『奄美・沖縄エッセイ』061
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2011.06.02 ■
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◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
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  □◆□◆□▼ もう一つの復興支援 ▼□◆□◆□

ハイサイ。これを書いている今、台風2号が琉球列島をなめるように
北上しています。最近の台風は、その襲来に慣れている南の島々、人
々をあざ笑うかのように素通りしたり、そうかと思えば、予想をこえ
る激しさだったりと、地球的な気候変動を感じさせます。今回の2号
もたいへんに強い勢力を保っています。京都では、台風がもたらす南
からの風で梅雨の前線が刺激され、強い雨が断続的に降っています。

さて、もうかなり時間が経ってしまいましたが、4月の中頃の17日、
18日と、奄美大島本島で、小さな復興ライヴが行われました。東北大
震災の強烈な印象で、地元を除いてほとんど忘れ去られたかのような
感がしますが、昨年の10月20日奄美大島本島を記録的な豪雨が襲いま
した。台風のもたらす豪雨に慣れている島の人も体験したことの無い
ような、凄まじい雨だったと地元の友人、安田ひろぞう君は語ってく
れました。

当時、ニュースでそのことを知った私は、すぐにひろぞう君に電話で
連絡すると、とりあえずは大丈夫だが、私も家族や学生と何度か訪れ
たマングローブパークのある住用村と連絡が途絶えているとのこと。
あるいは、名瀬市街を流れる屋仁川が今にも溢れそうであること、ひ
ろぞう君の自宅の裏庭が崩れるかも知れないことなどを教えてくれま
した。結果として、死者3人と、本島の集落、シマをつなぐ幹線道路
が崖崩れで寸断され、孤立しました。死者が3人ですんだのは(数の
問題ではもちろんありませんか)、シマの人々の横の関係が、ゆいま
ーるが生きていたからだとも聞いています。

豪雨は、このように本島に大きな被害を残し、島はいまだ復興の最中
なのです。これを支援しようと開かれたのが、「20101020がんばって
ますAMAMI」と名付けられた奄美豪雨災害復興チャリティLIVEです。
このイベントをほとんど一人で立ち上げたのが、前述の安田ひろぞう
君でした。このようなことを偉そうに報告しながら、残念ながら私は
このライヴに参加することができませんでした。よって、以下の記述
は雑誌『音楽と人』2011年6月号(音楽と人)の記事(青木優文/岩
佐篤樹写真)と、その後京都で会ったひろぞう君からの聞き書きによ
ります。

このイベントに駆けつけたのは、本島の南に位置する加計呂麻島出身
の母を持つアーティスト、UA。そして、そのUAとAJICOというグルー
プでくんでいた浅井健一(ベンジー)がボーカル・ギターを勤める
Pontiacsでした。AJICOといえば、私は他の友人の影響で聞いたアル
バム『深緑』(2001)が印象的ですが、浅井はAJICO時代に奄美を訪
れたことがあり、他のメンバーの一人、照井もプライベートで訪れた
ことがあるといいます。そのさい、いずれもひろぞう君が地元で案内
したこともあり、今回もそのつながりで声を掛けたといいます。ひろ
ぞう君からのオファーについてUAは「誘ってくれて、うれしかったよ
。奄美のこと気になってたけど、何にもできなかったからな」と語っ
ています。

このイベントに本州からの参加を募れないだろうかと、ひろぞう君か
ら話を聞いたのは東北大震災の前でした。私は正直、自分も参加でき
ないなと申し訳なく思いながら、一方でやるべきではないかと無責任
なことを言った覚えがあります。でも、その後東北大震災が起こり、
奄美の豪雨は本州ではほとんど忘れられたようになりました。その中
で、奄美の復興ライヴはどうするのだろうと気になっていたのですが
、ひろぞう君によれば、東北大震災のチャリティも兼ねてやるとのこ
とでした。結果として、本州から集まったのは22人とのこと。2日間
で300人を集めたライヴの、本州からの参加は1割にもなりませんでし
た。それでも、奄美の人の復興への機運を盛り上げるには、また、奄
美から東北への気持ちを表すために多くの人が集まりました。

『音楽と人』の記事を読んでいると、UAの言葉がとても印象的です。
実は3人目のこどもを妊娠中であること、そして、東北大震災関東を
離れたことも記されています。沖縄本島やんばるの米軍ヘリパット建
設問題や、青森の六ヶ所村核燃料再処理工場の問題などでもリアクシ
ョンを起こしてきたUAは、その沖縄のやんばるに住んでいると、ひろ
ぞう君が教えてくれました。自らも自然破壊に荷担しているという認
識を持つUAですが、関東を出たのは健康のためと、「自分に出会いた
い」、「価値観をがらっと変えたい」からだといいます。そこには、
荷担する側ではない立場にどうして立つことができるのか、という問
いがあります。そのとき、お腹に子どもを宿していることは重要なの
ではないかと、私は思います。

2日目のライヴで大幅に歌詞を改変して歌われたという「悲しみジョ
ニー」では、「放射能まみれの空に/赤い鳥が笑う」と歌われ、さら
に「ゆるいメディアは今日も/馬鹿なウソを並べて/産まれ来る命は
錆びた雨に濡れる」と歌われたといいます。「産まれ来る命」の言葉
はもちろん出産を控えたUA自身のことであり、それはすべての命にも
通じる表現だとも思います。私は、原発のことを考えるとき「子ども
」という視点はとても大切だと思います。UAは、斎藤和義が「ずっと
ウソだった」をうたうYoutubeの映像を彼女の息子がとても気に入っ
て何度も聴いていて、それに触発されたとも言っています。これは、
UA自身が直接その映像を観るのと意味合いがすこし違うのではないか
と私は思います。UA自身はそういうことは言っていませんが、次の世
代を生きるのは子どもたちであるからであり、UAの子どもの反応はそ
ういう意味があるように思います。

奄美大島の大豪雨とともに東北大震災も自然災害でしたが、これに原
子力発電というヒトの欲望による事象が深く関わることの意味を、南
の島の小さなライヴハウスでの一つのイベントと、それを記した記事
が教えてくれたような気がします。ただ、冒頭で述べた台風の大型化
や奄美の大豪雨などの地球上の気候変動は、じつはこれもヒトの欲望
が深く関わっている可能性が高いということも忘れてはならないこと
ではあります。地球環境という自然に、ヒトは自ら(もちろん私自身
も含む)の欲望で大きな影響を与えてきてしまいました。原子力は、
それに決定的なインパクトを与え、これはヒトとして自然に包まれる
私たちに返ってこざるをえません。
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          ■◇■ あとがき ■◇■

このメールマガジンに何度か登場してもらっている安田ひろぞう君の
行動と、これについて記した『音楽と人』の記事に私も触発され、今
回の記事を書き始めたのでしたが、書いている内に、その問題の大き
さ、複雑さを再認識することになり、論点がはっきりしないままに時
間切れでキーボードから手を離すことになりました。UAが沖縄に移り
住んで視点を変えようとしたように、今回の大震災や原発の問題につ
いても、南の島から見えてくることがあるような気がするのですが、
うまく書ききれませんでした。申し訳ありません。
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