コンピュータ、特にパーソナル・コンピュータ(PC)は、20世紀を終えるにあたり、急速に普及している。それは世界規模であり、インターネットはエンターテイメントとマーケットを提供する。しかしコンピュータの本質は、「資本主義機械」Capital Machineである。
   元来、コンピュータは20世紀半ば、軍事用の目的で発明・開発されたものであるが、それが産業で利用された時から、「資本主義機械」Capital Machineとなった。コンピュータの導入は大原則として、人間の労力の効率化にある。つまり人的要素で考えると、人員削減を促す機械である。またコンピュータによる作業の効率化は、人間の労力を倍加させる。はたして、コンピュータの導入で労働時間が減り、早く帰宅できるようになったのか?むしろ、仕事は増えるばかりである。当初は、コンピュータがいかに人間の労働について行けるか、のはずだったが、機を転じて人間がいかにコンピュータについて行けるかになってしまった。それは、コンピュータが難しいという意味ではなく、コンピュータが処理した、つまり作り出した仕事を、人間が次々とさばかなければ、ならないということ。有名な話だが、電話がこの世に出現した時、米国の郵便事業社は、電話の開設に猛反対した。何故なら、人々はもう手紙を書かなくなり、郵便産業が衰退するためである。しかし、実際ふたを開けてみると、手紙の配達量は倍増したという。電話により人々のコミュニケーションが活性化され、それがかえって手紙を書かせる事態になったという訳だ。

   コンピュータの出現は我々に何をもたらしてきたのか。それは決して、人間を楽にするものではない事は確かだ。コンピュータは資本主義を促進する機械であり、我々をもっと効率よく、働かせる装置である。また資本主義が、貧富の格差を拡大する本質を持つならば、コンピュータはその最たる武器である。昨今、PCの普及に伴う貧富の格差が取り沙汰されているが、それは何も情報量の有無によるというよりも、コンピュータが「資本主義機械」Capital Machineとして、そもそも備えている本質なのだ。更に言えば、コンピュータが人間、特に脳の延長であるというよくある言説は、逆に人間を疎外化(古い言い方だが)を裏付けするものであり、ましてやヴァーチャル・リアリティなどという言葉と、変にその意味が融合してしまう。明確にしておきたいのは、コンピュータはグローバルであろうとヴァーチャルであろうと、絶対的に計算機という物質であること。そして「資本主義機械」Capital Machineであるということ。
   予てからこの事に対しては、詳しく言及したかったのであるが、その見通しが解らない為、この程度の事しか言えないのが残念である。





  コンピュータ=資本主義機械(Capital Machine)

  1999年11月14日

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