『奄美・沖縄エッセイ』048
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2008.12.12 ■
■■◇■
◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
■■
■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0048 ■
===========================================================
+++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++
===========================================================

■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■
■□■満月と新月の夜に配信します/本日旧暦1115 ○満月■□■

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
    □◆□◆□▼ 藤原新也の「南島」 ▼□◆□◆□

ハイサイ。12月も半ばとなり、今年も残り少なくなりました。みなさ
ん、師走、師ではない方も、お忙しくお過ごしのことと、存じます。

さて、私には、その人のあらたな仕事が公表されると、どうしてもこ
れを見(聞き、感じ)たくなる表現者が何人かいます。たとえば、前
号で取り上げた、西郷信綱氏や、藤井貞和氏などが、そうです。

今回は、その中の一人を取り上げたいと思います。その人は、藤原新
也といいます。この人をどのように表現したらいいでしょうか。写真
家、作家、エッセイスト、批評家。中でも、写真と文章を組み合わせ
た仕事を私は好み、独自の表現世界を感じています。いつ頃からか記
憶がはっきりとしないのですが、この人の表現に深い影響を受け続け
てきました。この人の仕事が公になると(発売されると)、できるだ
け手に入れ、これを見続けてきました。また、古い仕事もできるだけ
手に入れ、見てきました。

藤原の代表作として知られるのが、1983年に発表された『メメント・
モリ』です。「死を想え」という意味のタイトルを付したこの本は、
ロングセラーとして、多くの人に読み継がれてきました。彼は旅の人
であり、その先々で撮影された写真と、文章のコラボレーションが彼
の表現の真骨頂です。1972年に発表された処女作『印度放浪』は、イ
ンドの世界観をえぐり出したその刺激的な内容から、多くの若者をイ
ンドへ誘ったとも言われています。その後、続けられた、東洋を中心
とした世界への旅の写真と、短い文(アフォリズム)とのコラボレー
ションの精華とも言えるのが、『メメント・モリ』です。

これが最近、版を改めて、異なる出版社から刊行されました。改版に
際し、新たな写真とコピー(短文)が20点以上加えられました。『メ
メント・モリ』』そのものの紹介は、このメルマガの範囲を超えます
し、公式サイトで旧版のWeb版も公開されていますので、そちらを見
ていただくこととして、今回、改版に際して加えられた箇所の一部に
ついて、ここでは取り上げたいと思います。写真には、キャプション
が施されていませんので、確認はできないのですが、南島で撮影した
箇所に手が加えられているようなのです。藤原は、この一冊を「コー
ラン」、つまり聖典に喩えており、両者の間の変化に南島の写真が取
り上げられた意味について、少しばかり考えてみたいと思ったのでし
た。

インドに始まり、東洋を巡り、アメリカに至る旅の過程を、藤原は「
聖地巡礼」と呼んでいます。「いかなる者にあっても、人の一生とは
すべて自らの聖地を求める旅程なのである」(朝日新聞夕刊、2004.3
.2)とも述べる藤原のエッセンスとも言える本書に、南島の写真が加
えられているのです。藤原には、じつは、すでに沖縄を対象とした『
南島街道 沖縄』(1993年)という写真集があります。世界を巡る旅
の最中も含め、沖縄に立ち寄っていることを、前者をはじめかれのい
くつかの文章に確認することが出来ます。とくに、1992年にはまとま
った滞在をしており、それが上記写真集としてまとめられたと思われ
ます。

そして、新版『メメント・モリ』に新たにおさめられた一枚は、これ
から取られました。「紅棘(あかいとげ)」と呼ばれる一章の写真(
p126)は、どこかの島(飲み屋の看板には「与論」とあるのですが、
与論島ではないのでは)の小さな歓楽街の夜の風景です。これに「歩
いていると/墓場を巡っている気分になる街がある。」というコピー
が旧版から取られています。つまり、旧版の畑の花の写真を入れ替え
たのです。そして、そのページの見開き左側には、旧版のまま、ブー
ゲンビリアが咲き乱れる昼間の島の誰もいない道の写真が加えられ、
「そんな街の住人は、死人のようにやさしくて、めんこい。」とあり
ます。

さらに、その前の見開きページは、ハイビスカスの咲くおそらく南の
島の草原(くさはら)に続く白い道と青い空の写真で、これには「夏
、南の午後、2匹の蠅が私の体に影を落としてついてきた。」とあり
ます。これが、旧版では、別の草原の写真に「南の午後、夏、一匹の
蠅がわたしの体に影を落として二時間ついてきた。」とあり、新版で
は、コピーに少し手を入れ、写真を入れ替えたことがわかります。新
版の写真の方が、より南島と判ります。新旧とも変わらぬこの章の「
虫がさわぐ。」とのコピーがある写真も、どこかの島の風景のような
気もするのですが、わかりません。

一冊のなかの、旧版から新版への小さな変化、それも主に画像の変化
を言葉で説明しているので、少し解りづらいかもしれませんが、これ
は本を手にとって確認していただくことにして、これらの手入れを通
して、新版で、藤原は「南島」を強調しているように、私には思われ
るのです。最近刊行された『日本浄土』(2008.8.5)を見ていてもわ
かるのは、「ありふれた土地」の「無名の旅の中で何かに出会う」こ
とを求める彼の視線です。「無名の麗しきものやこと」(以上、引用
は「あとがき」より)は、藤原の視線により見いだされた、彼にとっ
ての「聖地」であるに違いありません。

インドやチベットといったまさに「聖地」そのものから、目の前のあ
りふれた風景に聖地を見いだすように変わっていく彼の旅の視線が、
南島、沖縄にも向けられ、そこに付けられた言葉との緊張関係の中で
、そこが「聖地」として浮かび上がります。彼は、自らが見いだした
「聖地」を読者に投げ出しているのですが、それに共鳴する私がいる
ことを感じます。彼は新版の後書き(「汚されたらコーラン」)で「
読者は本書の言葉や写真のいくつを感じ、いくつを解釈し、そして、
いくつを乗り越えることができるだろうか」と述べていますが、彼の
写真と言葉のあらたな組み合わせに共鳴し、さらなる「聖地」を、私
の場合は、とくに南島に見いだしに出たいという気持ちにさせられま
した。
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
           ■◇■ あとがき ■◇■

藤原新也の南島について書き始めたのですが、とうもリサーチ不足で
、舌足らずな文章になってしまいました。たとえば、沖縄八重山諸島
の唄者・安里勇のCD『海人』のジャケットは藤原の写真ですし、ライ
ナー・ノーツも彼は書いています。そういったものも含めて、藤原新
也にとっての「南島」についてさらに別の機会に考えてみたいとも思
います。

藤原新也の本は、品切れすると古書価がすぐに上がります。以前はす
ぐに手に入った旧版『メメント・モリ』でしたが、手元にあったもの
が見つからず、ネットで探したら、すでに価格が上がっていました。
他の写真集も、見つかっても、古書価がかなり高いものが多いです。
それだけ、世代を超えてファンが出ているということだと思います。
===========================================================


前ペ−ジに戻る

SuetsuguHOMEに戻る