2000年11月20日

 加藤鉱一 
 真面目な優等生の涙

 
 加藤鉱一の(不)名誉なる撤退に大衆(メディア)は激怒し、罵倒した。「所詮は自民党の・・・」「裏切り」「腰抜け」・・・・・・しかし私はその加藤をあえて支持したく思う。あの真面目な優等生の涙に、人情的に共感した訳ではない。数で負けると判明し、加藤の子守り役が調停に入り、白旗をあげた。数が取れなかった加藤自身の問題はあるとしても、負けが明白であえて強行しろというのは、それこそ神風的な発想であり、また離党して自民党を分裂に招ねくのも、見る方も行う方も他力本願である。
  加藤鉱一は泣いた。それは本当に子供じみたすすり泣き、あるいは甲子園に出場できなかった球児の涙のようである。優等生の加藤の涙に私は人間味しか感じられなかった。それは加藤の弱い人間性であり、私はその弱さを有する加藤の人間性に日本の首相(でなくてもいいが)を預けたく思う。
  もし、最初の公言通り、ドラスティックに事が進み、政権がいとも簡単に変ろうものなら、それはファッショであり、あまりにもpolitics的過ぎて面白くない。確かに非常に低いレベルの挫折なのかもしれないが、低いレベルだからこそ、この低いレベルでの(あるいは根本的なレベルでの)挫折で涙した加藤の人間性に、私は期待を持つことを禁じ得ない。日本を変えるリーダーとは「強い人間」でなければならないだろうか。泣ける人間性を私は信じてみたい。冷静な負け犬、泣き虫・加藤鉱一の挫折に期待したい。




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