『奄美・沖縄エッセイ』053
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2009.12.01 ■
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◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
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ハイサイ。みなさん、お元気ですか。前回からまた3ヶ月も経ってし
まいました。以上、前回とまったく同じ文章です(^_^;)3ヶ月毎の配
信、季刊に決めたわけではないのですが。いつのまにか、秋を通り越
して、冬(前回は夏でした)です。古都では、暖冬で遅れ気味の紅葉
が今盛りです。私の職場は、京都市内北部の山に向かう電車沿線にあ
るので、連日紅葉見物の観光客の方々で満員の電車で通勤することに
なります。市内の木々も色付き、一部は落葉を始めました。

さて、4ヶ月も経ったのに、前号に引き続き、今回も8月に訪れた奄美
大島本島でのお話です。前回にも書きましたように、来年度の新しい
演習科目の立ち上げの準備の下見として訪れた奄美でした。そのつい
でに、同行の先生方がお帰りになったあと、ゼミの学生達と奄美でも
最も美しい海岸としても知られる土盛海岸のロッジ、翔(No17,18参
照)に泊まろうと予定していたのですが、沖縄本島の南を通過した余
波で、太平洋側は泳げるような波ではなく、飛行機も欠航になり、学
生は来れず、予約していた帰りの飛行機便を変更もできずにいた私は
、1人で名瀬の街に取り残されました。

でも、一人の奄美も、また、格別でした。カフェ好きの私は、ひろぞ
うさんに教えてもらった、マルイチビル2Fのcafe burroughs(カフ
ェ・バロウズ)で、時間をつぶしていました。店主の奥様の趣味だと
いう素敵な書籍に囲まれたその空間に、客は私一人で、あれこれと本
を取り出しては眺めていました。たとえば、京都市内ならそんなに珍
しくないのかも取れませんが、名瀬にこんな空間があることが嬉しく
て、できれば、来年に学生たちを連れてきたときも、まだ、存続して
いて欲しいと思いました。

そこで、あとからやってきたひろぞうさんと仕事の打ち合わせを済ま
せて、その夜の予定を相談しながら、私はかねてから行ってみたかっ
た、Livehouse ASIVIに連れていってもらうことにしました。来年学
生を引き受けて下さるあまみエフエム ディ!ウェイヴの麓憲吾さん
が立ち上げ、今年11周年を迎える奄美大島本島では知らぬ者の無いラ
イヴハウスの、ライヴが無い日の静かなカウンターで、これも、前号
のあとがきで触れました、しょうりきさんと合流し、奄美大島本島と
いう島の名瀬という小さなシマで生きていくことの楽しさと難しさが
交錯した、いろいろなお話を伺いました。

さて、本題はこれからです。そのあと、どこに行こうかという話にな
ったとき、ASIVIがある屋仁川通り(通称:やんご通り)を歩いてい
たときに、ひろぞうさんが私に言った言葉を思い出したのです。その
通りに、彼が今まで食べたなかで、一番美味しい沖縄そばを出す店が
あると言ったのです。奄美で美味しい沖縄そば!?これを聞いたときは
、実は半信半疑でした、が、ふとその沖縄そばを食べてみたくなった
のです。その店は、ASIVIの斜め向かいの建物の2階にあるラタン(
Rattan)という店でした。

たしかに、Googleに「名瀬 沖縄料理 ラタン」と打って検索すると
ひっかかってきます。そのHPには、「沖縄料理」や「沖縄そば」が美
味しいと、たしかにしょうかいされています。私のわがままを聞いて
くれたお二人とラタンに行くことに決め、階段を上って、店のドアを
開いた時です。中から、沖縄音楽が聞こえてきました。私は、その瞬
間、「あっ、沖縄だ」と思ったのです。これだけではあまりに舌足ら
ずなので、このときの感覚をもう少し理屈っぽく説明すると、次のよ
うになります。

奄美大島本島は琉球列島にあります。本州では、まず、沖縄本島を中
心とする沖縄のことは知っていても、奄美諸島のことは知らない人が
多いことは、前号にも書きました。そして、奄美の存在を知ったとし
ても、そこが沖縄とどのように違うのかを理解していません。何度か
奄美を訪れている私も、実はそうだったのだということを、その瞬間
に「実感」したのです。前号に記した来年度の演習科目で取り上げる
科目は、島唄、黒糖焼酎等、すべて奄美でなくては経験できないもの
ばかりです。沖縄と奄美の文化は違う。私は、とうぜんながら、その
ことを理解していたつもりでした。

だからこそ、今回の科目を計画したのです。しかし、ラタンの中に足
を一歩踏み入れたとたん聞こえてきた沖縄音楽は、まるで、京都市内
で沖縄料理の店に入ったときのような文化的なショックを私に与えて
くれました。そうなのです。奄美は、沖縄ではなかったのです。その
ことを瞬間的に理解しました。「奄美は沖縄じゃないの?」と、よく
聞かれます。奄美と沖縄とどこが違うのかよくわからない。これが、
本州の人々の一般的な認識でしょう。私も実はそういう本州人の一人
だったということになります。

歴史的には、奄美諸島はかつて琉球王国の支配下にありました。それ
は歴史的な事実です。しかし、今からちょうど400年前の1609年、薩
摩の島津家による侵略で、与論島以降の奄美諸島は島津家直轄地とな
ります。これは、沖縄本島以南が琉球王国として存続させられるのと
対照的です。つまり、奄美諸島は本州の文化圏に入ってすでに400年
経つのですから、そこが本州の影響を強く受けた独自の文化圏である
のはとうぜんなのです。これを頭では理解してはいた私ですが、その
ことを奄美で感じたのは初めてのような気がします。少し誇張気味に
言えば、ラタンのドアを開けたとたん、私はその400年の時を超えた
ことになります。

ラタンでは、沖縄音楽の中で初老(?)のママがつくってくれた、ゴ
ーヤーチャンプルーや、ほんとうに美味しい沖縄そばを食べたのは言
うまでもありません。沖縄では、街を歩いていても、どこからか沖縄
音楽が聞こえてきます。地元の人たちの言葉も、ウチナーヤマトグチ
であったりして、自然環境も含めて、空間が「沖縄」で満たされてい
ます。だから、そこで郷土料理の店に入っても、同一の空間として違
和感はありません。しかし、奄美大島本島ではそうではなかったので
す。奄美を満たしている文化は、まぎれもなく奄美のものでした。そ
して、そこにはおそらく私が生活する本州の環境に近いものも含まれ
ていると思います。奄美への私の親密感がそこに起因していることを
逆に感じさせてもくれた経験でした。
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           ■◇■ あとがき ■◇■

実は、前号にこの経験について書こうと思っていたのでしたが、科目
のことに話が移ってしまいました。でも私にとって、琉球弧の多様性
を「実感」する貴重な経験でしたので、ぜひ書き留めておきたかった
のです。少し長くなりましたが、ご容赦下さい。みなさんも、名瀬を
訪れることがありましたら、ぜひラタンを訪れてみて下さい。

また、前号のあとがきに書きましたひろぞうさんとしょうりきさんが
「中村瑞希・私設応援団」を結成しているという話は、あくまでも酒
の席でのお話だったということを、ここでお断りしておきます。この
ようにネットに書いてしまうと、誤解を抱く人が居る可能性があると
いう指摘を、ひろぞうさんから受けました。あくまで、個人的に応援
しているとのことです。

そして、中村瑞希さんについてですが、彼女の生声を私も初めて京都
で聞くことができました。ほんとうに素晴らしかった。磔磔というラ
イヴハウスを満たす彼女の歌声に、私は鳥肌が立ちました。民謡日本
一は伊達ではありませんでした。詳しくは、下記に報告しました。も
し、よろしければ、目を通して下されば幸いです。
http://ryukyu-kingdom.blogspot.com/2009/10/blog-post_19.html
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