1998年10月12日

 下痢コントロールと自志殺

 
  マインド・コントロールという言葉を聞いて、いささかうさん臭さを感じる人は少なからずいるであろう。あるいは、超常現象や昨今またはやり出したシンクロニシティにしても。後者に関しては大学者さんの科学的創造によるものゆえに心揺らぎがちであるが、まずは数学を本気で学ばなければ、くだらならない啓発関連に時間を潰されてしまうやも知れない。
   一方、日本古来?から語り継がれた「病は気から」という言葉は、わりと受け入れられている。その応用として「気迫があったら風邪なぞひかない」という、もし素朴な社会主義が存命していれば、企業の論理と吠えていたであろう。それはともかく、たしかに意識が身体に影響を及ぼすという意味では、今世紀初頭フロイトが医学的に証明しようとした事であり、日々雑話のなかで聞くことがある。「意志の力でガンを乗り越えた」とか古い信仰としてはお百度参りなどは、良い例だあろう。
   実際、意識が及ぼす身体への影響または感覚については、科学的に実証されてはいる。私もそれなりに経験がある。かなり有用なので紹介しておこう。それは「下痢コントロール」。お腹を下して下痢が進行、もう「あかん」状態なのに我慢しなければならない状況。例えば京阪特急で寝屋川ぐらいから、あかん状態になった時、こうしてみるのだ。

1.まず、目を閉じる
2.意識を下腹部に集中させ、できれば両手で覆う
3.全く何も考えないで、「麻痺せよ」「麻痺せよ」と下腹部に唱える
4.その最、ゆっくりと深い深呼吸をすること。大きく吸い、大きく吐く

以上を実行すれば、枚方あたりまでは数度ヤマがやってくるが、楠葉をすぎたころには、何もなかったように下腹部が平穏をとりもどす。しかし、けっして目をあけないこと。もし、機会があればお試しあれ。だが、鳥羽街道(七条の2つ前の駅)から気が抜けるのか、反撃がやってくるので御用心。
   という経験から、自らの意志で、身体をコントロールできるという事について、少なからず認めらざるを得ない。そして、その延長線に浮かび上がってくるのは、はたして、自分の意志だけでもって、自分を死に至らしめる事ができるか、という問い。答えは可能であるとする。ただし、それは自分の意志が身体をコントロールできる能力に負う。その能力の一つの究極として、自志殺と名づけるが、自分の意識で死ぬ事が可能である。しかし、それが為されうるのは希有な状況下であろうとは思う。いわば自然に死ぬといったイメージである。そこには、脱力感でもなく、虚無感でさえない、自分の存在が希薄となった時、にこそ可能なのである。単なる絶望や狂気では、まったくこの能力には及びえない事を、
誤解のないよう明言しておく。
   自らの意志で死ぬ以上、自殺となってしまうが、おそらく個としての人間種が、能力を高めた場合、いづれは合法的に、ないしは自然に死を迎えられる事であろう。方や長寿の夢もあるであろうが、ただ生きているだけではしょうがない。故に、自志殺は一つの特権でさえある。自己の完結としての。駄論になってしまったが、先日、ふと上記のような状況にみまわれたので、その時、自志殺が導きだされた。



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