ろば君のヨットな日々
Since Jan. 2009
なぜ、ヨットに乗りたくなったか。
今を去ること26年前の5月、学会で沖縄に行った際に、1日offができて、何か沖縄に来た証となることをしようと思い、ヤマハのヨットスクールの一日コースに行ったのが、始まりです。
当時は、今よりヨットは人気があり、ヤマハは各地でヨットスクールを開催していたように思います。
スクールの場所は佐敷マリーナで、那覇からバスに乗って行ったのを覚えております。
当日は、他に生徒もなく、マンツーマンで指導を受けることができました。船は505だったと思います。先生は当時国体を目指していた与儀さんと言う方で、若干の座学のあと、海に出ました。午前中は出港から帰港まで基本的なことと、タッキングやジャイビンググを先生がティラーを握って、私がクルーとなって教えてもらいました。午後からは、私がスキッパーとして出港から帰港までさせてもらいながら、指導を受けました。午後からだいぶ沖に出たのですが、若干の白波が立つ中の練習となりました。
このとき、風を受けて波の上を飛ぶように、しかも揺れなく帆走するヨットに魅せられたのでありました。
レッスンが終わって時計を見ると、止まっているではないか。そのときは、日常生活防水とはいえこれはないだろうと思ったのだが、今にしてみるとかなりのスプレーを浴びたのかもしれない。
その後、大阪で開かれた、ヤマハのボートショーを見に行ったのだが、当時は経済的にも高嶺の花だった。
それから二十数年間、海外出張した帰りに買ったSailと云う雑誌を米国から年間購読したりと思いを捨てた訳ではなかったが、次第に遠ざかっていった。子供が大学に入った、2005年に家族サービスでは無く自分のためにヨットに乗りたいとの思いが強くなった。
ある日、ちょっと中古のヨットでも見に行くかとの私の言葉に、妻がドライブがてらということで、某中古艇販売店に行ってみた。そのとき、ヤマハの23、24、25マイレディーなどを見たのだが、ポンツーンに浮いていた20年もののハンター26.5に乗ったとき、室内の感じが良い、デッキが全面ノンスリップになっているのが気に入り、衝動的に決めた。(後で知ったが、H26.5は船外機が基本で船内機はオプション。もちろんノンスリップデッキもオプション)
Hunter 26.5 1987年進水
長さ 8.1m
幅 2.75m
吃水 1.07m
バラスト 0.817ton (ウィングキール)
補機 ヤンマー 2GM20
その他 レイジージャック、ジブファーラー
150%ジェノア、110%ジェノア(重宝してます)
追加したもの PSS、
ビニミトップ(米国から個人輸入)
青木洋さんと(H265の後ろがML25だがH265で決まり
ウィングキールのはしりの頃のヨットです。
室内は、結構広い
ヨットといっても、ディンギーでない限り、出港と帰港は機走するわけで、必ず小型船舶操縦免許証が必要になります。今回は2日間の講習でとれる2級をとることとにしました。2級は岸から5海里以内が航行区域になります。・・・・が、ヨットの場合限定沿海の航行区域が瀬戸内海全域なのに2級では播磨灘に行けない。・・・・・うーん、一念発起して一年後に1級に昇級しました。
免許は、尾道海技学院の缶詰コースで取りました(先生は皆優しい)。
とりあえず2級
2級のキーは操船ですが、特に初めての者にとっては着岸が難しく、半分お情けの合格だったと思います。船に乗るようになってから練習するようにとの先生の言葉が、実際操船をしてから実感となりました。シャフトドライブのヨットとインアウトドライブの試験船では大分感じは違います。小回りは断然スペードラダーのヨット。
そして1級
1級のキーはナビゲーションですが、これは慣れの問題ですね。私は三角定規より平行定規の方が小型船舶向きだと思うのですが、授業も試験もあくまでも三角定規です。授業中に両方でやってみましたが、平行定規の方が断然早くわかりやすい・・・・。
というわけで、今は1級となっております。免許の上では世界中に行けるのですが、船は行けない。船の航行区域はは限定沿海+沿岸でとりあえず瀬戸内海から出ることが目標・・・?。
登録するためには、船に名前をつけなければなりません。船を買うことに理解を示してくれた妻と娘に敬意を表して、(どんな名前でも文句を言わない条件で)命名権をプレゼントしました。で、決まった名前が Burro's Burrow (日本名なら、ろば庵?)。ちょっと恥ずかしいので小さな文字で表示することとしました。いずれBurro's Burrow の下に大きな文字で「ろば庵」とでも書きましょうか。「きらきら丸」さんは、長たらしい英語の名前は遭難したときに誰も呼べないよと言われて艇名を変えたそうだ。次の船検には考えよう。
ビニミトップ
妻のヨットに引きずり込まなければならない・・・との思いで、ビニミトップの価格をインターネットで調べると、これが結構高い。アメリカ製のヨットなので、アメリカではと調べると、なんと半レディーメードがあるではないか。値段も約$450と破格値。これをインターネットで発注するが、連絡はさっぱり・・・・で、TELをすると確かにオーダーは入っているが、送料が約$200かかるので、確認が必要だとのこと。OKすると一週間後には日本に届いた。これを整備中のヨットまで持って行き、マニュアルの指示通りに位置決めして取り付けた(簡単簡単)。ベルトを止めるためのアイはバックステーのアイとライフラインのスタンションで代用。ただし、さすがにアメリカ製はおおざっぱで、幅が10cmほど広い。そこでアルミのパイプを切って調整した。
ウィンドウシル
表面がかなり痛んでおり、ひび割れも発見。自分で交換できるよとの言葉に一念発起し、アクリルをポリカーボネートに変更して型どりしてもらい交換した。裏面にラッカーを塗ると良いよとの言葉に、「そうなんだ」と合点して塗ったが、最近ラッカーが浮いているような気がする(雨漏れはない)。直接ポリカ用のシリコンシーラントで着ければ良かったような気がする。
PSS
これは、販売店にお願いした。2ヶ月ほど経ったとき、ビルジに水がたまり、確認するとPSSから漏れている感じ。早速電話でSOSしたが、結局電話の指導で自分で直す羽目になってしまった。おかげでPSSの構造は理解したが、まじめに仕事しておけって感じ。
船を買い、とりあえずの装備品もつけて、いつでも回航OKなのですが、回航担当の方との日程が合わず、1ヶ月ほど海上に係留した後に持ってくることになりました。明石海峡を通らなければならないため、潮流を考えて、朝6時の出発となった。担当の方がすっかり出港の準備をした後にホテルまで迎えに来てくれて、そのまま出港。
明石海峡までは、ほとんど機走で、担当者が言う経済速度(2500rpmで5〜5.5ノット)で進んだ。海流は明石海峡を超えたところで流転しました。ぎりぎりでしたが、ほぼ計算通り? その後、風もできてきたので、クローズホールドで6〜6.5ノット(GPS)で帆走。このとき、150%ジェノアで船は最大30度くらいの傾き、担当の方の話では、「早めにリーフィングした方が良い船」だと思いますとのこと。腰が弱いのかな。
かくして、午後4時頃姫路港に到着。この間、タッキングをしたり、ティラーを握ったりと、昔の感を取り戻した。ウェザーヘルムは結構強い・・・・早めのリーフィングが必要の理由はこれで納得。
最初は、妻と二人で出港した。港から出るのが大変。なかなか思ったように動いてくれない。この頃は舵効き速度があることをしらず、微速+アルファでの操船・・・舵を切っても曲がってくれない。おまけにポンツーンから出るとき、漁船をやり過ごそうとして微速にしたところ波を受けてエンジンがストールしてしまった(今なら、波がくる寸前にクラッチを切ることで回避)。船は流されるし、エンジンはかからないし、ポンツーンにバウが当たりそうになったとき La Festa さんに押し戻してもらい、ことなきを得た(このことは、後で妻から聞いて知った)。
この日は、風もなく、機走で鞍掛島一週コース、約10海里 3時間の航海だった。
2回目の航海は、時間は短いが、大変な航海であった。 メインを上げて帆走したまでは良かったが、バックステイに止められているブームエンド固縛をはずすのを忘れて、クローズホールド。ビームリーチにしようとして方向を変えたところ、急な強風と波で船が倒されそうになる(といっても40度くらいだと思うが)。あわてて風上に向けて、妻にティラーを握らせ、ブームエンドの固縛をはずしそのままタックして、ブロードリーチで、波の間をスキーでコブをスラロームする感覚で操船し、無事帰港。行きは1時間強、帰り30分弱。海の天気は変わりやすく、出港準備の手順化を肝に命じた。これが妻の最初のヨット経験なら二度と乗ってくれなかっただろう。
船の引き渡しを受けて2ヶ月後、青木ヨットスクールのベーシックコースを妻と二人で受講。妻は船が傾くとキャアキャア言っていたのだが、ヨットは傾いて走るものと言うことを理解したのが最大の収穫。2日目に30度くらいヒールしてのクローズホールドは、最高だった。私の収穫は、着岸訓練と、デモしてもらったヒーブツー(今も、強風下でヒーブツー、離脱を時々練習してます)。生徒は、妙齢?の女性がもう一人いました。ヨットに乗りたければスクールで勉強しなさいとのパートナー?の一声で一念発起とのこと。一級免許保持者でした。私にとって他の収穫はあまり無く、ロープワークだの何だの妻の相手をしておりました。先生はもう一人の相手。おかげで海に出ていられる時間が長かったと思います。沖縄でのスクールから何十年も経っていましたが、そのときの経験とそれを本で確かめて、シミュレーションしてきたことが間違いでなかったことを確信したスクールでもありました。
結論;時間があまり無い人間にとっては、自分に合わせて教えてもらうためにはマンツーマンが一番か? 次のコースはしばらく経ってから考えることにする。
その後、しばらくは妻とセーリングをしてました。下はそのときのビデオ。クローズホールドで6.8ノット(GPS)だが、海流を考えるとほぼハルスピード。110%ジェノアを使用しているため、ウェザーヘルムはそれほどではないと思ったのだが、それでも妻は重いとのこと。ぎりぎりではあったが、縮帆せずに帰港。帰港後、リーフィングシステムをチェックするが、ワンラインリーフは滑りが悪く、結局マスト下での作業が必要になる。しばらくは、タック側をフックにかける通常のリーフィングシステムに戻していたのだが、急に時化たときに対応できなかったため、タック側とリーチ側を別々のロープで引張るツーラインリーフィングシステムに変更。合わせてロープロック(シートストッパー)もSpinLockを追加。5秒とは言わないが、10秒くらいではリーフィングできるようになった。これなら、急に突風にあおられても大丈夫。(今までは、突風が吹き始めたら、まずシートを緩め、舵をオートパイロットに任せて艇を下らせて、ジブの小さめにしてから、メインをリーフィングをしていたため、結構時間がかかっていた。)
GPS
携帯GPSを買おうと思ったのだが、ネットオークションでおあつらえ向きのものがあり、競り落としたもの。ちょっと旧式だが、私のヨットにはちょうど良い大きさ。購入後ROMを瀬戸内海に入れ替えてもらい、総費用も携帯GPSよりは安く非常に重宝。特にガスがかかった陸が見えないときも、自分の位置と進行方向がはっきりわかるため、安心して航海できる(こんな日のワッチは神経を使うが)。
オートパイロット
これもオークションで手に入れた。NAVISCOの古いタイプだが、シングルハンド時に重宝。もっとも、これを着けた後、妻が乗ってくれなくなり、当初のもくろみとは違っているが・・・・。
太陽電池
バッテリーが頻繁に上がるようになり、コンパニオンウェイの上に取り付けた。バッテリ上がりの原因は、前所有者が配線したと思われるサブバッテリーへの分岐システムやそのほかの回路に常に電気が流れるようになっていたためだったのが後で判明したが、オートパイロットを頻繁に使うときには心強い味方。充電の制御装置も取り付けたので、乗らなくても満タンに充電。便利便利!!
ドジャー
12月に的形から戻った際、港の中は静かだったが、外は非常に波が高く何度も波に腹を打ちながらの航海だった。そのとき、防水性のジャケットを着てはいたのだが、頭からスプレーを浴びての帰港となった。ドジャーを新調すると軽く20万円〜30万円するとのことで、当家の大蔵大臣からOKはもらえそうにもないので、自作することにした。材料費は市販の1/10の費用の2万円強で製作できたと自賛。さらに、完全クローズにできるようにして、オーニング代わりにも。
ものぐさなため、ドジャーはほとんど付けっぱなし状態です。
参考書 :Don Casey 著
Don Casey's Complete Illustrated Sailboat Maintenance Manual
International Marine/McGraw-Hill
日本のAMAZONで購入。
パイプの曲げ方やキャンバスワーク、修理法が丁寧に書かれている(和訳はなし)。
部材 :West Marine でヒンジ類とツイストファスナーを購入。
舵社で追加のツイストファスナーを購入(West Marineと同じもの)。
パイプは、ホームセンターで購入したφ19のオールステンレス(SUS304)
(φ25にしたかったのですが、曲げ力の関係でφ19にしました)
布は防水アクリル製だが、すでに退色あり。Sunbrellaにしておけば良かったと後悔
ガラスは1mm厚のアクリルガラスを使用(前方がクリアに見えます。これは、かなり優れもので、冬に波にたたかれても平気です)。
真ん中に線は見えますが一枚ガラス
手前に見えるのが太陽電池(布はすでに退色中)
通常の状態(視界良好)
コンパニオンウェイ側を閉めるとオーニング
ライフラフト
とりあえず4人用を積んでいる(船検には関係ないけど、オマジナイ。船底に入れているので、バラストの助けくらいにはなるかも)