのときは、三つ山のうちの五色山
だけが出現します。20年に一度から、60年に一度へ、三つ山から一
つ山へ、ここには、前者よりも後者の方がより神々を集約している
という認識があります。これと、琉球の歴史を重ねると、三山から
一山、つまり中山へ集約していくという過程は、歴史記述上での宇
宙観、世界観の表れだということになります。その帰結には、群司
が述べるように、中山、つまり首里地区が、もっとも神に近く、権
威が集中する地域だという認識があると思われます。その神聖さを
一手に引き受けるのが、そこに君臨する王だということになります
。
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           ■◇■ あとがき ■◇■

さて、ほとんどマスコミには縁の無い私ですが、先日、「JIDAI MA
P MEETING」という番組の収録のため、エフエム京都、α-STATION
に行ってきました。DJは、ゴルゴ松本さんと、時代MAP編集長の松
岡満氏、琉球の歴史と、私の専門である琉球の宮廷歌謡の『おもろ
さうし』について、話してきました。ちょっと緊張しましたが、楽
しい収録でした。放送(2回目)は、26日(金)の、20:00〜21:00
、の予定です。関西地区の方は、インターネットRadikoで聴くこと
ができます。私の研究対象である、琉球の宮廷歌謡集『おもろさう
し』について話しています。貴重な音源も少しですが流しますので
、もしよろしければお聞き下されば幸いです。
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