『奄美・沖縄エッセイ』007
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2005.03.23 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No007 ■ =========================================================== +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■◇■ ハイサイ(ご挨拶) ■◇■◇■ さて、いよいよ3月も半ばを過ぎ、やっと暖かくなってきましたね。 今回から、melma!だけではなく、まぐまぐからも配信を始めます。 まぐまぐで、登録して下さったみなさん、初めまして。 また、配信元のアドレスが変わります。アドレスの変更とともに、 ハンドル・ネームを止め、実名での配信とします。 私は、末次智と申します。京都市内の大学で、沖縄・奄美の文化関 係の講座を担当しています。とくに、琉球王府時代の古典を研究を 対象としています。メルマガは、これまでに2度ほど配信したこと があります(バックナンバーは、フッタのURLをご参照下さい)。 このメルマガでは、研究の過程で、私の関心に引っかかってきた 事象について、思いつくままに記していきます。仕事などで余裕を 無くすと、メルマガの配信間隔が開いてしまうと思いますが、お見 捨て無きよう、気長にお付き合い下されば幸いです。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- □◆□◆□▼ 映画『風音』を観て ▼□◆□◆□ 京都市内にできたアート系映画館京都シネマに先月初めて出掛け、 沖縄を題材にした映画『風音』を観てきました(上映は、終了して しまいました)。原作と脚本は、沖縄出身で在住の芥川賞作家、目 取真俊(めどるま しゅん)。監督は、1969年に記録映画『沖縄列島』 でデビューしたという、東陽一監督です。もともと目取真の芥川賞 作品を収めた単行本『水滴』におさめられた短編を、映画のために 脚本に書き直したものです。さらに言えば、目取真は、この作品に 手を加え単行本として、刊行しています(リトル・モア刊)。つま り、原作、脚本、単行本と三度書き換えられた作品なのです。 昨年の第28回モントリオール世界映画祭で、「詩的で現代的な、 非常に美しい革新的映画のため」のコメントとともに、詩的で質の 高い作品に贈られるイノベーション賞がこの作品に贈られました。 実際に見てみると、まさにこのコメントの通りの美しい作品でした。 そこには、私たちが抱きがちな紋切り型の沖縄ではなく、静かな日 常の沖縄の風景が映し出されていました。映像の美しさ、そして、 物語の詳細については、実際に観ていただくことにして、ごく簡単 に内容を紹介させていただきます。 沖縄のある小さな島に、夫に虐待を受けた母と、その子どもが帰 ってきます。その村の海に面した崖の洞窟は「風葬場」で、ここに 置かれた一つの頭蓋骨は、近くで戦死した元特攻隊員のもので、こ めかみに銃弾が貫通した穴が一つあいています。ここに、風が通り 抜けると不思議な音を響かせます。村人は、この音を「風音(ふう おん)」と呼び、頭蓋骨を「泣き御頭(なきうんかみ)」と名付けて、 敬っています。本土から帰ってきた子どもと一緒に地元のいたずら 好きの子どもたちが、この頭蓋骨の傍らに、テラピアという魚の入 ったガラス瓶を置いて、その魚が生きているかどうか賭をします。 が、そのおかけで、「風音」が鳴らなくなります。 先に小説を読んでいた私は、「風音」がどのような音かに関心が あったのですが、これは、ちょうどガラス瓶の口に唇をあてて、息 を吹き込んだような低い音でした。小説を読んだときに最初に思い 浮かんだのが、昔話の一つのモチーフでした。それは「歌い骸骨」 というもので、自分が殺された理由を、骸骨が歌などで暴露すると いうもので、たとえば、琉球諸島の沖永良部島の昔話を岩倉市郎と いう人がまとめた『沖永良部昔話』にも、類話が収められています。 つまり、「風音」は、「歌い骸骨」の「歌」なのです。 『風音』には、その村に老婦人が本土からやってきます。この人 は、戦死した心の恋人の消息を訪ねて、沖縄にやってきたのです。 その頭蓋骨が実は、その恋人のものなのですが、特攻隊員の亡骸を 父とともに葬った清吉という村の老人(現役の本部町具志堅区長が 好演しています)は、このことに気付きながら、その婦人には知ら せません。その代わりに、「風音」がそのことを暗示します。とい うのも、ガラス瓶を子どもが持ち去ることでまたなり始めた「風音」 を聞くことができた老婦人は、安心したように帰っていきます。 映画のパンフレットによれば、この映画のロケ地本部半島には、 原作者・目取真の故郷今帰仁村も含まれており、ここに登場する子 どもは、まさに目取真の小さい頃の姿なのだそうです。彼の作品を 追いかけ続けている私は、「本土の人間とっての心地よい沖縄」と いうイメージを徹底的に拒否し、沖縄戦にこだわり続ける目取真の 視点がここでも生きているのを感じます。 できれば、もう一回、『風音』を取り上げたいと思います。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ 街の中を歩いていますと、リクルートスーツを初々しく着た方々 が、足早に歩いていくのに、時折出会うようになりました。 教員は、新しい学生を迎える季節を迎えますが、何年たっても、 期待と不安がないまぜになった気持ちになります。ぜひ、学生たち との良い出会いがありますように。 そして、このメルマガが、読者の皆さんとも、良き出会いを果た しますように。 =========================================================== ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ □------◆ 電子メールマガジン:「奄美・沖縄エッセイ」 □----◆ 発行人:末次 智 (すえつぐ さとし) □--◆ E-mail:suetsugu@kyoto-seika.ac.jp □◆ 配信の解除URL:http://www.kyoto.zaq.ne.jp/suetsugu/ ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■




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