『奄美・沖縄エッセイ』068
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2013.01.12 ■
■■◇■
◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
■■
■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0068 ■
===========================================================
+++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++
===========================================================
■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■
■□■満月と新月の夜に配信します/本日旧暦1201新月●■□■
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
     □◆□◆□▼ 本棚の宇宙 ▼□◆□◆□

ハイタイ、新年を迎えました。私の知人でもあり、「沖縄の死神博士
」の異名を持つ怪談ライター、小原猛さんは、沖縄の正月、三社めぐ
りの様子をFacebookに投稿していました。これを見た私は、沖縄では
まだ旧暦の感覚が生きているのに、やはり初詣に行くのでしょうかと
質問をしたところ、初詣はなんとなく流行に乗るといった感覚で行う
のではないかと答えてくれました。そもそも神社神道が根付いていな
い沖縄で、神社への初詣はレジャー感覚なのです。

さて、今回は、一つのエッセイを紹介させていただこうと思って、キ
ーポードに向かいました。それは、よく知られたノンフィクションラ
イター佐野眞一氏が、ちくま書房のPR誌『ちくま』2013年1月号に書
いた「テレビ幻魔館53」という文章です。サブタイトルに「沖縄に?
亡命?したい」とあり、前半は、今回の衆議院選について、橋本徹氏
を中心に評論しているのですが、前半の内容を「本当ならこんな救い
のない国はいますぐ亡命したいところだが、そういうわけにもいかな
い。こういう時は正気を取り戻すためまだ正論が通る沖縄に行くに限
る」として、後半を書き始めています。

そこでは、このエッセイにも何回か登場した、沖縄宜野湾市の古書店
BOOKSじのんを、氏が沖縄に行くとかならず通う店として取り上げて
います。じのんの本棚には、沖縄に関わるさまざまな本、たとえば、
近代の琉球処分について書いた本から、南沙織の美少女時代の写真集
まであり、それらが「呼応し合って、沖縄という宇宙を構成している
」のだといいます。さらに「こんな魅力的な古本屋は日本中探しても
ない。いくら日本中の古本が集まっている神田でも、各分野の専門店
が集まっているだけで、一軒の店の棚が日本という宇宙を構成してい
るわけではない」とも書きます。

そして、店長の天久氏のことについても書いています。このメルマガ
の古い読者の方はすでにご存じだと思いますが、天久氏は私の古い友
人でもあります。佐野氏は彼について次のように言うっています。「
私にとって天久氏は、沖縄という世界を統べる知的司祭のような存在
である。」その天久氏の書物にたいする知見を、書物検索のamazonを
絨毯爆撃で地上を焼き尽くすB29だとしたうえで、これに対し、百発
百中で敵機を撃墜するゼロ戦に天久氏を喩えてもいます。さらに、佐
野氏の沖縄に関する名著「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史
』は、じのんの雰囲気に刺激され、「沖縄の森羅万象を一冊にまとめ
られない」かと書いたとも。

もちろん、ここには誇張も含まれるかも知れない。しかし、この文章
を読みながら、考えたことがあります。沖縄は本土復帰して40年を経
て、日本化、グローバル化の波に飲み込まれています。それは、私が
沖縄に出会ってからの35年の時間だけでも、そのスピードは速まって
いるように見えます。沖縄の島々にまさに小宇宙のように残っていた
共同体とそれに支えられた民俗などは、もうほとんど消えようとして
います。それでも、佐野氏は「王国とは宇宙である」という視点から
、かつて琉球王国であった沖縄の細部にはこの宇宙が宿っているとも
述べています。たとえば、最初に取り上げた旧正月の事例などを見て
も頷けるところはあります。

しかし、一方で、沖縄は日本化していることは間違い無いことです。
そのような中で、沖縄(琉球)という宇宙を感じさせるところはどこ
かと思い浮かべると、私などもやはり書店を思い描いてしまうのです
。これは、佐野氏も書いているのですが、学会などで訪れる日本列島
の他の地方の書店にも、郷土コーナーのようなものはときおり見かけ
るのですが、たしかにそれは「宇宙」をなすほどの特色を持ち得ない
ことが多いように思えます。しかし、BOOKSじのんほどではないにし
ろ、沖縄の新刊書店にもほぼそのような類のコーナーがあり、地方史
に至るまでの書籍が並べられています。沖縄一の新刊書店もジュンク
堂那覇店には、大きな沖縄関係コーナーがあります。それも、間違い
無く一つの宇宙です。

しかし、古書店の本棚、じのんの本棚は、それをも包み込んだ、さら
に大きな宇宙です。それは当然ながら、すでに品切れになった古書を
含むからでもあります。天久氏は、私との会話でその点をいつも強調
しています。だから、すでに見ることができなくなった小さなシマの
風習の内容を確認しようと思ったら、そこに行けばあるのです。もし
、在庫が無くても、ゼロ戦たる店長がピンポイントで探し出してきて
くれます。さらに言えば、南沙織の写真集などは、やはり宇宙をたた
える沖縄の他の古書店には、おそらく見かけないものです。つまり、
佐野氏に執筆をうながしたじのんの本棚宇宙は、じつは店長天久氏の
頭の中の宇宙でもあるのです。そこには、東南アジアの本もあります
。これも、天久氏が沖縄との関係で並べているものです。

このところ、ちはや書房、ウララ、言事堂といった、古書店のニュー
カマーが、沖縄で注目されていますが、その棚を見ても、経営者の頭
の中にある一つの宇宙が感じられます。よく、他人に本棚を見られる
ことは恥ずかしいという人がいます。それは、本棚の背表紙、本の内
容がその人の頭の中を、心を現しているからでしょう。かつて、沖縄
を覆っていた琉球という宇宙は、最後のよりどころとして、古書店の
頭脳に残っているとも言えるのかも知れません。しかし、よく考える
と、文化においては、人々の頭の中を離れた「宇宙」というものは、
存在しないとも言えます。沖縄の人々なくしては(古書店の経営者は
沖縄の人とは限りませんが)、沖縄という宇宙は存在しないとも言え
ます。
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
           ■◇■ あとがき ■◇■

沖縄の日本化、グローバル化という話題を取り上げましたが、一方で
、佐野氏が現在取材中である沖縄戦の問題もそうですが、その後の米
軍基地残存という、日本という国が沖縄にだけ押しつけている負の側
面があることも忘れてはなりません。皮肉なことに、それが現在に至
っては、沖縄という地域のローカリティーを担保する根拠となってい
るというようなことも起こります。不謹慎を承知で言えば、沖縄に行
けば、オスプレイを見られるよといった風に。今度の選挙の推移を、
京都で見ている限り、そのことはほとんどテーマとして取り上げられ
なかったようにも思えます。選挙結果を承けて、このことを持続して
注視していく必要を強く感じました。
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■
 □------◆ 電子メールマガジン:「奄美・沖縄エッセイ」
 □----◆ 発行人:末次 智 (すえつぐ さとし)
 □--◆ E-mail:suetsugu@kyoto-seika.ac.jp
 □◆ 配信の解除URL:http://www.eonet.ne.jp/~rekio/ 
■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ 


前ペ−ジに戻る

SuetsuguHOMEに戻る