音楽と歌詞、そして失われた宝物

Tunes, lyrics and other lost treasures


2000年2月27日



プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンが10年以上に渡る孤独な時代から戻ってきた。ジョン・ハリスによるインタビュー。


ビルから出るとラジオから曲が流れ、その曲が結婚式で演奏されたり、アルバートスクエアのジュークボックスでかかったりするように、全国的に知れわたる成功を収めたとしたら。プリファブ・スプラウトにもかつてそういう時期が一度だけあった。1988年の夏、「キング・オブ・ロックンロール」がトップ10に入った時である。作品が意図するものとその仕上がりは完全にマッチしていた。ポップミュージックの愚かな側面をからかうかのように作られ、わくわくするほどに馬鹿げたコーラス"ホットドック、ジャンピング・フロッグ、アルバカーキ"はちょっとした流行歌になった。そしてこのヒットによってラジオ局もその存在価値を示し、当時のミュージックシーンを活気づけた。

そして11年。バンドのソングライターであり、リーダーでもあるパディ・マクアルーンはダーラムに住み、10年ぶりのツアーの準備をしている。チャートを賑わした頃からかなりの時間が経過しているが、大きな戸惑いはほとんどない。「プリファブ・スプラウトはマイナーテイストのビートグループなんだよ」そう言ってパディは笑う。しかしそれが彼の謙虚さの理由にはならない。「キング・オブ・ロックンロール」が最後のヒットであるにもかかわらず、今回のツアーにはロンドンでの追加公演があり、約5000人の観客の前で演奏することになる。頭の中は自分の作品を再び学習することで一杯のようだ。「もう2度と見ることもないと思っていたすべての曲のコードと歌詞を思い出そうとしてるだけなんだけどね。正直言って、今回のツアーをやる理由のひとつには、今こういう作業をしておかないと、僕の頭の片隅に追いやられてる多くの曲を、もう思い出せなくなるんじゃないかと思ったからなんだ」

『スティーブ・マックイーン』(1985)、『ラングレーパークからの挨拶状』(1988)、そして『ヨルダン:ザ・カムバック』(1990)などの作品に収録されている数々の名曲は長い期間にわたって作られたものであり、年をとるにつれて徐々に円熟味を増してきた。ポップミュージックがありきたりの熱狂でもって短命に終わるものに陥っていく一方、パディはトレンドに対して無関心であるという風変わりな気質によって、いつも神聖視されていた。歌詞における豊かな語彙と、音楽に対する造詣の深さは、希少なものであり、またそういった彼の気質がファンに対する誠実さを表していた。18年間の活動を通して、プリファブ・スプラウトはシーンの中では特異な存在となり、また一度好きになれば離れられなくなるバンドになっていった。

1990年から1997年の7年間、パディの隠遁生活はファンにとってつらい時期だった。『ヨルダン:ザ・カムバック』の後、パディは自分からミュージックシーンを離れ、コンセプチュアルな楽曲を連作する作業に取り掛かり、リリースされない作品が膨大なまでにふくれあがっていった。この時期の数々のアイデアはパディの大いなる音楽的野心、そして映画のようなロマンチックさに対する思い入れを示したものになっている。その数々のアイデアは、驚くべき純粋さをまとった曲をたやすく作っているかのように見える現在のソングライティング手法にも影響を及ぼしているのかもしれない。

1985年からずっと書きためているとパディが熱心に説明するのは『Total Snow』というクリスマスアルバム。1980年代の終わりには歌の持つシンプルな力を称えた『Let's Change The World With Music』というタイトルの作品に取り掛かり始める。まもなくマイケル・ジャクソンの架空の伝記を元にしたミュージカル『Behind The Veil』、そして30の断片となる曲を1曲にまとめた『Earth: The Story So Far』、これはタイトルどおり地球の歴史を1曲にするというかなり奇抜な発想の作品で1991年から作られ始めた。

どのプロジェクトもレコーディングスタジオまで持ち込まれることなく、リリースもされなかった。「ゆうに100曲以上はあったかな」パディは嘆く。「もったいないけど世の中には心配しなきゃならないもっと深刻なこともあるしね。でも時々夜中に目が覚めて、自分のベストの作品がまだできていないことに大きな欲求不満に陥ることはあるよ。作品を完成させるにあたってしなきゃならないことがある。でも何をしなきゃならないかを知ることは難しいし、その作品を作るのに見合うだけの金銭的環境が整ったときにレコーディングしたいと思うからね。安っぽい楽な方法でやりたくないんだ」パディは笑う。「僕の作品の背後にある美意識はそりゃあ豪華なものなんだから」

事実上姿を見せることのなかったこの期間、パディはプリファブ・スプラウトの以前のアルバム、そしてジミー・ネイルとシェールに書いた曲の印税を経済的な支えとしていた。バンドの残りのメンバーであるドラマーのニール・コンティはセッションドラマーとして、パディの弟のマーティン、そしてコーラスでパディのガールフレンドだったウェンディ・スミスは子供達を相手にミュージックセラピストとして働く。

1997年、プリファブ・スプラウトは『アンドロメダ・ハイツ』というとても上品な曲を集めたアルバムでカムバックする。このアルバムの製作途中にパディはまたさまざまなプロジェクトを思いつく。『Atomic Hymbook』と題された現代のゴスペルソング集となる作品。そして話し言葉が含まれるインストルメンタル曲『I Trawl The Megahertz』は今年中に発売される予定だ。前世紀についてのパディの考えをまとめたサウンドトラック『20th Century Music』。この作品にはダイアナ妃のことを歌った曲が含まれる。そしてポップミュージックからの隠遁生活が自身をもその時代の精神から引き離すことになるという逆説的なアイデアから生まれた建物(the Dome)についた歌った曲も。パディは説明する。「その曲は『Twilight Of The Pimps』(悪党達の黄昏)ってタイトルで、建物がまさにその時代の伝説的シンボルになることについて歌ってる:'Dear Tony, It's a bold idea/We could use an unloved dome round here'それはまさに20世紀の持つイメージの要約になるんだ。この作品が今リリースされないのが残念でならないよ」

2年前パディは結婚した。妻のヴィクトリアとはニューキャッスルのレコード屋のクラシック売り場で出会い、今では2人の娘がいる。パディの生活も変わった。「今まで見たことのないような長いあご髭をはやしてるだろ?僕はもうフラフラした放浪者じゃなくて立派な大人なんだ。みんな僕を見るとショックを受けるようだけどね」

パディは今度行われるコンサートでリスナーと再び強い絆で結ばれることを期待し、これまでの隠遁生活で商業ベースではほとんど消えかかっていた自分のイメージを拭い去ろうとしている。しかし、パディはーリリースされなかった未完のプロジェクトはともかくープリファブ・スプラウトの目もくらむような数々の素晴らしいレコードが多くのリスナーを魅了してきたかなんて気にすることがあるのだろうか?

美しいメロディを作り出す天賦の才能、愛とその喪失への機知に富んだ洞察力、そして壮大な音楽製作に注ぎ込む深い愛情、それらは単に熱狂的ファンだけを満足させるようなカルトなものではない。パディは熟慮して言う。「魅力的なテーマ。テーマについてはきわめて多くのことを考えてる。去年の終わりに20世紀の偉大な名曲についてのアンケートがあったんだけど、すべての曲が最後の20年間に集約されてたんだ。アービング・ベルリン(ビンググロスビーの「ホワイトクリスマス」を作った20世紀はじめのアメリカの作曲家)でさえそこに名前がなかった。つまり大成功を収めたヒット曲でさえ限定された期間だけのもので、長続きしないってことなんだろうね。僕らが1993年に「If you don't love me」のビデオを撮影してる時に、セットでピアノを弾いてたんだ。19か20歳ぐらいのダンスのために呼ばれた女の子達がそこにいたんだけど、彼女達に「Hey Jude」を演奏して聴かせたら、そのうちの一人がこう言った。"私達みんなが知ってる曲を演奏してよ!"って。僕にとってはちょっとした慰めになったよ。世間での認知にも限りがある。ポール・マッカートニーの「Hey Jude」が有名じゃないっていうなら、僕なんかどうやったって有名になれっこない。だからもうそういう心配をしないようにしてるんだ」

「自分の音楽がどういうジャンルに属しているかということについてはこういう考えを持ってる」パディは結論を言う。「僕がやってる音楽、それはジャズみたいなものさ。音楽的にジャズってことじゃないよ。みんなジャズについて明確な美点があることを知っている。それは特定の人々にとってはとても感動的であり、素晴らしいものであり、多くの精神的価値を持ってる。でも...」パディは笑う。「それは人気(popularity)によって定義づけられたポップス(popular music)じゃないんだ」


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