ラビットカー・スタイルから近鉄マルーン色時代に入り、6000系にも様々な手が加えられるようになりました。特にスタイルを大きく変えたのは1970年代後半から始まった冷房化改造でしょう。その後も車体更新工事や2色塗化等を経て元6900系グループは1997年以降に引退(電装部品は他系列の養老線転出車へ転用)、残った編成のうち最後まで6000系を名乗った6009Fが6820系の登場と入れ替わりに引退した他は養老線へ転出、再改造により1M2T化されているものの現在も同線主力車として活躍しています。
モ6001・6003−モ6002・6004+ク6101・6103+ク6111・6112:近鉄マルーン1色に標準化された頃の6001F・6003Fです。外観上は塗色以外、ラビット・カー時代とほとんど変わりありませんが、モ6000(偶数車)とク6101〜6104の運転台機器はこの頃までにほとんどが撤去されていたようです。
モ6001・6003−モ6002・6004+ク6101・6102+ク6111・6112:1977年から冷房化改造がはじまりました。この時ボディ自体はクーラー搭載による補強以外、痛んだ部分のみ補修を行っただけのようです。またパンタグラフもPT42タイプに換装されています。ちなみに元6900系と同年代の車両でこの時代に冷房化改造をうけたグループはまだおらず、後に大阪線1480系や名古屋線1600系が冷房化改造を施されたのはこの編成の改造実績がモノを言ったからかもしれません。
モ6001・6003・6005−モ6002・6004・6006−サ6101〜6103−ク6111〜6113:本格的な車体更新工事が施された頃のスタイルです。モ6000(偶数車)やク6101〜6104の運転台や乗務員扉は完全に撤去され、その跡には客室窓とほぼ同じサイズの大型固定窓が設置されました。(座席の延長は行われなかったのでこの部分は立席スペースが広がっていました。)
モ6001・6003・6005−モ6002・6004・6006−サ6101〜6103−ク6111〜6113:2色塗化された活躍末期の頃のスタイルです。引退直前はあべの橋−吉野間急行運用によく入り、豪快な走行シーンを目にすることが多かったです。
モ6009−モ6010+サ6151+ク6105:当初から6000系として登場した編成の近鉄マルーン1色に標準化された頃のスタイルです。
モ6009〜13−モ6010〜14+サ6151〜53+ク6105〜07:冷房化の後に車体更新工事を施された頃のスタイルです。側面の種別&行先表示幕窓は現在のそれと比較して角のたった武骨なものでした。
モ6009〜13−モ6010〜14+サ6151〜53+ク6105〜07:2色塗化された活躍末期の頃のスタイルです。後にこのグループは6009Fを除き再改造を施されて養老線へ転出、現在も同線で主力車として活躍しています。
モ6015−モ6016+ク6108:6000系グループの中で最後まで3連として活躍した編成です。
モ6017−モ6018+サ6109+ク6114:冷房化改造を受けるまでは3連+Tcと6000系グループで少し違ったスタイルを誇っていた編成です。ちなみに他の3連車が検査入場した時はまれにこの編成からク6114を抜いた基本3連で運用に入ることがありました。その為ク6109には連結面下に電気連結器が、車掌室下にはク6114連結用のジャンパ栓が両方装備されていました。しかも冷房化&中間T車化された後にサ6109は6020系6037Fに編入され4連化、加えて同編成と共に養老線へ転出と数奇な運命を経て現在も同線で健在です。