2000年11月21日

  続加藤鉱一  
   前代未聞のポテンシャル

  
一夜明けて、相も変わらぬ世論というよりメディアと評論家の、通り一辺倒のたわごとは、うんざりと言うより愕然とする。とにもかくにも、「加藤は負けることは分かっていても、捨て身になって勝負すべきだ! 国民はこれですっかり政治に関心を失った。」・・・・何んというたわごとだろうか。こんなに関心を集めているのに。そして、かつて以前、いったい何人の自民党員が飛び出していった事だろうか。果たして、日本は変ったのだろうか?加藤が捨て身になって飛び出す・・・・また同じパターンになるであろう事に誰も言及しないのか。
  加藤は確かに前代未聞の「裏切り」、「大失態」を演じた。その「前代未聞」であること自体に、ポテンシャルを見出せないのであろうか。恐らく、加藤にとっては、打って出る方が楽、かつ目下の勝利とはなるかも知れない、と言うより、毛頭そういう考えがないのだ。事実、加藤は当初から「離党はしない」と公言していたのだ。
  前代未聞な事をやってのける加藤に、ポテンシャルを見出すことがどうして出来ないか。この前代未聞のポテンシャルにこそ、日本を変える可能性があるのではないだろうか。ただ、恐ろしいことは、加藤が全てとは言わないが、この事態を計算している事だ。事実、自民党は見事に失墜してしまい、安易に言えば、失墜させる事が作戦だとしたら。そして、あえて自民党に残っており、何んらかのタイミング(あるいは既に成立した取引)で、打って出ることを考えていたら・・・・というより、加藤自身が言っているように、長いドラマの始まりでしかないのだ。
  最後に、メディア等の常套句、「永田町の論理で収まった」とい事だが、もともと加藤は「内ゲバ」が目的であり、他党で「遊」撃するのではなく、自民党内から真に革命を試みているのではないだろうか。とうりあえず、と言うより頑として直球勝負で望んだのではないだろうか。しかし、それはもしかしたらチェンジ・アップかフォーク・ボールかも知れないのだ。
「肉を切らして、骨を食う」

追:これは妄想に近いが、山崎はヒムラーに似ている?



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