『奄美・沖縄エッセイ』051
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2009.06.07 ■
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◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
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  □◆□◆□▼ 2人の先生の出会いと処女作 ▼□◆□◆□

ハイサイ。みなさん、お元気ですか。前回から3ヶ月も経ってしまい
ました。いつのまにか、初夏ですね。こうして暑くなると、私は奄美
や沖縄の島々が恋しくなります。今のところ、新型インフルエンザは
、南の島々には上陸していないようです。

さて、このマガジン前号あとがきに書きましたが、2月の終わりから3
月初めにかけて、沖縄を訪れてきました。そのさい立ち寄った沖縄県
公文書館で主に見たかった資料とは別に、ぜひ閲覧したい資料があり
ました。それは、ガリ版刷りの小さな一冊の冊子でした。これがある
ことは、オンライン検索で早くから知ってはいたのですが、なかなか
公文書館を訪れることができなくて、内容を確認することが延び延び
になっていました。

冊子の名称は『構想』といいます。その4号(1963年12月25日刊)が
、公文書館に収められているのです。この冊子をかなり前から読んで
みたいと思い続けてきました。これを私に教えてくれたのは、関根賢
司という方です。先年、静岡大学を定年で辞めましたが、私が琉球大
学の旧文学科国文学専攻に在籍していたときはそこに勤務しており、
5(!)年間、私の学年担当をした先生でもあります。学部卒業後も
公私ともにお世話になりました。たとえば、このマガジンNo43でも取
り上げた藤井貞和氏の『甦る詩学』編集の仕事にも一緒に携わりまし
た。

その関根氏が國學院大学の学部時代、同校と早稲田大学の文学部日本
文学専攻を研究する友人たちと執筆していたのが、「構想」の会同人
が刊行した『構想』だったのです。氏の物語研究、そしてとくに沖縄
に関するお仕事に影響を受けた私は、この雑誌を読んでみたいと思っ
ていました。なぜなら、文章の世界で、処女作は、書き手の後の表現
のすべてを内包していると言われ、私もそう思っているからです。だ
から、ある人の仕事から影響を受けると、その書き手の若書きの仕事
を探して私は読みます。しかし、この雑誌については、学生のガリ刷
版刷りの冊子であり入手が困難で、ご本人も手元にはすでに無いとい
うことで、読むことを得ませんでした。

そのような雑誌がなぜ沖縄県公文書という場所に収蔵されたかといい
ますと、沖縄関係資料の収集で知られた、岸秋正という方のコレクシ
ョンの一つであったからです。生前に一度だけお会いしたこともある
岸氏のコレクションの方法は、雑誌ならとにかく沖縄関係の文章が一
つでも含まれると、その雑誌をコピーしてでも収集するというもので
、日本を代表するコレクションでした。これが同館に一括して寄贈さ
れたのです。では、「日本文学」専攻の学生が出す雑誌がなぜ岸氏の
目に留まったかといいますと、そこに、沖縄に関する文章が含まれて
いたからです。その文章の書き手は、池宮正治という方です。琉球大
学を定年後は国立劇場おきなわの常任理事をしていて、これも昨年辞
めたばかりですが、今でも沖縄における琉球文学研究の第一人者です
。

そして、池宮氏は、私が琉球文学を学んだ方なのです。最近まで(今
でもそうなのかも知れないのですが、一方で、最近アカデミズムから
「日本文学」という分野がほとんど消えかけています!)、琉球文学
は「日本文学」の埒外でした。池宮氏も、当時早稲田大学で、万葉集
を学ぶ学生でした。大伴家持を氏が取り上げた当時の論文を読んだこ
とがあります。その池宮氏が書いた文章「海への祈り-『おもろさう
し』巻十三を中心に」が収められているのです。日本文学における海
洋文学の欠如を、琉球の宮廷歌謡集『おもろさうし』の歌謡から補う
という内容です。以下に一部を引用します。

▼『おもろさうし』は、……、内容的に見ると……形態的には本土の
祝詞や古代歌謡に近いもので、宗教的な目的を有する歌謡即ち神歌の
要素が強いが、……厳密には文学そのものというより、文学の祖型も
しくは母胎として考えるべきものだろう。……あまりに短い説明で、
不明の点もあると思うが、以上のことを予備知識として、このいとも
不思議な日本語の歌謡を読み、これら辺境の文学(言語活動)もまた
、我我の祖先の遺産であることを知っていただきたい。(p59)▲

沖縄でお会いした池宮氏に、雑誌のことを少しお尋ねすると、自らの
文章のタイトルを聞かれて「甘いねー!」と苦笑いされました。しか
し、この冊子が刊行された、昭和38年、1963年(12月25日)は、ま
だ、沖縄は米国の統治下にある時期でした。日本への復帰は9年後の
ことですが、それはまだ政治的には確定していませんでした。そのよ
うな状況下で、沖縄から「日本に留学」した池宮氏が書いた文章とし
て読むと、上記にはいろいろと考えさせられる点があります。もと琉
球国であった沖縄の古典『おもろさうし』の歌を「日本語の歌謡」と
記しながら、これに「いとも不思議」と形容し、さらに、これを「辺
境の文学」と記します。自らの出自の文学をこのように記さざるを得
なかったのは、読み手が主に日本(文学専攻)の人たちだからですが
、そこでは沖縄と日本の間で揺れる氏を読み取ることができます。

そして、上記の文章は、今では琉球文学研究の第一人者であり、これ
まで研究を牽引してきた池宮氏がおそらく最初に公刊した、琉球文学
についての文章、つまり処女作なのです。その後の池宮氏の仕事は、
日本と沖縄の文学の間の緊張の間から紡ぎ出されることになります。
池宮氏を雑誌の同人として誘ったのは、関根氏と同じ埼玉県の浦和高
校出身で、早稲田大学でやはり万葉集を学んでいた、同誌の同人森朝
男氏でした。森氏は、のちに相模女子大学、フェリス女学院大学など
で教鞭を執り、古代文学を教えています。表面的には、日本文学専攻
に所属しながら、一方で自らの出自の沖縄、琉球の古典を学ぶという
二足の草鞋を履かざるを得ない状況で、池宮氏が後者について書き出
すことを可能にしたのは、関根氏や森氏を初めとする同人たちの柔軟
な思考だったのではないかと思われます。

というのも、関根氏は、昭和46年、1971年藤井貞和氏らとともに「若
き物語研究者の集団」としての物語研究会を立ち上げ、一方、森氏ら
は、やはり古典文学の研究を刷新することを目的に結成された研究集
団、古代文学研究会の中心メンバーとなって、日本の古代文学研究の
それまでのあり方に異議を申し立てることになるからです。そのなか
で、そのような人たちは、琉球文学という「辺境の文学」にいち早く
注目し、自らの研究に、日本文学の範疇に取り込むことで、それまで
の研究刷新することを試みます。上記のような初期の池宮氏の仕事が
、このような人たちに影響を与えたことは間違いありません。

復帰直前の昭和42年4月、大学院修士課程を修了し1967年に琉球大学
の国語国文学科の助手として帰郷していた池宮氏は、國學院大学大学
院博士課程修了後に東京の昭和女子短期大学に勤めていた関根氏を、
その8年後の昭和50年、1975年に、同学科の同僚として迎えることに
なります。その3年後、私は、九州福岡県の田舎町の高校から、同大
学の同学科に進学することになるのです。それまで「国語(日本文学
)」を疑ったこともなかった一人の田舎高校生は、このような教員の
もとで学ぶなかで、自らの「日本人」としてのアイデンティティを少
しずつ疑うようになっていくことになります。
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           ■◇■ あとがき ■◇■

人に影響を受けることは、どのような仕事においてもあることです。
私も、いろいろな人から公私共に影響を受けてきました。私は、自分
に確固としたものがないせいか、人の影響を受けやすいようにも思い
ます。それだからから、その方々への思いを巡らしていると、結局自
分に帰ってくるということがよくあります。今回も、そうなってしま
いました。だからでしょうか、文章が長く、くどいですね。みなさん
、お許し下さい。

『構想』第4号には、同人を引っ張っていたと思しい関根氏の「能-
若干の考察」や、森氏の「生の賛歌の消長-堀辰雄覚書1」等も収め
られています。これも、自らの研究対象とは異なる分野を扱った文章
となっています。どこかで、従来の「研究」といったものに違和を抱
いていたのだと思います。違和感を共有する人々が表現を求めたのが
、この小さなガリ刷りの冊子だったということになります。私も大学
在学中、友人達とやはりガリ刷りの冊子を手作りしたことが何度かあ
りますが、これは明らかに関根氏の影響です。そして、インターネッ
トというメディアに替わりましたが、このメルマガも、やはり、そう
いう志向から生まれているようにも思います。
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