『奄美・沖縄エッセイ』067
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2012.11.14 ■
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    □◆□◆□▼ アイヌと沖縄 ▼□◆□◆□

ハイタイ。なんとすでに11月も半ば、古都では、冬を感じるように
なました。

すでに2ヶ月前の、9月1日の沖縄タイムス文化欄に、島村幸一著『
おもろさうし』(笠間書院)という本の書評を、著者から依頼され
て書きました。この一冊は、同書店が出している「コレクション日
本歌人選」という60冊の一冊です。これらのタイトルには、古代の
柿本人麻呂から、現代の寺山修司まで、「日本」を代表する歌人た
ちが並んでいます。ただ、中には、個人ではなく、たとえば中世の
流行歌謡「今様」(今放送中の大河ドラマ「平清盛」ではこのうた
が重要な役割を演じていますね)や「辞世の歌」などの歌群を収録
するものもあります。そのなかでも、『おもろさうし』と『アイヌ
神謡集ユーカラ』(今年末刊行予定)は、「ネイティブの詩歌」と
して、特別のものとなっています。

一方では、おそらく、俳句や短歌をよむことは、一部の人々には盛
んになっているかとも思われるのに、現在の大型書店を見ると、日
本文学受容の衰退とともに、書棚が減少しています。しかし、この
アンソロジーのシリーズは、京都河原町にあるジュンク堂ではその
中でも平積みされており、これは出版社の営業と、また、これを紹
介したいという書店の意欲のたまものだと思います。とくに『おも
ろさうし』がそこにあるだけで、私などはなにがしかの感慨を抱き
ます。アイヌと沖縄、ユーカラとオモロ、日本列島の南北の人々が
歌い継いだうたの数々。私は、この二つが、日本のうたを代表する
アンソロジーに収められるのは、先人の努力の結果だと書いたので
すが、今夏の沖縄滞在中に、これに関する資料を見つけたので、今
回はこれについて書いてみようと思っています。

60年で最大級の台風が近づく前日、私は、那覇市にある沖縄県立図
書館の郷土資料室に隠っていました。目的は、ある出版社から復刻
再刊された雑誌を見るためでした。その雑誌の名前は、『沖縄教育
』といいます。近代沖縄の教師の団体である沖縄教育界が刊行して
いた雑誌で、当時の教員を中心とした沖縄の知識人たちの多くが、
論文や随筆などを書いています。それゆえに、近代沖縄を知る上で
不可欠の資料なのですが、沖縄戦を経たせいで、これをまとめて所
蔵している場所が無くなり、現代のいろいろな図書館に断片的にし
か所蔵されてしかいません。その知られる限りがまとめて復刻され
たので、これにま目を通していたのでした。

そのなかに、口絵が「アイヌの墨絵とアイヌ学会のよせ書」となっ
ている号(第146号、大正14年6月1日発行)を見つけました。その
絵には、柳田国男や中山太郎といったよく知られた人の名前も記さ
れています。日本の民俗学は、沖縄とともにアイヌ民族をも対象と
していたのです。囲炉裏の端に座るアイヌの男性そのものを画いた
のは、「※北斗生」とありますので、遺星北斗は早くにアイヌのウ
タリ(同胞)の自立を求めながら、昭和4年に28歳で無くなった、
天才的なアイヌの青年歌人です。彼が画いた絵に、「アイヌ学会」
の人々が寄せ書きしている、貴重な一枚です。沖縄の教育雑誌に。
これを見つけたとき、たいへん驚きました。

そして、この号の中には「ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲
びて」というタイトルの遺星北斗の文章も収められています。浅学
にして「中里徳太郎」という人物を知りませんが、この文章の最後
には「はしたなきアイヌなれどもたくひなき くにに生れし幸思ふ
かな」という北斗の歌も載せられています。北斗の文章は、アイヌ
の自立を求めて民族を鼓舞しており、たいへん過激な内容のもので
す。これ自体は、アイヌ研究の貴重な資料だと思うのですが、私が
感心を寄せるのは、これが沖縄の教育雑誌に収められているという
ことです。日本列島の北と南で生きている二つの民族がここで呼応
しているのです。

そして、その違星北斗のあとに、おそらくアイヌの人が刊行した書
物の中でもっともよく知られた、知里幸恵の『アイヌ神謡集』の「
序」がそのまま引用されているのです。この本は、大正11年の9月1
8日に脱稿されるのですが、その夜、知里幸恵は亡くなってしまい
ます。享年19歳。このエピソードはよく知られたものですが、書籍
自体は、翌年の8月10日に、柳田国男が編集した郷土研究社の炉辺
叢書の一冊として刊行されます。そして、その2年後、アイヌ民族
にアイデンティティーを呼びかけた名文として知られるその「序」
が、沖縄の教育雑誌に丸ごと載せられていたのです。これを見つけ
た時には、驚きました。

最近の朝日新聞で、「アイヌ民族と沖縄似通う遺伝的特徴」という
記事を見ました。両者に「縄文系DNA」が残っているというのです
。現代科学でも、そのように証明される両民族ですが、すでに大正
時代に、各民族の自立を求めて呼応していたのです。大正という時
代は、民族の自立を認めるそのような時代なのかも知れません。し
かし、それが昭和に入り、民族を巻き込みながら、大きなナショナ
リズムの波に、日本列島は巻き込まれていくことになります。民族
の自立から、ナショナリズムへ。沖縄研究の歴史を見直しながら、
ナショナリズムは決して民族の抑圧だけによって興ってきたのでは
ないことを知ったとき、ナショナリズムというものの恐ろしさを感
じたことがありますが、この両民族の呼応と、そこからナショナリ
ズムへと流れは、きちんと押さえておきたいと思いました。
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           ■◇■ あとがき ■◇■

さて、私事で恐縮ですが、先月末25日に、17年ぶりとなる書物をま
とめました。タイトルは『琉球宮廷歌謡論』、サブタイトルが「首
里城の時空から」というもので、東京の森話社という出版社から刊
行いたしました。実は、このメールマガジンをきっかけに知り合っ
た、若いすぐれた編集者の方と協力して、デザインも含め納得のい
く書物になったと思っております。本の詳細は、以下のHPにありま
す。
http://www.shinwasha.com/
もし、書店で見かけられたら、ぜひ、手にとっていただければ幸い
です。
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