2000年 6月04日

 中川勝彦

   1984年、男なのに真っ白い肌、薄い化粧に口紅、そしてフリルのシャツ、中性的を超え、女性的なイメージでメディアに出現した中川勝彦の登場は、衝撃的であった(決してメジャーではなかったけれど)。その余りにも華麗で端正な容姿は、同時代そして同じ中性的という事で人気をはくしていた本田恭章に引けをとらないものであった。当時はバイ・セクシャルという言葉がもてはやされたが、90年代のヴィジュアル系というものと同等かつ、はるか以前の三輪明宏、ピーターなどはその先駆けでもある。 
   うしろ髪を伸ばし、横髪は流す。美白の化粧をほどこし、フリルのシャツに細いパンツを装う中川勝彦の容姿は、1980年代初頭、イギリスに端を発するニュー・ロマンチックス(adam ant ,duran duran)あるいはJAPANなどのファッションが日本に流れ込んだ結果だった(次第にそれは黒服、今ではカラス族とう言うらしい、となる訳だ)。    メディアにおいて衝撃的だったのは、「TESS」という缶紅茶のCMに、中川勝彦が出演した事だ。ザ・タイガースの「花の首飾り」をBGM(中川のカバーによる)に、たった一言、「テス、ですね。」というセリフなのだが、またその言い方がカマっぽいこと。もちろん、中性的なものを受け入れる感性の持主においては、何んとも言えない甘味を与えたことだろう。 
   初期の中川勝彦のヒット曲は「Please Understand Me」である。大ヒットとは言えないが、恐らくシングルとしては一番のセールスではなかろうか。作詞:安井かづみ、作曲・編曲:加藤和彦。「Please Understand Me」は大ヒットこそしなかったものの、なかなか良い曲である。歌詞も中川勝彦のイメージに当てはまるものである。今でもCDで入手する事は可能だ、アルバム「Double Feature」。近未来的なヴィジョンと退廃的なイメージ、そしてサビの歌詞「Please understand me ,just a little please ,undestand me」を、声をひっくり返して聞かせる当作品は印象的である。私は当時、なかなか良いなあと思いつつ、これを作曲した加藤和彦も、単なるバンドあがりの作曲家ではなく、良い曲を書くではないかと思った。ところが、どっこい!まんまと騙されていた。何んとかのデビット・ボウイの「All the young dudes」のパクリではないか。更に、それをカバーして大ヒットしたMott The Hoopleの編曲をほとんどそのままパクッているのである。日本で大ヒットしなかった事をいいことに、パクるのは良しとしても、クレジット(作曲者)まで加藤和彦と偽っていたのは、よくある事とは言え、余りにもみすぼらしかった。しかし、その胡散臭さが、何にがしか中川勝彦のイメージを更に際立たせて止まない。
    しかし、その中川勝彦も華々しいデビューも、マスメディアにおいては、1〜2年ほどしかもたなかった。おそらく自責の念もあったのであろうが、彼は地道に自分の音楽活動を続けた。もちろん、化粧をおとして。中川勝彦の存在は、メディアから全く消えてしまった。そして10年の時が過ぎ、1994年8月、彼は存在そのものを消してしまった。それは余りにも出来すぎたと言うか、親族には申しわけないが、貴公子・中川勝彦の美しい死にざまであった。中川勝彦、白血病にて逝去。享年32歳。


 極私的 夭折列伝 
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