『奄美・沖縄エッセイ』038
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2007.06.15 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0038 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ ■□■満月と新月の夜に配信します/本日旧暦0501●新月■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-      □◆□◆□▼ 『美童物語』 ▼□◆□◆□    ハイサイ、みなさん、お元気ですか。またまた一ヶ月振りです。私の 職場は、京都市内の北、里山の中にあるのですが、近辺の岩倉川では 、蛍が飛んでいると、学生が教えてくれました。蛍といえば、沖縄本 島ヤンバルの森で数年前、9月のはじめに見かけたホタルが忘れられ ません。 さて、日本列島のなかで、沖縄は、一時期のブームをこえてある意味 で定着してきたと最近思います。私などから見ると、メディアには、 とくにこの時期から、沖縄を紹介する言説があふれてくるようにも思 えるのですが、そのようななかで、その紹介の仕方が一方で紋切り型 になっているように思えるのです。青い海と空、優しい人々などとな ど、どのメディアを見ても、沖縄のイメージが似通っているようにも 思えるのです。 少し乱暴にそれをまとめると、本州弧の人間、大和人(ヤマトゥンチ ュ)から見た沖縄だと言えると思えるのです。大和人が沖縄を紹介し ているのですから、これはある意味で当然だと言えます。大和人にと っての沖縄、それが問題であるのは、仕方の無いことです。これを、 たとえば、アメリカの思想家、エドワード・サイードの言葉を借りて 「オリエンタリズム(東洋主義)」といった批判を行うことは容易い ように思えます。 そして、そのように紋切り型のイメージを批判していくことも、大切 だと思われるのですが、一方で、では、沖縄人(ウチナンチュ)にと っての沖縄とは何なのかという問題が浮き上がります。大和人のイメ ージのフィルターを通さない、「ありのままの沖縄」とは何なのか。 私の関心は、むしろそこにあります。これは、とても大きな問題で、 このような小さなメルマガで取り上げることは難しいのですが、最近 そのヒントを与えてくれるような作品に出会ったので、これを紹介し てみようと思います。 友人の紹介で読んでみた、比嘉慂(すすむ)『美童(みやらび)物語 』(講談社モーニングKC、2007.2.23)というマンガです。これには 、講談社の『モーニング』というマンガ雑誌に連載されたものをまと めたものです。目次を記すと、「風葬」、「ジュリ馬」、「方言札」 、「仁政叔父さん」という4編が収められています。いずれも、第二 次大戦中の沖縄を舞台にした内容のマンガなのですが、そこに描かれ ているのは、今まで私が見たことのない、一昔前の沖縄の姿なのです 。 たとえば、冒頭の「風葬」という一編では、自らも夫を戦地で亡くし た「耽美派の新鋭女性作家」が、沖縄を訪れ、独特の葬送方法「風葬 」の風習を取材しているうちに自らの夫の死を重ねながら狂気に陥っ ていきます。そして、その中で地元の人の計らいで自らの夫の弔いを 実現し、自らの悲しみを癒していく、という内容です。作者の比嘉は 、「風葬」という習俗をたいへん丁寧に描いていきます。とくに、そ れが地元の人間にも、ある意味で、負担の大きなものであることを押 さえながら、描いていきます。 「風葬」という、珍しもの好きな人ならすぐに関心を抱きそうな民俗 的な題材を、沖縄の社会の中で生きている風習として冷静に描いてい ます。外から見た風変わりな習俗としてではなく、沖縄の人々にとっ てもたいへん大切だが、負担が大きい風習として描いています。そこ には、地元の人の生きた視線が感じられます。沖縄の人たちの死生観 を前提に生々しく行われる「風葬」は、まるで丁寧に描かれた民俗誌 を読むがごとくです。どうも、作品のリアルさを私の拙い文章では、 うまく伝えられないので、作品の末尾にある比嘉の言葉を引きたいと 思います。 「それに伴う洗骨には生理的な嫌悪感や/精神的な苦痛は避けられな かったようだ/地域によってはその作業は女性達に課せられていた〈 中略〉なお 戦後 火葬が普及したのは洗骨を担っていた/女性達の 運動によってであった/火葬の環境が整ってきても/男社会の因習が 立ちはだかっていたのである/女性達はひるまなかった そのことは つけ加えたい」 物好きな人々が関心を抱く風習としてではなく、これに携わる地元の 人々の生きた感覚を丁寧に描き込むことにより、単なる沖縄紹介では なくなっています。「風葬」以外の作品も同じです。そこには、大和 人のフィルターを通したものではない沖縄が描かれています。沖縄の 人間にとっての沖縄。『美童物語』という作品は、私にはそのように 感じられます。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ 少し調べてみますと、著者の比嘉慂氏には、『砂の剣』(小学館、19 95)、『カジムヌガイ 風が語る沖縄戦』(講談社、2003)という作 品があります。とくに後者では、平成15年度文化庁メディア芸術祭の マンガ部門の大賞を受賞しています。それで、ぜひ読みたいと考えた のですが、現在版元品切れで手に入れることができません。なんとか 、読んでみたいものです。
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