『奄美・沖縄エッセイ』036
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2007.04.02 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0036 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ ■□■満月と新月の夜に配信します/本日旧暦02.15○満月■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-   □◆□◆□▼ 「島唄」最後の日(続き) ▼□◆□◆□     ハイサイ、みなさん、お元気ですか。今回は、前回の続きです。 いやー、ネーネーズのことを馬鹿にしていたなー、とライブハウスの の光景を見ながら思っているうちに、音楽が聞こえてきて、開演とな りました。吉田康子、あるいは古謝美佐子らの初代ネーネーズから数 えて、すでに3代目になっていることも知らなかった私は、彼女らの ウタ、それはまぎれもなくネーネーズの数々の名曲を聞き始めました 。次の日には、関西に帰る私は、遠くに東シナ海の灯りを見渡せるそ のライブハウスで、とてもいい気持ちになっていました。すると、メ ンバーの一人が、「皆さんは、今日が島唄の最後なのは知っています か。」と言うのです。そうなのです、その夜は宜野湾「島唄」の最後 の夜だったのです。 ついさっき、ふと思い立った私が、そのような場に居ることが不思議 で、これも何かのご縁かなと思いながら、それでなのかと、ほぼいっ ぱいの会場を見渡していると、その客の中に、私が知る方が居たのに は、さらに驚きました。その方は、知名定男氏の実弟で、神戸女子大 で歴史学を教える、知名定寛さんでした。沖縄の宗教史が専門で、『 沖縄宗教史の研究』という大著をすでに著しておられます。関西での 沖縄研究仲間でもあります。しかし、いくら定男氏の実弟だとしても 、関西でもお互い忙しくここ数年直接お会いしたことのない定寛さん にお会いできるとは、思ってもいませんでした。 ライブ第一部が終了したあと、私を見つけて下さっていた定寛さんと お話しをしていると、なんと、私を定男さんに紹介して下さるという のです。沖縄ファンなら知らない人は居ないのではないかと思われる ビッグネームと何を話せばよいのかパニックってしまった私は、今回 の旅の目的の一つであり、このマガジンの前号でも取り上げた、世礼 国男という人が作った『声楽譜工工四』という古典音楽の楽譜につい て訪ねました。「今でも、練習では、あれを使っておられるのでしょ うか。」 沖縄島唄の第一人者でもあり、とうぜん古典も研究している定男さん は、「使っているよ。」と言われ、さらに「あれはどうですか。」と お聞きすると、「あれ以上厳密になるとそれにとらわれるだろうし、 そういう意味で、ちょうどいいのではないか。」といったことを言わ れました。琉球古典音楽の楽譜史上、はじめて「声楽」つまり歌い方 を記した画期的な楽譜についての、名手の感想です。私は、沖縄で実 演家に、上記のことを聞いてみたいと思っていましたが、それが、ま さか知名定男氏から聞けるとは思いもよりませんでしたので、たいへ ん感動しました。 4月1日から、那覇の国際通りに移転するための店じまいでしたが、そ こにほんとうになにげなく立ち寄った私は、そこでの時間の濃さに思 わず驚いてしまいました。ライブハウスの移転とともに、じつは知名 定男氏もプロデューサー業をご長男に譲り、プロデューサー業から引 退され、島唄に打ち込むとのことで、定男氏にとっても、その夜はた いへん特別な夜でした。よってその夜は、ネーネーズはもちろん、ご 長男、次男、そして、八重山出身の鳩間可奈子、他、その「島唄」で 歌ってきた方々総出演でした。定男氏自らも歌ったのは、言うまでも ありません。 さらに、これを一つのきっかけに島唄に専念する定男氏は、つい先日 18日、地元のうるま市民芸術劇場『響ホール』で、「知名定男芸能生 活50周年記念公演『うたまーい』」を開いたはずです。残念ながら、 これを聞くことはできませんでしたが、そこには知名定男ファミリー 総出演となっています。いずれにしろ、奇しくも、私が立ち寄った「 島唄」最後の夜は、名手・知名定男氏の転機の夜でもあったのです。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ それにしても、ほんとうに濃い夜でした。9時から、延々3時間半、国 際通りのホテルに着いたときには、午前1時でした。頭の中には、「 島唄」の音楽が響き続けていました。 「島唄」は、4月1日国際通りで、新たな出発をするそうです。エイプ リルフールといっても、決してデマではありません。次に沖縄を訪れ るさいには、知名定男が退いたあとのネーネーズ、そして「島唄」を せび聞きにいきたいと思います。
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