『奄美・沖縄エッセイ』006
■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2005.03.07 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 奄美・沖縄エッセイ ■◇■ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ No006 ■ =========================================================== +++++ melma!で読者登録された方へ、送信しています。++++++++ +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++++ =========================================================== ■□■ 奄美・沖縄、なんでも話題、メールマガジンです。■□■ -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■◇■ ハイサイ(ご挨拶) ■◇■◇■ もう、3月も3分の1を過ぎようとしているのですが、なかなか暖か くなりません(>_<)。 先日、沖縄の知人から、タンカンを送ってもらいました。ベラン ダに置いたタンカンを、暖房の効いた部屋で食べると、その甘さ とともに冷たさが口に広がり、なかなか美味しいです。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- □◆□◆□▼ 沖縄に降る雪 ▼□◆□◆□ さて、前号では、琉球国士族の、雪の歌を紹介しました。雪降ら ぬ沖縄で、雪をイメージしながら詠まれたものです。実は、歌だけ ではなく、他の文芸にも雪降る沖縄が登場します。それは、組踊(く みおどり)と呼ばれる演劇で、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)とい う人が、ヤマトゥの能や狂言、人形浄瑠璃などをもとに18世紀はじ めに作り出した舞台劇です。現在ではなかなか観ることができなか ったのですが、昨年1月、沖縄本島の浦添市に「国立劇場おきなわ」 が誕生し、ここでさまざまな演目を常時観ることができるようにな りました。皆さんも、沖縄に行かれるのでしたら、ぜひ一度ご覧に なって下さい。 その組踊のなかに「雪払」という演目があります。残念ながら、 私はこの台本を直接見てはいないので、『沖縄大百科事典』(沖縄 タイムス社)当該項目(当間一郎氏執筆)によりますと、劇のあら すじは、継母の虐待で、家を追い出され、雪のなかに倒れている子 どもを巡見官が助け、継母に遠島を命じるが、子ども等の嘆願で許 し、継母も改心するというものです。これには、台本により二つの バージョンがあるようですが、いずれも、沖縄本島北部の雪降る野 外で仕事をさせられる子どもの悲劇が描かれ、沖縄本島内の村芝居 で演じられたようです。舞台上で雪がどのように演出されていたの か、興味深いものですが、そこに降る幻の雪を、人々はどのように 受け止めたのでしょうか。 奄美・沖縄で生活している限りでは、本物の雪を見る機会は無い のですが、ヤマトゥに渡った人々は、場所や時期によれば、雪を見 ることもあったはずです。このような機会として、記録に残ってい るのが、「江戸上り」と呼ばれる国の行事です。1609年以後、琉球 国の新王の即位報告と、徳川幕府新将軍の襲職のお祝いに、琉球国 は100人ほどの大がかりな使節を江戸に派遣しました。これを一般的 に「江戸上り」と言いますが、前者を「恩謝使」、後者を「賀慶使」 と呼びました。これについては、今までの研究で具体的な内容がか なり明らかになっていますが、これをわかりやすくまとめている 『江戸上り(沖縄県史ビジュアル版8 近世)』(沖縄県教育委員会) に、小野まさ子氏がまとめた一覧表によりますと、その時期が、琉 球を6、7月の夏に出発し、次の年の3、4月に帰ってくることが多か ったようです。 つまり、ヤマトゥで一冬過ごしているわけで、そこで雪に出遭っ たはずです。ただ、上記の本には、雪が降ることに対する使節参加 者の直接の言及を確認することができません。これを確認するため には、江戸上りのさまざまな記録に目を通さなくてはなりませんが、 これは後の課題にしておきたいと思います。ただ一つ、雪に関わる 景色で、間違いない記録を見つけました。それは、富士山を見たと きの記録です。琉球国を代表する知識人でもあった、使節の正使た ちは、江戸への道中、書物ですでに知っている名所旧跡を訪れるさ いに、歌を詠んでいます。たとえば、1790年、将軍家斉慶賀のさい の正使、宜野湾朝祥は、次のような和歌を詠んでいます。  かきりなき山をいくえかなかめきて    それそとしろきゆきのふしのね 雪降らぬ島からはるばるやってきて、目の前に現れた雪を頂く富 士の峰への感動をうたっています。最初に目にとまったのはやはり 頂上の「白き雪」でした。このような経験を経た士族たちは、これ を国に帰って、多くの人に伝えたに違いありません。これが、琉球 における雪のイメージの下地になっているのは、間違いのないこと です。南北に長い日本列島は、北と南では風土が大きく異なります。 琉球、沖縄における雪のイメージを追いかけていると、いろいろな ことが見えてきます。 たとえば、今でも、中学校までの国語の教科書、とくに古典のそ れには、ほぼもれなく雪をうたった歌が収められているでしょう。 ですが、文字の上、今ならテレビなどのメディアを通してでしか知 らない雪の歌を、あるいは雪の描写を「名作」として受け入れるこ とに無理があると思いませんか。外間守善氏という、奄美・沖縄の 文学研究の権威も、高校で教えていた頃、雪を教えるために、かき 氷の氷を教室で降らせたことがあると、どこかで書いていました。 東北や北海道など、生活の中で雪に苦しめられている人々も、逆の 意味で、優雅な雪の歌を受け入れることができないのではないで しょうか。近畿の一地域の風景が、日本列島全域を覆う傾向が強い ところに、日本の古典文化の一つの傾向をみることができます。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ■◇■ あとがき ■◇■ いや、今回は少しくどくなりましたね。次号がでるまでには、も う少し暖かくなっているでしょうか。あるいは、まだ、雪を観るこ とがあるでしょうか。 前号に引き続き、必殺シリーズをテーマにした歌です。  相手の命を削りつつ、おのが命も削る、仕事人の悲しさよ。 またまた、お粗末(^_^;) =========================================================== ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ □------◆melma ID:129047 □----◆発行人:レキオ □--◆電子メールマガジン:「奄美・沖縄エッセイ」 □◆ E-mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■




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