『奄美・沖縄エッセイ』021
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2005.10.12 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0021 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- □◆□◆□▼ 琉球弧、聖地の不思議 ▼□◆□◆□ ハイサイ、みなさん、お元気ですか。 今回も、久高島合宿での不思議体験の続きです。 合宿は二泊三日で、二日目の午前中に、全員で久高島内を端まで 歩いて見て回りました。久高島の、とくに集落のない北側は、本来 は生者の領域ではない聖所で、その中にウタキ(御嶽)という聖地 が点在しています。これらは、今でも祭祀が行われる神聖な場所で、 関係のない者は入ってはならないことになっています。私達も、そ の点は気を付けて島を回っていました。すでに何度か島に渡って、 そこら辺の事情はよく知っているN君は、ことのほか慎重でした。 琉球王国の開闢神としても知られる祖神アマミキョが降り立った と伝えられる最北端の聖地、カベールまで3時間ほどかけてゆっくり 歩き、そこでおにぎりなどを食べて休憩し、引き返す時です。仲間 とふざけ合って歩いたN君は、気づくと、道端のクバ(ビロウ)の葉 を一枚とって、炎天下のなか日傘代わりにして歩いていたのでした。 クバはヤシ科の常緑高木で、島では神が降りる樹として神聖視され ています。島最大の聖地クボーウタキもこの樹の名前に由来します。 N君がこのことを知らないはずがないのです。 聖地カベールで神木の葉を取ったのです。N君自身もそのことに気 づいていたようで、宿泊所の前でその葉を道端に置いて帰りました。 N君によれば、島の人に見られるのがいやだったから、とのこと。 次の朝、伊敷浜に日の出を見に行くさいに、その葉を道ばたで見か け、なぜか印象深く覚えていました。このようなことを話しながら も、N君自身も半信半疑のようで、宿での寝不足のせいだから、など と自らを納得させようとしていましたが、やはり久高島としんどさ との因果関係は、打ち消せない様子です。 もちろん、沖縄に来てから、歩いたり、泳いだり、夜遅くまで飲 みながら語らったりの毎日で、これに加え、聖なる島独特の雰囲気 に囲まれ、疲れがたまっていたこともあるでしょう。N君はたいへん 真面目な性格で、調査においても島の人たちとの関係を大切にして いましたし、実際に彼は、沖縄をそして久高島をこよなく愛してい ますので、クバの葉を取ったのは、文字通り魔が差したとしか言い ようがありません。 でも、その場に居合わせた私は、同乗のY君とともに、やはり久高 島とN君の状態は関係あるのではと、直感しました。あるいは、私達 も久高島の雰囲気に影響されていたのかも知れません。じつは、N君 は、島に渡る前にも、沖縄で不思議な経験をしていたのでした。そ れは、斎場御嶽という、沖縄第一級の聖地であり、世界遺産でのこ とです。場所は、知念半島の突端(安座真港の上方)にあり、久高 島の遙拝所でもあるのです。 歴史的には、琉球王国第二尚氏王統において最高の巫女(神女) 聞得大君が神とともに一夜を過ごし、就任式を行う聖地でもありま す。N君は、先に沖縄入りしていたゼミの他メンバーとレンタカーを 借り、久高島に渡る前日にここを訪れたのでした。そのとき、御嶽 内に入ると、彼が持参したアナログの一眼レフカメラのシャッター が下りなくなったというのです。しかし、御嶽から出ると、故障 から回復したというのです。ただ、彼もメンバーもそれほど気にし ていないようでした。 しかし、斎場御嶽、あるいは琉球弧の他の聖地での同様の経験に ついて、何度か聞いたり、読んだりしたことが私はありました。た とえば、日本を代表する詩人で、物語研究の第一人者でもある藤井 貞和氏(現立正大学教授)も、沖縄諸島の南、宮古諸島の宮古島、 狩俣集落での経験を次のように書いています。少し長いですが、引 用してみます。地元の研究者の先導で、集落に入ったときのことで す。 狩俣に入るとすぐに、カメラの調子がまったくおかしくなってし まった。集落の中央に、神祭りのための座(広場)があり、そのむ こうに籠り屋ふうの建て物が見えたが、そのあたりは近づいてはな らないところなので、遠くからそっとカメラを向けたら、ファイン ダーのむこうがまっくらで、どうしてもシャッターが下りない。わ たくしはそのとカメラをしまうべきであった。事態をよく察知して いなかったわたくしは、無理にシャッターを押し下げた。機械のな かににぶい音が響いて、静かになった。自動装置がまったく動かな くなってしまったのだ。(『「おもいまつがね」は歌う歌か』新典 社、1990年) このとき、カメラは翌々日には、作動するようになったといいま す。また、藤井氏は、上記の文章で、別の機会に那覇郊外の墓と斎 場御嶽で同行の詩人の8ミリが動かなくなったことや、伊平屋島の聖 地で自らのカメラの巻き取り部分が「ぶっ飛んだ」ことがあるとも 述べています。これを、氏は「その神秘な箱が持つ感応力」と詩人 らしく記していますが、これにもし付け加えるなら、「神秘の箱」 を持つ人の感応力ということでしょう。藤井氏をはじめとする詩人 の感応力です。そして、沖縄を真摯に愛するN君は、沖縄入りしたと きから、聖地の神秘に感応しており、帰りのタクシーでのことは、 その果てのことなのです。 私たちの宿泊所であった久高島宿泊交流館の玄関を入って正面の 壁には、国文学、民俗研究者であり、歌人、詩人でもあった折口信 夫(釈迢空)の次のような歌を記した掛け軸が掛かっていました。   目を閉じて時と所を忘るれば          神代に近き聲ぞ聞ゆる                      折口信夫・釈迢空 とても不思議な体験ではありましたが、久高島の空気に触れた私 には、その奥深さを感じさせてくれました。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ 現在、琉球弧の聖地は、いろいろなところで、その独特の雰囲気 を失いつつあるようです。久高島も、私の学生時代である20年ほど 前とは明らかに変わりつつあります。そのような中で、久高島の環 境を残そうとする動きがあります。私たちが島を訪れている日に、 久高島(久高島振興会)のHPが立ち上がりました。インターネット と久高島、不釣り合いなようですが、HPの中には、過去ではなく、 現代を生きようとする島の人々の努力を垣間見ることができます。 もし、ご関心のある方は、下記URLを覗いて見て下さい。        http://www.kudakajima.jp/ =========================================================== ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ □------◆ 電子メールマガジン:「奄美・沖縄エッセイ」 □----◆ 発行人:末次 智 (すえつぐ さとし) □--◆ E-mail:suetsugu@kyoto-seika.ac.jp □◆ 配信の解除URL:http://www.kyoto.zaq.ne.jp/suetsugu/ ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■




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