1993年8月30日


 洛中洛外図屏風

 
京都は七条、ちょうど三十三間堂の真向かいに京都国立博物館がある。ふとした思いで、数年ぶりに足をはこんででみた。と言うのも、ここに展示されている「絵巻もの」や「屏風絵」を見たかったからである。実際、中に入ってみると、数年前おとずれた時とは、展示内容がガラッと変わっており、一瞬とまどったが、私の期待を裏切りはしなかった。

   私は「絵巻もの」や「屏風絵」、あるいは江戸時代に現れた「黄表紙」「滑稽本」に描写されてい人々がたいへん好きである。それも有名な人物や、歴史的に意味のある人物ではなく、何の変哲もない、名もなき人々。今回見た「洛中洛外図屏風」「東山遊園図」は、そういった全くの「庶民」とでも呼ぶべき人々が、画面いっぱいにふんだんに散りばめられており、私はたった一つの屏風図の前で1時間近くも、一人一人の名もない人々の表情や姿、動きやしぐさを見入った。

   「洛中洛外図屏風」は、周知のように、京都の四季・行事を織り交ぜながら、画面全体に当時の人々の生活や風俗を描いたものである。例えば、祇園祭を描いている部分では、子供たちが追っかけあったり、暴れていたり、鴨川のほとりでは、女の人を口説いたりしている男や、酒を飲んだくれている人。あるいは、犬とたわむれている女の子や、ポカンとただ空をながめている少年。それらの人々の表情は千差万別で、笑っている人もいれば、びっくりしている表情、あるいは、間の抜けたような顔をしている人もいれば、しかめ面の人もいる。そういう人々の一人一人の表情や姿をながめては、その滑稽さ、ほほえましさに、私は涙を流さんばかりの感慨を受けては、ガラスの前にへばり付た。

   なかでも一番私を引きつけたのは、清水寺のいわゆる「清水の舞台」で、欄干に片足をかけては恐怖を試している男。おそらく現代でも、修学旅行生や調子のいい観光客などは、同じような事をしているだろう、その男の姿を、私は目をうるませながら、ガラス越しにずっとながめた。



2.

    私は何故かくも感慨を受けているのか、屏風に散在する人々に対する私のまなざしと言ったものは何なのか、という事が、ふと私の思考を支配し始めた。おそらく、フーコーが「汚名に塗れた人々の生活」などで語った様な思持ちで、これらの人々をながめていたのだろうと思う。


  ・・・・これは歴史書ではない。ここに読まれる選集には私の好みとか、私の楽しみ、一つの感動、笑いとか驚き、ある恐怖、それともまた違ったなんらかの感情にもまして、重大な規範などなかったし、それらの強烈さを弁明しようとしても、発見した当初の時期が過去のものとなってしまったいまでは、私はおそらく困難を覚えよう。

   (中略)

  痕跡を残さず過ごすよう運命ずけられた、あの無数の生活であることを、彼らの不幸や情念のなかに、これらの愛情や憎悪のなかに、通常語るに値すると見なされるものからすれば、何か灰色で凡庸なものが存在していることを望んだ。

            (M・フーコー 「汚名に塗れた人々の生活」)      

   しかし、その同じフーコーに言わせれば、これらの表情豊かに描かれている人々といったものは、権力を媒介にしてしか表れてこない。つまり、屏風絵といったものは、江戸時代だったら江戸時代の権力装置に過ぎず、庶民のそういった生活といったものは、権力装置を通してしか、我々に知らしめる事はできない。だから我々は、その表情豊かな人々を、当時の人そのものと単純に受け入れる事はできないし、全くの偽物と考える事もできるのである。フーコーは言う・・・・


  私はこうした類いの微粒子、それ自体小さくて見分けにくいだけに、なおさら大きな精力に恵まれている、微粒子の探険へと旅立っていたのである。これらの粒子のうちのあるものがわれわれのもとにまで届くためには、しかし、たとえ一瞬のことにせよ、光線がこれらを照らし出す必要があった。他所から来る光である。その粒子がとどまりえたはずの、またたぶんずっととどまっていなければならなかったはずの夜の闇のなかから、それを引き離すものこそは、権力との接触なのである。
  あらゆる言説の下を流れることを、そして決して口にされることなく消え去ることを余儀なくされていたこれらの生活のすべては、権力との瞬間的な接触点においてしか、痕跡−簡潔で辛辣でたいていは謎めいたそれ−を残しえなかったのである。

           (M・フーコー 「汚名に塗れた人々の生活」)

事実、当該専門家たちに言わせると、これらの屏風図は、確かに当時の人々の生活を反映してはいるし、ましてや桃山時代におけるものなどは、政治的に開放的であった故に、このような屏風絵などの開放的な作品や文化が興隆した。しかし、全く、画面に描かれているような楽観的な世界が、当時そのものといったものではなく、京都などは応仁の乱後、何度となく壊滅的打撃(飢饉・疫病・大火・戦乱)を受けては、荒廃を繰り返していた。そういった状況の中で、この屏風絵に描かれている牧歌的なものは、ある種の理想を表わしていると同時に、当時の人々も鑑賞する事ができたという事実から考えると、無理やり昇華作用的なものを含んでいるとも考えられる。

   いずれにしろ、フーコーが言及した権力装置の下に現れた人々と同じように、これら屏風絵に描かれた人々も、権力装置を媒介にして現れた庶民でしかありえないし、極端に言えば権力そのものである。

   しかし、私が見たものはそういったものではない。私が涙したのは「庶民」ではあっても、「庶民」という一般的なものを見たのではない。私が見たのは、権力の摩擦から発光した一瞬のきらめき、あるいは、権力の編み目をかいくぐって押し寄せてくる何ものかを見たのだ。作者の意図は解らないが、「清水の舞台」の欄干を股ごうとした男、その男の好奇心に、あるいは調子乗りに、大路の道端で女の人を横目でうかがっている男のいやらしさに、権力の編み目をかいくぐって来るそのスケベさに、私は感慨したのである。無前提な「普遍性」「心性」という言葉は嫌われるだろう、しかし、私はこの男たちの「心性」あるいは「感情」に、ある普遍的なものを見、時間的な距離を越えて同一化したのである。

   我々の思考といったものは歴史的である。また「主体」といったものが、ある種の幻想であり、歴史的産物であるならば、その境界を越えてしまった以上、我々には「主体」であり続けるしかないし、また、思考といったものも、その制約を受け相対化されざるを得ない。しかし、ある種の「心性」あるいは「感情」といったものは、人間という種において普遍的である。変わるのは、その対象であり、またその感じ方、契機だけに過ぎない。だから、逆にそういった場合、「感情」といったものはイデア的なものにならざるを得ず、形骨化でしかなくなるが、仏教の教えに−世の中が進歩し、人の考えが変わっても、人間にまつわる「嫉み」「そねみ」「恨み」・・・・は相変わらず存在し、変わらない−、そういった意味で、我々の「心性」「感情」はイデア的なものであれ、普遍的なものであれ、逆にそれは避け得ないものなのである。



3.

   私はそういった人々の「心性」の普遍性に感慨したのであり、そこに自己の同一化を計ったのである。「心性」の普遍性という事を除外すれば、我々は同じような事を他に見てとれる。例えば、動物などに対する我々の態度がそうで、猫ならば、猫の動きやしぐさ・表情に我々は、かわいらしさや親近感を感じ、いとおしくなる。我々は明らかに、猫の中に、動物の瞳の奥に、人間的なものを見ており、猿にしても犬にしても、人間と同じような表情・動きをした場合に限り、我々はいとおしいものを感じる。それは、唯一、透明なものだと思い込んでいる自分自身を、何の障害もなく投影できるものだからであり、我々は、そういった動物や屏風絵の人々の中に、自己の同一化を計り、幻想に陥ることによって、なごみ、ある程度の安堵を得るのである。

   表面的には、現実逃避とみる事は余りに容易である。現今、在りうべき自己と、そう在らざるを得ない自己の分裂を埋めるために、猫に、あるいは清水の舞台男に、在りうべき自己を投影する。しかし、ことはもっと深遠である。例え、現状を否定するものが何一つなかったとしても、我々はおそらく(正確に言えば、今日の我々はおそらく)、猫に、舞台男に、自分を見いだすだろう。

   「歴史」といったものは、それ自体、歴史的である。「主体」という幻想も同じである。歴史というものが遠近方的に流れ始め、「主体」という幻想が現れ始めるや、「他者」というものも現れ始め、そこに絶対不可侵な乖離を生み出す。主体という幻想が歴史的ならば、この「他者」も歴史的である。今日の我々は当然、この枠組みの中で生き、意識を持ち、思考している。全くもって、孤独なものとしての自己。おそらく、孤独を孤独として意識されるのも、「主体」が芽生えた頃からであろう。

   そういった中で、全く孤立した我々は、「共同幻想」の中で、コミットを行なえる気分に浸っている。あるいは、不可能であることを意識しつつ、コミットしている気分にやり過ごす。しかし、更にコミットしている気分を助長させてくれるもの、完全なコミュニケーションを具現してくれるものは、猫であり、舞台男である。唯一、透明であると思えさせる自己は、何も語らない猫と、何の抵抗もしない舞台男と、純粋に、完全にコミュニケーションを計ることができる。それは、当然、自分自身であるが、そこに何がしかの安堵感を覚えるのである。


4.

   すべては、主体の織りなす技である。歴史的産物としての主体が。歴史を有さざるを得ない主体がまだ無かった時代、つまり他者が現れていなかった時代において、おそらく人々は、猫にかわいらしさを見いださなかっただろう。透明な自分を見いださなかっただろう。また、歴史を持たなかった時代の人々は、この屏風絵が描かれた当時でさえ、我々が感じるような親近感を有さなかったであろう。

   主体・他者が現れて以来、自己という砦に閉ざされた我々は、猫と舞台男に、完全なコミュニケーションの具現化をみる。コミュニケーションは断たれたのではなく、コミュニケーションという言葉が現れてからは、既に断たれているのであり、コミュニケーションという事が意識された時点で、既にそれは断絶を意味しているのだ。

   しかし、それでも我々を、共同幻想よりまして、同一化の快楽へと誘うのは、普遍的な「心性」「感情」であり、同一化するという事自体は時代の産物であったとしても、「笑い」「怒り」「喜び」・・・・は時代を越えて通底しているのである。故に、通底しているという事に、現代の我々の主体は、そこに同一化を見いだすとともに、より完全なコミュニケーションを求めるのではないだろうか。

   最後にもう一つ痛烈に感じたのは、元来、表情の起伏に乏しい、みな同じ顔と言われる日本人にしては、そうとは思えないような表情の豊かさに驚かされた事である。一見、やはり、そういう風に見えざるを得ないが、よくよく見ると、とてつもなく豊かというか深みがあり、外国人の表情の豊かさといったものは逆に、浅薄に思えてしまう。特に庶民の表情は、冒頭で述べたように、千差万別で、意味深にも、貴族などはみな表情が同じである。

   そういった当時の人々の表情を見て思う事は、現在、我々の表情を同じように描いた場合、ほとんど同じ顔ばかりが描かれてしまうのではないかと感じる事である。屏風絵では、人々はあっちを向いたり、こっちを向いたり、どれ一つとして同じような顔、いや顔は似たり寄ったりでも、同じような視線はない。しかし、現代を描けば、みな同じところを見つめ、同じように口をつむじ、眉間にしわを寄せて、真正面を見据えているように思える。




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