『奄美・沖縄エッセイ』062
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2011.09.12 ■
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◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
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ハイタイ。昨年に比べれば少し涼しいかと思える今夏でしたが、やは
り暑い日はその暑さが尋常ではなく、冷房嫌いの私でさえ、クーラー
のスイッチを入れようかと思う日が続きました。天気予報の温度予報
を見ていても、京都よりも奄美や沖縄の方が過ごしやすそうでした。

さて、今年の夏の中頃、所用で島根県出雲市を訪れました。そのさい
、かねてから関心があった出雲大社を訪れました。大社を訪れるのは
これが2度目で、以前はあまり時間が無く、立ち寄るだけで、じっく
りとは見ることができませんでした。しかし、今回は、滞在中2度も
訪れることができ、いろいろと見て感じることができました。現地に
立ち、感じ考えたことを少し書いてみたいと思います。

今回再認識したのは、大社本殿が建つ空間についてでした。1つは、
背後が山であること。出雲大社の地図上の位置からなんとなくイメー
ジしていたのは、社殿の背後は北であり、つまり日本海を背後にして
いるのではないかと1度訪れたにもかかわらずなんとなく思っていた
のですが、そうではなく、すぐの背後は山でした。出雲平野は、南北
を山地で挟まれています。その北辺に大社はあり、背後の山並みを越
えた向こうに日本海があるのでした。海からの風にのって山を越えて
くる水蒸気が雲として立ち上がる、出雲の枕詞である「八雲立つ」と
は、そのような地形的によるものでしょうか(語源にはいろいろな説
があります)。

しかし、一方で、出雲大社は海に近い社でもありました。大社を正面
に見ながら左手に、つまり西に向かって歩くと、15分ほどで稲佐の浜
に出ます。『古事記』や『日本書紀』には、国譲り神話の舞台の一つ
として登場する由緒ある浜です。大社本殿から浜までの近さはこれも
思いがけないほどでした。旧暦10月10日には、ここで「神迎祭」が行
われます。全国が「神無月」という神の不在の期間にある間、その神
々はこの地域に集まり、この地域のいくつかの神社が「神在月」と呼
ばれることになります。そして、全国の神々がこの浜に集うと考えら
れています。全国といっても、もちろん沖縄や奄美の神々は含まれま
せん。

出雲大社の神主であり、第82代(!!)の出雲国造(こくぞう)千家
尊統氏は、次のように述べています。「この竜蛇さまが大社の西、稲
佐の浜の海浜に寄ってくるということは、大社神殿の神座が西方稲佐
の浜の方向に向いているとうことと、おそらく無関係ではないであろ
う。それというのも、もともと大国主神は、海の彼方常世の国から憑
りきたれる霊威であったのではないだろうか。」(『出雲大社』学生
社)この時期、稲佐の浜に打ち上げられる海蛇を「竜蛇」と呼ぶのだ
といいます。「常世の国からの霊威」ということでは、沖縄・奄美の
ニライカナイの信仰を思い浮かべます。つまり、出雲大社は海を背景
にした聖地であったということになります。

本来地元に伝わった海彼への信仰が、出雲大社とともに古代大和国家
の祭祀体制へと組み込まれる過程で「神在月」という発想は生まれた
のでしょう。そして、その国家への組み込み以前は、海に寄り添う地
域にはよく見られる海彼への信仰の地であったのでしょう。しかし、
それは自然発生的な集落であるムラのそれではありません。杵築の宮
とも呼ばれた出雲大社には、ムラを超えた宗教的な権威が成立してい
ました。国造はいわば「祭祀王」と呼べる存在です。大社の宝物館に
は、国造家に代々伝わる「火燧臼(ひきりうす)」と「火燧杵(ひき
りきね)」が展示されています。当代国造が亡くなると、すぐさま継
承者が出雲の松江市にある熊野大社におもむき、その引き継ぎを行い
ます。千氏によれば、「火継ぎ」は「日継ぎ」であるといいます。宗
教的な権威の継承です。

古代出雲の問題は、日本列島の古代史をめぐる重要なテーマです。そ
の研究だけでも膨大なもので、ここではそれに簡単に立ち入ることな
どできません。考えてみたかったのは、ムラと(古代)国家の間の存
在、いわばクニというような共同体のことです。これを、ムラ → 
クニ → 国家と整理してみたとき、琉球国はどの位相かということ
です。むろん、ムラ(シマ)ではありませんが、クニと国家、このど
ちらに相当するかということです。琉球国の正史には、沖縄本島は三
つに分かれていて争ったと記されています。そして、その三つにはそ
れぞれ今帰仁城、浦添城、南山城という宗教的な権威が成立していた
とも考えられます。これを統一したのが中山だとすれば、琉球国は国
家の位相にあると言えます。

しかし、一方で、その宗教的な在りようをみていると、たとえば神話
を見ると、そこには、本州の古代国家に見られるような、宗教的な再
編といった様相を見ることが出来ないようにも思われます。神話的に
は、『古事記』や『日本書紀』などよりも、『出雲風土記』に記され
る神話に近い様相を示しているようにも思えます。また、出雲国造の
火継ぎ神事に見られる宗教的な権威の継承はどうなっているのか。じ
つは、このことについて、重要なことでありながら、よく分かってい
ません。これも、琉球国を考えるうえで、たいへん重要なテーマだと
思われますが、このことについて再度考えてみたいと、出雲の地で思
っていました。
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           ■◇■ あとがき ■◇■

3ヶ月も前ですが、前号のマガジンで取り上げた歌手のUAが、偶然買
い求めた『BRUTUS』9月21号特集「たとえば、いま、あなたが都会を
離れて島で暮らすとしたら。」に、対談を載せています。相手は沖縄
本島山原で自給自足の自然農法を試みる森岡尚子さん。UAは、先輩で
ある森岡さんに学びながら「やんばるには、いるだけで浄化作用みた
いなものもあるよね。」と言い、さらに「私は、尚子ちゃんを見習っ
て、お腹にいる3人目の子どもを自宅で自力で産んでみたい。宇宙と
の一体感というか、また何か新しいこと気付けそうで、自分が広がる
んじゃないかと楽しみです。」と言っています。
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