2003年07月03日

 庄司紗矢香を聴いて

 先月、大阪のフェスティバルホールで庄司紗矢香の演奏を初めて生で聴いた。演奏曲はブルッフのヴァイオリン協奏曲第一番だった。私は数あるヴァイオリン協奏曲のなかで、ブルッフのこの作品が一番好きだ。甘味なメロディーと洗練された技巧が求められるこの曲はヴァイオリニストの課題曲として用いられることで名高い。特に第二楽章のセンチメンタルな弦の鳴きは、トワイライトにたたずむ慕情をいだかせる。恋人にふられ、ひとり淋しく、落ちた夕陽に向かって涙する、そんな感情を彷彿とさせるのは私だけであろうか。

 庄司紗矢香の演奏は、確かにその感情を私に再現してくれた。まずテクニカルで激しさが求められる第一楽章を、庄司紗矢香はみごとにその力量を発揮してくれた。あの小さな体を、それこそ弓なりになって弦に叩きつける姿は、まるでヴァイオリンと格闘しているかのようだ。そこから空間に伝わってくる音は、クリアだが決して澄み切っているという訳ではなく、格闘した汗がしみこんだような匂いを感じさせた。若干、遅めのテンポで第一楽章の演奏を終えると、すぐさま第二楽章にはいった。私の好きなこの第二楽章のメロディーが流れだすと、奏者と私の間にある空気の層がにじみだした。庄司紗矢香の脇の下からあふれ出る細長い音が、私の涙腺を刺激したのだ。夢心地のなかで甘味なメロディーは終焉をむかえると、すこし間をおいて第三楽章がはじまった。再び庄司紗矢香の体は弓なりになり、そこから発せられる戦闘的な音は、私を戦慄させた。

 演奏が終わり会場から満場の拍手を受けた庄司紗矢香は、胸を大きく張って歓声を全身で受け止めた。赤いドレスに包まれた高貴ないでたちの彼女からは、少女時代から世界と戦ってきた誇りと風格を感じさせた。舞台から袖に引き上げる時も、威厳に満ちた足取りで、手にした弓も何か貴族的な高貴さを感じさせた。

 アンコールで再び舞台に現れた彼女は、パガニーニの「わが心もはやうつろになりて」を奏ではじめた。いきなり高速のメロディーとピッチカートが相まみれ、弦から煙が出そうなほど、うなりをあげる。かと思うと、ピッチカートではなく、右手そのもので弦を弾く奏法で音をちりばめはじめ、あたかもそのきらびやかな音の結晶は、エドワード・ヴァン・ヘイレンのトリッキーなギタープレイを思わせる。再三、弓なりにしなる彼女の小柄な肉体から発せられる芳香は、もはや音楽を超越したエロティシズムさえ感じさせた。もちろんそのエロティシズムとは肉欲とまったく関係はない。

 アンコールの演奏を終えた彼女は、再び、喝采を浴び、高貴な威厳を解き放って舞台を去っていった。残された余韻は、音というよりも真っ赤な残像、いや甘いはちみつ色の芳香であった。




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