1991年 4月13日

 夜  桜

   今日から「造弊局の通り抜け」が始まり、会社の帰りに久しぶりに寄ってみた。「造弊局の通り抜け」は大阪における桜見物の中心行事である訳だが、桜宮から天満橋にかけての大川ぞいに大阪造弊局の桜が立ち並び、それに並行して桜宮公園に出店が立ち並ぶ。出店の数といったらおそらく全国一であろうし、また当然、処を同じくして行なわれる天神祭よりも上回る盛況振りである。
  我々一行が辿り着いた時には既に、造弊局の花見の方は閉鎖され、出店を見て回るだけに終わってしまった訳だが、相変わらずと言うより、アッと驚かされたのは、「見せ物小屋」の存在であった。
私がまだ幼稚園や小学校だった頃、両親に連れられこの桜見物によく来たが、当時、私に最もインパクトを与えたのが、この「見せ物小屋」の存在であった。ある程度の大きさを持った掘ったて小屋の壁には、奇妙な絵、例えば江戸時代の拷問図の様な絵や、ハルマゲドン的な地獄絵が描かれており、その前で客引きのおじさんが、何かの新聞記事をちらつかせながら、周りに群がる人々を入口へと誘なう。私は恐る恐る両親に連れられ中に入ると、そこはいわゆるフリークス(奇形)の世界で、軽いものでは関節が通常とは反対に曲がる女の人や、重いものではシャム双生児、あるいは全くまがい物で首のない女人、などエレファントマンで見たような世界が、幼な心の私に非常なショックを与えた。

  あの時以来、「見せ物小屋」は公序良俗、倫理的な問題あってか、すっかり姿を見せなくなっていたが、今日、再び目のあたりにすると、「まだ、あったのか」と言う懐かしい気持ちと、「いいんかいな」と言う倫理感が交錯し、しばらくその前で立ち止まって眺めた。客引きはいきなり小人だった。その小人のおじさんは、蛇をちらつかせながら、必死に客を中へ入れようと、マイク片手に何か喋りまくっている。そして相も変わらず、地獄絵は健在で、プログラムとして「××超人」であるとか「首が伸びる夫人」だとかあったけど、どう考えても今となっては本物では無いだろうと思い、その場を後にした。到着した時刻が遅かった為、出店もそろそろ店閉いを始め、桜宮の方まで辿り着いた時には、いちよ「お開き」状態になっていた。連れの女の子たちがケーキを持って来ていたので、大川をはさんだ対岸の方に移り行くと、まだ少しばかりの宴会客が、カラオケや何やらで沸き上がっている。
  我々は、もう店閉いした食べ物屋に勝手に入り込み、ケーキを頬ばりながら、対岸に輝く出店群のきらめきを眺めた。心地良い風が顔に当たる。はるか遠方まで連なる出店群のきらめきは大川の水面を照らし、そのオレンジ色の照り返しは、川の流れに合せてゆらゆらと揺れる。座敷の周りの桜の木は、外灯に照らされて、無限の色彩を我々の目の前に披露してくれ、その花びらの一つ一つは外灯の光で透き通って見える。また、やわらかい風が吹き抜けてゆく。桜の花びらが目の前を舞い落ちてゆく。幻想的な花吹雪。無限の色彩。一つの花びらが、女の子の長い髪の毛に止まった。ハート型をしたその花びらは、薄いピンク色だった。




    トップ戻る