Don't take out me !


 ほどよく落とした照明と落ち着いた色合いのインテリア。低く流れるBGMに混じる男と女の囁き声は、甘く穏やかな大人の空間を醸し出している。
 そんな店の一角。
 バーカウンターの片隅で・・・。
 俺、渋谷有利だけは、今夜も落ち着かない夜を過ごしている。



 金曜日の夜の店内は賑わう。
 遠縁のおじさんに割の良いバイトを紹介され、半年前から始めたホストクラブの雑用バイト。初めは完全に裏方の仕事をしていたが、自分で言うのも何だが、根が真面目な俺はすぐに重宝がられ、今は店のバーカウンターの中に立って簡単なおつまみや酒を出す手伝いをしている。普通のバーと違って、ここはホストクラブだからカウンターの前にお客さんが座る事はない。だから、接客業には向いてない俺でも、真面目に仕事さえしていれば、まさに割の良い気楽なバイトだった。
 そう、気楽だったハズなんだよ、こいつさえ居なければ・・・。

「・・・・なあ、コンラッド。」
「何ですか、ユーリ?」

 俺はグラスをギュギュと丁寧に拭きながら、真正面から感じる取り込まれてしまいそうな程の熱い視線に、さっきから居心地が悪くて仕方がない。

「さっきからジッと俺の顔見てるけど、俺の顔に何か付いてる?」
「ええ、綺麗な黒曜石の瞳と可愛い鼻、それと甘そうな桜色の唇かな。」
「・・・・・・・・・・ごめん、聞いた俺がバカだった。」

 満面の笑顔で赤面ものの台詞を吐くこの男は、この店のナンバー1ホストだ。その癖に奢ったところがなく、ホスト仲間やスタッフからの信頼も厚い。そんな男だから、言い寄る女は数知れず、選り取り見取りの筈なのに、コンラッドは何が気にいったのか、やたらと俺にちょっかいをかけてくる。何のとりえもない、それも男である俺に、かなりストレートな愛情表現で、だ。向こうは商売で言いなれてる気障な台詞としても、言われ慣れてない俺としては恥ずかしくてしょうがない。

「あんたさぁ・・・、それ女の子に言ってやりなよ、すぐ落ちるから。」
「ひどいなぁ、俺はユーリの質問に答えただけですよ。それに、女の子を落としても別に嬉しくないですし。」

 女の子を落としたこともない俺にケンカを売ってるとしか思えないような台詞をさらりと吐き、店のバーテンダーから受け取ったバーボンを口にする男は、別に男が好きなのではないらしい。男ではなく俺が好きなのだそうだ。数ヶ月前に真顔で言われた言葉を思い出し、じんわりと頬が熱くなっている俺ににっこりと笑い、コンラッドは少し顔を近付けた。

「ユーリが俺の方へ落ちて来てくれれば嬉しいですけどね。」

 俺が立つ位置のちょうど目の前に座って、やや低い位置から俺を見上げ、他の者に聞こえないほどの声で囁くコンラッドの瞳が、カウンターの上に灯されたキャンドルの炎を映してキラキラと銀色の光を揺らす。その瞳の方が俺の真っ黒で平凡な瞳なんかより、よっぽど綺麗だと思ったが、それを素直に口に出来るスキルなど俺は持ち合わせてない。

「それより、あんた俺なんかの所で油売ってていいの?」
「油売ってるんじゃありませんよ。休憩時間ですよ、ちゃんと。」

 俺に話を逸らされても、コンラッドは目を細めて笑っただけで、そんな会話などなかったかの様にスーツの胸ポケットからタバコを取り出す。トントンとケースの端を人差し指で弾いて、出てきた一本を唇に挟み、慣れた手つきで火を付けた。俺がカウンターの上においてある大理石の灰皿をコンラッドの目の前に引き寄せると、ありがとうと微笑んでゆったりと紫煙を吐き出した。白い煙が薄暗い店の中をゆらゆらと妖しげに漂う。

「それなら尚更、休憩時間って裏の控え室で取るんじゃねえの?」
「普通はね。でも俺は、ユーリの傍が一番休まるんです。」
「なっ、何またバカなこと言ってんだよ・・・」

 あまりにも恥ずかしい台詞に、俺は思わずグラスを落としそうになり、慌てて棚に戻した。せめてもの抵抗で視線の先の男を睨んでみるが、すぐに一見邪気のなさそうな爽やかな笑顔を返されて、思わず深い溜息を吐いた。

「ほら、そんなこと言ってるから、あっちで院長夫人が睨んでるよ。」
「ああ、あのマダムね。」

 俺の視線の先を辿り、さっきからやたら俺を睨んでくるド派手なご婦人を確認すると、コンラッドはカウンターに片肘を付いた体勢で、タバコを挟んだままの指の先だけをひらひらと動かし、離れた席に居る客に向かってにこやかに笑い、パチンと音がしそうなほど艶やかに片目を瞑った。流石はナンバー1ホスト、今の今まで鬼の形相でこちらを見ていたご婦人の顔は、一瞬にして見事に蕩けるような笑顔に変わった。

「大魔人かよ・・・・」

 婦人の豹変振りと、親友の村田の影響で数日前に観た大昔の特撮映画の巨人が重なり、思わず呟いた俺に、コンラッドは一瞬瞠目し、すぐにプッと噴出しおかしそうに笑いだした。普段の気取った笑顔と違い、時折俺の前だけで見せる素の笑い顔に、俺は不覚にもドキリとする。
 コンラッドは腹を抱えて笑いながら灰皿に手を伸ばし、長くなったタバコの灰をトンと落とした。

「やっぱりユーリは面白いね。大魔人か、確かに。」
「あんた大魔人知ってんの?」
「ホストの知識として。」
「ああ、なるほど。年上の有閑マダムのお相手をする為に必要な知識って訳ね。」
「そういう事です。」
「ホストって、そういう知識も要るんだな。それなら村田もホストできるかも。」
「ムラタって?」
「俺の親友で大魔人教えてくれたヤツ。」
「そのお友達がホストする気があるなら、オーナーを紹介するけど?」
「いやいやいや、やめとこう。あいつがホストなんかやったら大変なことになりそうだ。・・・・うわぁぁ、ダメだ、ダメ。絶対に村田にホストはダメ。」

 色々と良からぬ想像をし、頭を抱えてブツブツと呟いていた俺だが、向けられた強い視線を感じ、抱え込んでいた頭を戻し顔を上げた。でも、すぐにその不用意さを後悔する。暗がりに映えて逆巻く紫煙越しに、薄茶に銀の虹彩が浮かぶ瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。その視線は、俺を途端に落ち着かなくさせ、酷く焦燥感をかきたてる。

「な、何?」
「ユーリの親友が羨ましいなって思ってね。」

 コンラッドの眼差しに至近距離で見つめられる事に未だに慣れない俺が、ドギマギとしたまま声を掛けると、コンラッドはそんな俺の様子に双眸を細め、少し寂しそうに笑った。
 その唇に挟まれたタバコの先の赤い火がチリチリと瞬き、ゆっくりと立上る紫煙は、俺とコンラッドの間をふらふらと頼りなく揺れて霧散していく。

「何で?」
「俺はこの店に居る時のユーリしか知らないだろ?でも、その親友は、ユーリの色んな顔を知ってるんだろなって思ってね。」
「俺は、そんな変わんないよ。ここでも、外でも。」
「そう?」
「うん、ほとんどね。それより、コンラッドの方が違うんじゃねえの?」
「俺?」
「そう、この店で仕事してるときと、オフの日じゃ全然違うような気がする。」
「どんな風だと思う?」

 小首を傾げ俺の顔を覗き込むコンラッドの顔を一度見つめ、俺は両手を胸の前で組み、目を閉じて想像してみる。

「そうだなぁ・・・・、今はビシッとスーツできめてるけど、普段はパンツ一丁だとか。」
「いや、さすがにパンツ一丁はないな。」

 コンラッドは、すっかり長くなった灰を灰皿に押し付け、タバコの火を消しながら苦笑いを浮かべた。そしてすぐに2本目に火を点ける。

「じゃあ・・・・、バスローブでブランデーグラス。」
「それもない。」
「んじゃ、すっげーお洒落なマンションとかに住んでそうだけど、意外に部屋が汚かったりして。」
「それは秘密。」
「何だよ、それ!気になるじゃんか!」
「気になる?」
「うん、すんげー気になる。」

 ムキになって言う俺に、コンラッドは悪戯を思いついたような、嬉しそうでいて意地の悪い笑みを浮かべながら、俺のすぐそばに顔を近づけた。タバコと香水の匂いがふわりと鼻先を擽る。

「じゃあ、俺は明日オフだから、今日終わったらウチにおいで。」
「へ?」
「ユーリがここの片付け終わるまで待ってるから。」
「や、でも・・・あの、えっと、何で?」

 この会話の流れは嵌められた。ナンバー1ホストの話術にまんまと乗せられた。だから、はっきりと断れば良いのに、俺の口調は何故だか強くならない。

「俺のことをユーリに知って欲しいし、ユーリのことももっと知りたい。それに、何よりユーリと一緒に居たいから。」

 いけしゃあしゃあと、そんな甘い殺し文句を言う男に、腹が立つやら、上手くかわせない自分が訳わかんないやらで、俺は口を酸欠の金魚みたいにパクパクさせながら、よろよろと目の前にあるコンラッドのグラスを掴んだ。そこにオレンジジュースをドクドクと注ぎ込み、ダンとコンラッドに突きつける。

「休憩の時ぐらい酒やめろよ。んで、そ、それ飲んだら、とっとと仕事に戻れ!あ、あとタバコも吸い過ぎ!」
「ありがとう、ユーリ。好きだよ。」

 最後の台詞は聞こえないふりをして、俺はコンラッドに背を向け、手をヒラヒラとさせながらカウンターから離れて行く。決してコンラッドから逃げたんじゃない。裏に仕事があったからだ。火照った頬を両手で押さえながら、ズンズンと廊下を進み、ワインセラーの扉を開けすぐにドアを閉めた。ドアにもたれ大きく息を吐く。

「何なんだよ、あいつ。あんな直球ど真ん中な台詞、恋愛初心者な俺にサラッと言うんじゃねえよ。ってか俺、なんで断わんねえんだよ・・・」

 断れない理由なんて、ホントはとうに分かってた。でも、それを認める勇気がなくて逃げてばかりいたんだ。そんな俺に、ホストナンバー1な男が気付かない訳がなくて、今日、今というタイミングで向こうから仕掛けてきただけだ。

「男、渋谷有利、いつまでも逃げてねえからな。」

 ワインリストを書き込んだメモとボールペンをギュッと握り締め、俺は決意を固めた。今日、この気持ちに決着をつける!
 そう意気込んでワインセラーのドアを開けたところで、俺の決意はすぐに折れそうになった。丁度真向かい側にあるオーナーの部屋から、決着を付ける相手であるコンラッドが出てくるのが見えたからだ。無意識に身を翻し、またワインセラーに逆戻りした俺の背後でバタンとドアが閉まり、一気に背中に緊張が走った。恐る恐る振り返ると、そのままグイグイと押され、気が付くとワインセラーの隅まで追い込まれて、顔のすぐ横の壁にコンラッドの片手がつかれた。

「コンラッド、もう休憩終わったんじゃなかったの?」
「ええ、終わりましたけど、オーナーに呼ばれてたんです。」
「ああ、そう・・・。」
「どうして逃げるんですか?」
「し、仕事がまだ・・・」

 コンラッドのもう片方の腕が俺の制服のベストのポケットに伸び、中からメモが摘み出され、チェック済みのワインリストがピラリと目の前に広げられる。

「仕事、終わってるじゃないですか。どうして逃げるんですか?」
「・・・・・・なんとなく?」

 二度目の問いに頬をひきつらせ疑問形で答える俺を見下ろし、コンラッドは前髪を掻き上げ大きく溜め息をついた。

「お願いですから逃げないで下さい。」
「・・・・・・はい。」

 グッタリと観念した俺が大人しく頷いたのに安心したのか、コンラッドはほわりと笑った。間近で見るその笑顔に、俺の心臓が有り得ない程の速さで鼓動を刻む。

「もう逃げない?」
「・・・・うん。」
「絶対?」
「しつこい・・・」
「だって、今日仕事が終わってから待ってて、また逃げられたら悲しいじゃないですか。」

 そう言って両手を俺の顔の横につき、コンラッドは俺の逃げ場を完全に塞いでしまった。

「もう、逃げないよ。でも、コンラッドの方こそ、仕事終わりでどっかのご婦人とアフターとかあんじゃねえの?」
「断りますよ、そんなの。」
「でも、そんな事したら、あんたの仕事が・・・」
「大丈夫です、そんなことでダメになるような仕事の仕方はしてませんから。」
「でも・・・・、ホントに俺で良いの?俺、男だよ?抱きしめても柔らかくないし、良い匂いもしないよ?」

 その瞬間、ふわりと抱きしめられた。

「ユーリがいいんです。確かに柔らかくはないけど、抱き心地は悪くないですよ?それに、良い匂いがする。シャンプーとお日様の香り、かな。」

 コンラッドは腕の中でモゾモゾともがく俺をやんわりと胸元に抱き寄せ、俺の頭の天辺に口吻けた。俺は真っ赤になってすっかり固まってしまい、返す言葉も思いつかない。鼻先に触れるコンラッドのシャツは、夜の大人の匂いがした。

「今日、待っててもいいですか?」
「・・・・・・うん。」
「じゃあ、約束の印。」
「え?」

 不意に、唇に何かが触れた。突然の事に成す術もなく呆然としている俺を尻目に、そのまま頭に手を回され、微妙に開きかけだった唇から思いがけず舌が差し入れられる。戸惑う俺の舌を捕らえて軽く吸い上げ、そのまま唇を舐められて背筋がぞくりと粟立った。何の前触れもなく降ってきた濃厚なキスに対処出来るほど、俺は大人じゃない。

「・・・んっ・・」

 思わず漏らしてしまったくぐもった声に恥ずかしくなって、俺ははますますパニック状態に陥る。反射的に振り上げた拳は、とうの昔にコンラッドの腕の中だ。
 突然のことに思考がストップして、唇を解放されても目を丸く見開いたままパチクリと瞬きを繰り返す俺を、強く両腕で抱きしめ、コンラッドは熱い吐息を耳元に落とした。

「ユーリ、もう逃げられないよ。続きは、あなたを持ち帰った後で、ね。」

 最後に俺の瞼に口吻け、コンラッドはさっきの俺と同じようにひらひらと手を振って仕事へと戻って行った。その背中がなんだか凄く楽しそうだ。
 パタンと閉まるドアの音。途端、膝の力が抜け、俺はその場にズルズルとしゃがみこんだ。

「俺って、お持ち帰りされちゃうのかよ・・・・」

コンラッドとの初めてのキスは、タバコの香りと100%オレンジジュースの味がした。







あんまりホストっぽくないかもしれませんが、ホスト次男と言い張る!(笑)
とりあえず次男にタバコを吸わせてみたかったんですが・・・・・、ホストになっても次男にはタバコあんまり似合いませんね。
Σ って言うより、あたしの文章力不足か!?

okan
(2010/04/04)

NEO HIMEISM