■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2006.02.28 ■
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◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■
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□◆□◆□▼ 「幻視」 ▼□◆□◆□
ハイサイ、みなさん、お元気でしょうか。一ヶ月ぶりです。
どのような分野でもそうでしょうが、一つの世界で仕事をしてい
ると、大きな影響を受ける仕事に出会うことがあります。そのよう
な仕事には、自分などにはとても近づけないような深さと大きさを
感じ、憧れさえ感じます。しかし、自らが手がけている世界で、そ
のような仕事に出会うことは、ある意味では、幸せなことでもあり
ます。その中には、学ぶべきことが多く含まれているからです。
私にとってそのような存在である、益田勝実(ますだ かつみ)と
いう人の仕事が、ありがたいことに文庫本に最近まとめられ、刊行
されることになりました。筑摩文庫から刊行される予定の『益勝実
の仕事』全5冊がそうです。読者の皆さんのなかで、この名前を知
る人はどれぼど居るでしょうか。主に、日本の古代文学研究を中心
に仕事をしてきた方です。今回は、この方が提唱した用語の中でも、
もっとも魅力的な言葉の一つを簡単に紹介したいと思います。
以前にも、紹介したことがある、琉球王国の宮廷歌謡集『おもろ
さうし』というものの中に、次のような歌が収められていることが
知られています。
一 ゑ け 上がる三日月や
(又)ゑ け 神ぎや金真弓
又 ゑ け 上がる赤星や
又 ゑ け 神ぎや金細矢(かなままき)
又 ゑ け 上がる群(ぼ)れ星や
又 ゑ け 神が差し櫛(くせ)
又 ゑ け あがる虹(のち)雲は
又 ゑ け かみが愛(まな)きゝ帯
(巻10-534番)
(共通語訳)
ゑけ、上がる三日月は、
ゑけ、神の金真弓である。
ゑけ、上がる赤星は、
ゑけ、神の金細矢である。
ゑけ、上がる群れ星は、
ゑけ、神の差し櫛である。
ゑけ、上がる虹雲は、
ゑけ、神の大切にしている美しい帯である。
(外間守善校注『おもろさうし』上巻、岩波文庫)
月や星、そして雲という天体、弓や矢という武具を、あるいは、
櫛や帯を見て賛嘆しながら(「ゑけ」は、感動詞だと考えられます)、
雄大な歌です。これについて、益田勝実は、最初に刊行された
『益田勝実の仕事2』に収められれた「幻視」と題する文章のなか
で、次のように述べています。
夜の海上を漕ぐ船人たちも、漆黒の空に神の弓矢を、神の櫛を、
帯を見て、賛嘆する。その眼に映じている三日月や宵の明星(あか
ぼし)の姿が、ありのままに見えないのではない。横雲は横雲--し
かし、同時に、かれらの眼は、そこに神の愛用の美しい帯を現に見
てもいる。その背後の空に、かれらが、頭に刺し櫛、腰に帯をし、
左右の手に弓と矢を持つ、巨大な神の像を見たかどうか知らないが、
現に神の身に添うそれらの品々は、空に懸っている。(p30)
断言はしていませんが、天上に浮かぶ神女の姿を見ているのだと
いうのです。沖縄では、祭りの場では、女性は神でもありました。
そして、これに続けて次のようにも述べています。「物を物そのも
のとしてみ、また、信仰の上でのイメージにおいてみる。二重構造
の視覚、それは原始以来の眼であった。夜の視覚でもあった。」こ
のような視覚のことを、益田氏は「幻視」と呼んでいます。私たち
の生活には、日常と非日常があります。日常の視覚に、非日常の視
覚を重ねること、これが幻視なのです。
たしかにそのような神を前提とする非日常の視覚を想定すると、
古代の文献に記された不思議な記述が、息を吹き返して来るのです。
ここでは、省略しますが、「幻視」という文章のかなでは、古代の
書物『風土記』に記される地名や、『古事記』に記された神々の名
前にも、このような二重写しの視覚が潜んでいることが、明らかに
なるのです。学生時代、講義で配られたコピーで、これを読んでか
ら、その方法の新鮮さに打たれ、今に至るまで、「幻視」という言
葉が頭を離れません。
益田氏は幻視を「夜の視覚」とも述べていています。夜は神々の
聖なる時間でした。なぜ、神々の世界かと言えば、幻視が働く時間
だからです。現代を生きる私たちは、これを忘れてしまったのでし
ょうか。そんなことはありません。たとえば、星座はまさに幻視の
視覚の産み出すものに違いありません。さらに言えば、現在もては
やされている幻想文学の根元にこのような視線が横たわっているこ
とは間違いありません。幻想文学を通して私たちは、このような聖
なる視線をあるいは取り戻そうとしているのかも知れません。
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■◇■ あとがき ■◇■
明日から3月です。教員にとっては、これまで付き合ってきた学
生との別れの季節でもあります。今回の文章を書きながら、自分の
学生時代を思い出していました。このような時代のなか、社会に出
て行く学生たちの不安と、そして期待を身近に感じながら、卒業後
の生活が実り多きものとなることを願わざるを得ません。
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