1991年 4月13日

 杉本彩 考

   TVのスイッチをオンすると杉本彩が出演していた。いつもの様にバストを大きく開けた、と同時に極端に短いスカートは、我々男性を大いに魅了する。杉本彩は一時に比べれば人気は落ちたものの、やはりその豊満なバスト、美しい脚線美は第一級だろうし、第一顔も小悪魔的でカワイイ。人によって様々だろうが、一般的に考えれば、男性の願望・理想といったものを具現化したものであろうし、また杉本彩もそれに答えるかのように、あるいはそれを見透かしたように、その美しい肉体を、女の子にとっては嫌味なほど露出している。
   ただ、かねてからよく思っていた事だが、彼女の露出といったものは、非常に何か挑戦的で、男の勝手な欲望に対する闘いがある様に見えて仕方がない。当の本人は、はたしてそう思っているかどうかは知った処ではないが、私の目には何かそう言った、女の美しさを武器にした闘いの印象を強く受ける。しかし、それと同時に、そういう彼女が私にとっては非常に意地らしく見え、TVで彼女を見るたびに、その抵抗する姿、その無邪気とさえ言いえる闘う姿に、いとおしいものを感じて仕方がない。普通に考えると、彼女の様な存在は、俗に言うイケイケな訳で、現実問題は別にして、セクシャルな意味では最高であり、想像の上では「遊び」として最高な訳で、「頼むから」と言った処であろう(但し、自分の彼女としては首をかしげる・・・のも真相であろう)。
 だが私には、そういう彼女の無理やりと言っていいイケイケに対して、どうしても意地らしいものを感じてしまい、ある種の包容感をも感じてしまう。そういった思持ちで彼女を見ていると、一見、派手でイケイケ、今どきの・・・と言ったイメージとは逆に、非常に古風な日本的女性像、今はなき奥ゆかしさ、と言うものを彼女の顔や容姿に感じる。事実、彼女の話す言葉といったものは、そこいらのバカ娘とは一線を引く「おしとやかさ」があり、その派手な外見とは対照的に、一つ一つのしぐさや表情にも、奥ゆかしさがある(たとえTV用だとしても、無いものは出ない。特に言葉は。)。
   私は別に杉本彩のファンでも何んでも無いけれども、彼女がTVに出るたびに、その無邪気に抵抗する意地らしさには、非常に惹かれるものがある。



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