バクのお仕事

 ……嫌だなあ。このお姉さんの夢ってさ、胃にくるんだよね。
 おれはバク。いわゆる夢を喰う生き物のあれだ。姿は人間で、生まれも人間だけどな。
 早い話が、夢をどうこうする特殊能力を持っているワケ。だからバグなのよ、おれ。

 おれは今、ある女の枕元にいる。
 もちろん場所はおれの部屋でもなきゃ、ホテルでもない。その女の室内だ。
 色っぽい話になりそうだなあ、なんて恥ずかしい勘違いは頼むから止めてくれ。これでもおれ、仕事中なんだよ。悪夢をさ、見ないようにさせてくれって、女から依頼されたんだよ。
 毎日毎日、寝れば必ず悪夢を見る。覚えてないけどそれが悪夢だってことは分かっている。だから最近じゃ、夢を見るのが怖くて眠れない。
 それで、不眠症になって、おれンとこに来たってワケ。
 でもさ。おれはバクだけど、バク人間で、おれのとこに来る依頼者は大抵、悪夢をむしゃむしゃ食べてくれなんていう、子どもが親から寝物語で聞いたようなことを実際に期待してやって来るんだけど、悪いけどそれ、この業界では禁じ手になっているのよ、残念ながら。
 夢をどうこうできるのが売りだけどさ、だからってナンでもできると勘違いされちゃ困るんだよね。 バクって名前から連想してしまうんだろうけど、でもおれにできるのは大したことじゃない。悪夢と戦うのは依頼者本人が鉄則で、おれはそのお手伝いをするだけ。悪夢を喰らうなんていう離れ業もないではないけど、記憶の破壊につながるからやっちゃいけんのだよ。いざってとき以外は。だから長期戦になりやすくてね。
 あーあ。……ホント、こんなのが毎日なんて参るよなあ。おれもこの人も。
 おれは女のベッドの上で、ふわふわ浮いて考える。
 あ、今のおれはね、実態のない状態なの。おれの肉体は、おれの部屋の布団の中でおねんねしている。今のおれは肉体から抜け出した幽霊みたいなもん。こうでないと、夢の中に潜り込めないからね。
 女が低く呻く。悪夢を見ているのだ、現在進行形で。まったく毎晩毎晩、感心するよ。おれはため息を吐く(実体がなくても--いまおれのの状態ってば、幽体離脱みたいなもんだからね--そういうことはできるのだ)。そしてちょっとだけ、しょげかえる。
 だってほら、この人このところ毎夜なワケだし。ああ、このお姉さんってば、おれが言った通り、現実的対処を全然する気、ないワケなのねー、とかいろいろ考えてしまうワケよ。
 だって、夢ってのはほとんどの場合が、現実に抱える苦難の抽象化なんだよね。これを見抜いたフロイトはすごいよ、バクでもないくせにさ。でもあのおっさんはエロエロ過ぎていかんけどね。セックス絡みの解釈が多すぎ。しかも原因は親との確執ばっかだし。ヤバイじゃん。
 でもね。実際、そういうのが圧倒的に多いのも、事実なんだよね。このお姉さんもそうだし。今どきありふれた母娘の確執。もう耳にタコができそうだよ。やってらんね。
 でも仕事だから仕方ないよな。おれはため息を吐いて、いつも通り女の夢に入り込む。
 これは仕事、仕事だから仕方がない、って言い聞かせて。

 夢の中は薄暗い。足元は泥沼で、ヘドロみたいな感じ。生臭い匂いが鼻につく。
 しかしこれでも、以前よりはマシになっているのだ。たぶん。あんまり自信がないけど。
「いやあああ、助けてえええ。ちょっとバクー! どこで何やってるのよお、どうして来てくれないのよお、依頼者見捨てるつもりなの!? 冗談じゃないわよ、どうして私ばっかりいい」
 泣き叫び、おれを呼び求めるお姉さんの声。おれは渋々依頼者の元へ向かう。
 ヘドロが勝手に盛り上がって、人型になり、女にまとわりついていた。あがいてもあがいても解放されないそれは、まるで意志があるかのような動きを見せていた。
 それも当然だろう。人型ヘドロは、彼女の母親の象徴なのだから。
 結婚とか就職とか、遡れば初恋相手や進学やクラブ活動にまで、いろいろで母親に口出しされて縛られまくった人生を歩んでいたらしい。本人の語るところによると。それで今のこの現状があるわけだ。VS母親との対決。あきれるほど、簡単な構図。
「やあ、圭子さん。元気そうだね、今夜も」
 おれは泥沼の表面辺りまで降りていって、のんびり言った。
「元気じゃないわよっ、この状況が目に入らないの!? ああもう、いったい何なのよこれは!? なんでいっつも、こんなのに捕まらなきゃ行けないのよ!?」
「だからそれはー、あなたのお母さんだって。あなたの積もり積もった恨みや確執がそれを生んだんだよ。ほらよく見て。それ、あなたにまとわりつくそのヘドロの顔。誰かさんに似てると思わない?」
「ええそうね、そっくりだわ。分かってるわよ、だから自覚したわ。これはお母さんよ。私はお母さんと距離を置く必要がある。そう言いたいのでしょ。分かってるわよ。だからあれ貸してよいつものあれ!」
 おれの話をどこまで納得しているのか、女はおれに手を伸ばす。その目は、初めて会ったころと違ってらんらんと輝いていた。生気にあふれた目。なにもかも諦めてたころと違って、戦闘意欲に燃えた目だ。 おれはその目に口元を歪ませる。
 今でこそこんなんだけどさ。初めのころは、こっちでこんなふうに会話できるようになるなんて、考えられないくらいだった。怯えるか泣き叫ぶか。まともな会話は全然だめ。
 ホント、あきれるほど強くなったよ。そら恐ろしく思えるくらいに。
 母親像もね、最初はもっと黒くて粘りけがあって、強うそうだったんだ。まるでタンカーからもれた石油みたいでさ。一度捕まれば、身じろぎすることもできないほどだったのに。
 それが今では、ただのヘドロだもんな。
 ま、それだけ支配が薄まっているという証左なんだろうけど。
「あーもう、はいはい。いつものあれね。んじゃあ……はい。これでやっつけてくださいね」
 エキセントリックに叫ぶ女に辟易して、おれはブンと腕を一振り、何もない空間から女が所望するものを創り出し、手渡してやる。それはいかにもな、たとえば家庭用ゲームの主人公が持つような見た目ばかりが大仰な、大型の剣である。
「そう、それよおお! それさえあればあああ!」
 彼女は剣を手にした途端、いきなりヒットポイントまで増えたみたいに元気になった。
 慌てて剣の届かない場所に逃げるおれ。
 彼女はさながら、ゲームに登場する女剣闘士の如く、大きすぎる剣を器用に軽々と振り回して、まとわりつくヘドロを手加減なしに、バッサバッサと断ち切っていく。
 ザン! バシュ! ジャバアア!! 
 切っても切っても斬れずにすぐに元の形に戻ってしまうヘドロ相手に、細い体で切って切って切りまくる。剣の重みなんてないみたいに。いや、実際ないのだろうけど。
 おれはそれを、複雑な心境で見守った。……ちょっとやり方、間違えたかなあ。
 おれが生み出した剣は、見た目はごついけど、実際に重みを感じるかどうかは彼女次第なのだ。だってここは夢の世界。でもってこの世界の王は、彼女なのだ。あのヘドロを生み出して操っているのも、実は依頼者−−あのお姉さん自身なんだよね。
 だからあのヘドロに勝つのも負けるのも、彼女の心持ち次第。おれの創り出した剣の、強さや鋭さなんか、本当は全然関係ない。むしろ彼女が、この彼女の創り出した世界の中で、自分で武器を作り出せないのが、不思議なくらいだ。
 きっと誰かの一押しがないと、彼女は攻撃的になれないんだろう。
 だけどね。おれが呆れるのは、彼女が今では、それを笑顔でやってのけていることなんだ。嬉しげに、楽しげに、嬉々として。まるでゲーセンの仮想世界で、ゾンビくんを倒すのを楽しむ小学生みたいに。それも、あのヘドロは、母親の象徴だと自覚したうえでだぜ?
 おれは戦うお姉さんを眺めつつ、ため息を吐いた。
 だけどさ、おれがいなければ戦うこともできないのは、まだ母親の抑圧から、ちゃんと解放されていない証拠でもあるワケなんだよ。……たぶん。
 だけど、おれは正直、この人をこれ以上抑圧から解放するのが、ちょっと怖い。
 おそらく自分で武器を作り出せないのは、作ってはいけないという思い込みがあるからだろうと思う。それはきっと、この人の無意識に残った良識だったりするわけで。だけどもしこの人が、その一線を越えられるようなことになれば、そしたら何が起こるだろう?
 夢の中ではなく、現実世界で。
 それを考えると、ぞぞっと背筋に寒いものが走る。
 まったく、どうしたもんだろうかね。
「あんたなんかさっさと消えちまえ! あたしをいっつも苦しめて! 毎夜毎晩、あたしにまとわりつくんじゃねえよ! あんたなんか、あたしに切られて死んじまえよ!! 死ね死ね、死ねええ!!」
 おれの悩みなんて当然知りもせず、女は剣を振り回して高らかに哄笑する。笑っている。
 おれはもう一度ため息を吐いた。……ホント、どうしたもんだろうね

 Fin.
←小説INDEXへ      
By Tacni Ririko copyright (C) All rights reserved since June 2006.