『奄美・沖縄エッセイ』019
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2005.09.14 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No0019 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- □◆□◆□▼ 聖なる島、久高島の夜 ▼□◆□◆□ ハイサイ、みなさま、お元気ですか。 8月末、私が担当するゼミナールの合宿で、沖縄本島と、その南西 に浮かぶ久高島を訪れてきました。そのときのエピソードについて、 何回か書いてみたいと思います。合宿では、那覇市首里にある、よ く知られた守礼の門前に集合し、首里城周辺を訪れ、そこから久高 島を遙拝し、そして、その夕方久高島に渡り、2泊するというもので した。実は、昨年も同時期、同島での合宿を予定していたのですが、 台風の襲来により、中止になったので、今回はそのリベンジでした。 まず、久高島について簡単にご紹介します。沖縄本島南西部、知 念半島から高速船で20分ほどの沖合に浮かぶ沖縄本島を囲むリーフ 上に点在する小島の一つで、面積は、1.37平方Km、周囲7.8Km、現在 人口は300人ほどです。この島が、よく知られているのは、12年に一 度、午年の旧暦11月15日から5日間にわたって行われる神事、イザイ ホーが行われるからです。これは、島で生まれた女性が、祭祀集団 に入団するための儀式です。しかし、この祭祀は、1978年を最後に 以後は、神女になるべき女性が居ないという理由で、行われていま せん。 映像や写真、あるいは報告書などを通して私が知るこの祭祀は、 よく言われるように、日本の古代の祭りを彷彿させるものです。と くに真っ白な衣を着て、斎場に現れ、神歌をうたい舞う神女の姿は たいへん印象的です。久高島には、たいへん多くの年中行事があり、 これを行うのが、イザイホーを経て祭祀集団に入った女性たちなの です。私が沖縄の大学に入学したのは、1978年でしたから、今とな っては最後かも知れないイザイホー神事を見るチャンスだったので すが、大学1回生で、まだそれほど沖縄文化について意識の高くなか った私は、島に渡ることをしませんでした。今、思い返すと、ほん とうに残念です。 年中行事については、これまでのイザイホーで神女になった人た ちによって、今も継承されています。島は、南側の一部を除いて、 人が住むことができず、そこは今でも死者と神のための聖地なので す。私が学生だった頃に知る島の雰囲気は、島の人口の減少、そし て神女たちの高齢化にともなう祭祀の衰退により変わりつつありま すが、体感する以外に説明することがむずかしい、その独特な雰囲 気は、今でもじゅうぶんに味わうことができます。ゼミの学生たち にその雰囲気を経験させようとするのが、この島を選んだ目的でし た。 とくに島の雰囲気が高まるのが夜です。民家と街灯の灯りの他に は、灯りがなくなる聖なる島の夜は、私たちが忘れかけている「闇 への畏れ」を思い出させてくれます。一日目の深夜、学生たちと宿 泊所から東に歩いて5分ほどの、伊敷浜まで歩きました。この浜は、 五穀が入った壷が流れ着いたという伝説を伝える場所で、海上のは るか東方にあると信じられているニライカナイという理想郷への遙 拝所で、島を代表する聖地でもあります。そこまで、学生たちと星 を見に行こうとしたのでした。 月や星明かりもあり、また、背後には、対岸の沖縄本島の灯りも ありましたので、漆黒の闇というわけではないのですが、浜から聞 こえてくる波とそこをわたる風の音しか聞こえないなかで、私たち を包み込む雰囲気は、独特のものでした。一本の懐中電灯の灯りが かえって強調することになる闇は、生者以外のモノたちが跋扈する 威厳さに満ちていて、私たちに緊張を強いるものでした。そのよう な中、海岸までたどりついた私たちの前に、満天の星空が広がりま した。何回かのフィールドワークを通して久高島の習俗や信仰に通 じている学生も居たのですが、その学生も含め、聖なる緊張感とい ったものを味わうことができたのではないでしょうか。 次の朝、一部の学生たちと伊敷浜から拝んだ太陽は、生者の時間 の始まりを告げるかのようでした。首里から見ても、太陽が昇る方 角にあることで重視されたという歴史を持つ久高島は、「太陽の島」 でもあるのです。私は、「てだこ(太陽子)」と呼ばれる歴代の琉 球国の王たちにとって、その聖なる力の源である太陽が昇る島は、 特別な島だったに違いありません。かつて、自分の論文のなかで、 久高島に渡り、王たちがこの伊敷浜から太陽を拝む儀礼を行ったの ではないかと論じたことがあります。水平線から上る美しい太陽を 見る私たちの視線は、歴史を越えて王たちの視線と重なるような錯 覚を覚えました。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ 前回に書いたアダンのことですが、久高島のアダンにも、やはり カナブンがたかっているのを見つけました。ただ、森のない島には、 クワガタは居ないのですが。 さて、私たちは、闇夜よりも生々しく、久高島の聖性に触れること になるのですが、そのことについては次号以降に。乞う、ご期待。 =========================================================== ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ □------◆ 電子メールマガジン:「奄美・沖縄エッセイ」 □----◆ 発行人:末次 智 (すえつぐ さとし) □--◆ E-mail:suetsugu@kyoto-seika.ac.jp □◆ 配信の解除URL:http://www.kyoto.zaq.ne.jp/suetsugu/ ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■




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