『奄美・沖縄エッセイ』040
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2007.09.11 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0040 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ ■□■満月と新月の夜に配信します/本日旧暦0801●新月■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-      □◆□◆□▼ 琉球使節と命の酒 ▼□◆□◆□ ハイサイ、みなさんお元気ですか。一昨日、一週間ほど滞在した沖縄 から帰ってきたのですが、猛暑の関西に比べれば、かえって沖縄の方 が涼しく感じられるほどでした。ただ、帰ってみると、朝夕は、さす がに秋の気配が感じられるようになっていますね。 さて、沖縄滞在のお話はまた書かせていただくとして(いつになるや ら(^_^;))、今回は別のお話です。九州にある私の実家での墓参りの 帰り、8月17日に、かねてから立ち寄ってみたいと思っていた、広島 県福山市の鞆(とも)の浦という場所に宿を取りました。そこは、山陽 新幹線の福山駅から宿の送迎バスで30分ほどの静かな港町でした。 沖縄の歴史研究をしている知人から話を聞いて、その地名を知り、ほ とんど下調べをしないままに訪れた鞆の浦でしたが、実際に行ってみ て、そこが景勝の地であることをまず知りました。宿の部屋の窓から 見える、瀬戸内の島々と海の織りなす光景は、まさに絶景でした。一 泊だけの短い旅でしたが、着いた日の夕方、宿で手に入れた地図を片 手に、家族を宿に残し、一人街を歩いてみました。 そこは、時間から取り残されたような町並みと路地が残されている静 かな港町でした。私がまず訪れたのは、朝鮮通信使が「日本で第一番 の景勝」という意味の「日東第一景勝」と賛辞した扁額を残した、福 禅寺・対潮楼(たいちょうろう)でした。少し小高いところにあるそこ からは、鞆の浦が一望できました。私は、朝鮮通信使が立ち寄ったの だから、琉球使節も立ち寄っただろうと思ったのでした。 ここで、琉球使節について簡単に説明しておきます。1609年に島津家 に侵略された琉球王国は、江戸の幕藩制度に組み込まれることになり ます。そのなかで、琉球王国が江戸幕府に使節を送ることになります 。一つは、琉球の王が新たに就任したさいの謝恩使、もう一つは、幕 府の将軍が交代したさいにに送られる慶賀使です。この使節が、薩摩 藩にとって重要なことは間違いないようですが、その意義は、時期に より変わるようです。 琉球から江戸幕府に挨拶に行く一行は、多いときは1回に100名ほど の大使節団でした。これを琉球使節と呼び、江戸へ行くことを別に「 江戸上り」と呼びました。琉球を船団で出発した一行は、九州の西海 岸を北上し、九州と本州の間に横たわる関門海峡を通って瀬戸内海に 入り、そこを通って、大阪から淀川を上り、京都の伏見から上陸し、 東海道を通って、江戸に向かいました。記録によれば、この道のりは 一年ほどかかりました。また、この使節団派遣は、19回に及んでいま す。 鞆の浦は、その瀬戸内海航路の中で、潮待ちをする港でした。当時の 船は風を推進力にもしましたが、主に、潮の干満を利用して進みまし た。満潮時には、瀬戸内海の東西から潮が流れ込み、干潮時には両方 に潮が引く。この流れを利用して瀬戸内海を航海したのでした。鞆の 浦は、瀬戸内海にいくつかある潮流の変化を待つ潮持ちの港の一つで 、当時はたいへん賑わった港でした。私は琉球使節についての情報を 得ようと、街の高台の鞆城跡にある、鞆の浦歴史民俗資料館に立ち寄 りました。 展示を一通り見終えて、係の方に琉球使節についての資料は無いかと 尋ねましたところ、出してくれたのが2006年刊行の『特別展 知られ ざる琉球使節』という同館発行の図録でした。これは、鞆の浦との関 係だけではなく、琉球使節の全体像についてよくまとめられた充実し たもので、以下、これをもとに鞆の浦との関係について書いていきた いと思います。(以下、次号に続く。) -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ 琉球使節についての研究は、ある程度進展しています。琉球使節の研 究については、岡山のノートルダム清心女子大学生活文化研究所の横 山學氏に『琉球国使節渡来の研究』(1987)という大著がすでにあり ます。また、少し探してみると、豊橋市二川本陣資料館の『開館10周 年記念 琉球使節展』(2001)というパンフレットも見つかりました 。横山氏は、いずれにも解説を書いています。また、フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』の「江戸上り」の項目は、まだ書 きかけですが、参考文献は充実しています。
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