『奄美・沖縄エッセイ』034
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2006.09.07 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0034 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ ■□■満月と新月の夜に配信します/本日旧暦07.15○満月■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-   □◆□◆□▼ 幻の詩集 ▼□◆□◆□     ハイサイ、みなさん、お元気ですか。なんと、二ヶ月ぶりです。忙し い現代、このメルマガのことを憶えておいて下さったでしょうか。そ うだとすれば、たいへんありがたいことです。 先日まで学生たちと沖縄を訪れてきましたが、引率の仕事ととは別に 、私は一つの目的を持っていました。それは、一冊の詩集を手に取る ことでした。詩集の書名は『阿旦のかげ』、著者は世礼国男(せれい くにお)といいます。以前から、この人の仕事を追いかけている私 には、一つの願いがありました。この人が東京で出版した上記詩集 の、現物、しかも完本を手に取ることでした。 世礼についての詳しい紹介は、ここでは省略しますが、のちに、沖縄 の古典音楽の最大流派、野村流から、それまで三線のための楽器譜で しかなかった「工工四」に、歌い方を記した声楽譜を付けるという画 期的な仕事を成し遂げる世礼は、まず近代の詩人として、自らの故郷 沖縄を表現しました。彼が地元で教員をしながら、大正11年に刊行し た『阿旦のかげ』は、沖縄出身の人が、中央で出版した最初の詩集な のです。この原本の完本を、私はまだ見たことがありません。 じつは、世礼の長男、茂彦氏の編集で、昭和50年に野村流音楽協会か ら『世礼国男全集』が刊行されています。ここには『阿旦のかげ』も 収録されています。その底本となった本を、世礼の次女である、故世 礼ハツさんから見せていただいたことがあります。その本は、表紙、 中扉から、最初の2頁に至るまで、そして奥付も破損しており、これ を別の本から、茂彦氏の手書きにより補われていました。 『世礼国男全集』の「あとがき」には、これについて「詩集『阿旦の かげ』川路先生の序文、その他の欠落部分は川平朝申氏蔵書よりコピ ー。」とあります。「川路先生」とあるのは、近代日本詩に大きな足 跡を残した川路柳虹のことです。それで、郷土研究で知られた川平氏 にも直接電話をして、話を伺ったことがありました。しかし、氏はす でにご高齢で、お会いすることができず、それきりになり、川平氏も その後残念ながらお亡くなりになりました。 それから何年か経った今回、川平氏の旧蔵書が、今年の7月に国宝の 指定された琉球国王尚家関係資料を展示するために開館したばかりの 、那覇市歴史博物館(旧那覇市史編集室)に収められていることを確 認することができ、連絡を取ると、ホームページ上で旧蔵書を検索で きるとのこと。さっそく検索してみると、たしかに、2種類の『阿旦 のかげ』が収められています。ただ、気になったのは、川平朝申氏資 料の方は「複写製本」、もう一冊は「マイクロ本」となっていること でした。 開館したばかりで資料の整理ができていないという博物館の方に、無 理にお願いして、その資料を取り置いてもらい、沖縄滞在の折に、見 に行ったのでした。結果として、川平氏旧蔵書は、その注記の通り、 おそらくマイクロフィルムからの複製本でした。その点は残念だった のですが、故世礼ハツ氏旧蔵本には無い部分を確認することができま した。一つは中扉に「阿旦のかげ/世禮國男/第一詩集/1917-1921 」と記されていること。 また、巻頭詩のあとに発行Noとともに「著者小照と自署」を記した頁 と、「この詩集を謹んで亡祖父の霊前に捧げます」と献呈の序が記さ れた頁があることでした。著者の写真(小照)では、複製が不鮮明で 自らの署名(自署)は読み取れないものの、これまで見てきた全集の 巻頭にある写真とは異なる、若き世礼国男の表情を見ることができま した。さらに、茂彦氏が手書きで写された箇所に、小さなミスが何カ 所かあることもわかりました。 原本は、私には相変わらず「幻」ですが、これで、少しだけ『阿旦の かげ』に、そして世礼国男に近付けたような気がします。せっかくで すから、この詩集から、一編ご紹介しましょう。詩集の書名と同名の 詩です。「琉球情調」と題された一連の詩の冒頭です。 「阿旦のかげ」 野良の仕事のひとやすみ、 阿旦のかげにはいくまいぞ、、 ベロ/\と、まむし奴が、 華奢な紅鉢巻きのまむし奴が、 色男のまむし奴が………… きれいな娘子を 惚らすげな。  註、阿旦はタコノキのこと。 奄美、沖縄を訪れたことのある人なら必ず眼にするであろう、パイナ ップルのような実を付けるアダンの木を背景に、この島々に住む毒蛇 ハブをあえて「華奢な紅鉢巻のまむし奴」と表現しているのは、表現 が本州弧の人々に向いていることを示しています。若い男性をそのハ ブに例えて、モーアシビー(毛遊び)と呼ばれる野外での男女の出会 いをうたっています。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ それにしても、この時期にしては、南の島に台風の影を見ない珍しい 年でした。渡嘉敷島の海辺で寝っ転がりながら見た満点の星空と流れ 星は、とても印象的でした。 学生と訪れた沖縄では、受け入れ側の沖縄大学の先生の導きもあり、 貴重な体験をさせていただきましたが、そのことについては、また後 に記したいと思います。 ===========================================================




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