The Sunday Times Interview: Paddy McAloon

by Dan Cairns

記事: ダン・ケルンズ (The Sunday Times 2009年8月16日)
Kris Kringle


パディ・マクアルーンがニューアルバムをリリースする。長い隠遁生活の間にお蔵入りになっていたプリファブ・スプラウトの数多くの失われた傑作の一枚である『Let’s Change The World With Music』が17年ぶりに世に送り出される。


ダーラムのバーでパディ・マクアルーンはニューアルバムについて話している。厳密に言えばこのアルバム『Let’s Change The World With Music』は17年前にレコーディングされたものである。プリファブ・スプラウトは1977年にパディの弟のマーティンと共に結成されたバンドだ。「まあ、伝説の箱(Legendary Boxes)とでも言ったところかな」52歳になるパディ・マクアルーンは愛想よく気さくに話すが、苦労があったことは間違いない。「いわばまったくの神秘的なものだと考えてくれてもいいんだけど、ずっとどこにも行き場のないものになってた」そして『Let’s Change the World』がはじめて伝説の箱の蓋を開けて出てきた。

伝説の作品群のひとつに『Earth: The Story So Far』という野心的なタイトルのコンセプトアルバムがあると噂されていた。またマイケル・ジャクソンにまつわる歌が集められた別のアルバムもあると言われている。8年ぶりにリリースされたニューアルバムの1曲である”Meet the New Mozart“でパディは神童と呼ばれる人間について歌っている。「彼は大ヒットを飛ばす商業主義的な人間でありながら芸術的な人間でもあるんだ」プリファブ・スプラウトのファン、そして所属レーベルにとって残念なことに、パディがそのような実利的な成功を嫌っていることは知られている。もしパディがもっとご都合主義的な人間であったなら、マイケル・ジャクソンの突然死の騒動に便乗してお蔵入りになっているアルバムを出していたかもしれない。しかし彼はこれまでのキャリアを通じて、”キング・オブ・ロックンロール“のようなパーフェクトなポップシングルを作り出し、1988年にTop 10にチャートインしていた短くも目まぐるしい時期以降、名声や期待といったプレッシャーから逃れるべく確固たる意志で隠遁生活に入った人間だと思われてきた。

「過去をないがしろにしているわけではないし、当時はあらゆる面でとことん楽しんだよ。いいこともあったけど自分の中ではあまり気乗りしなかったんだろうね。そして40歳になった時に“自分には他にやらなければいけないことがある”って考えたんだ。頭の中で自分の声が聞こえてきけど自分の声は好きじゃなかった。それに自分のことも好きになれなかった。まだまだ人間として一人前じゃないって思ったんだ。そりゃ人より突出してた部分も少しはあったかもしれないけどね。もし仮にパリにいて、5日間毎日6本のインタビューをこなしていたとしても、”このインタビューはどの雑誌に載るのかな? こんなお喋りがどこで役に立つんだい?”って感じだった思うよ」

パディは自分がまた同じことを繰り返していることに気づいて再び笑う。「独りで部屋に戻って、最初の数日間は頭の中から自分の内なる声を振り払ってみる。それが自分にとって良くないってことがわかるんだ。医者が自分自身に処方した薬にどっぷり漬かりきることを自覚できるように、内省的性質っていうのは自分のようなソングライターにとってはモルヒネになんだ。そのトンネルを抜けても、想像力を目いっぱい働かせて、華麗な経歴を持つ大きなことを成し遂げた誰か別の人をまるで自分自身のように思うようになる。そしてまた独りで部屋に戻ると、いやこんな自分は支離滅裂で、まがいものだとか考えてしまうんだ」

黒のフェルト帽、薄い色のついた眼鏡、タータンチェックのズボン、ハワード・ヒューズのように緩やかに垂れ下がった銀色の顎鬚にステッキ、それがこの日のパディの服装だが、1985年の傑作『スティーブ・マックイーン』のカバー写真のバイクに跨っている皮ジャケットを着た短髪の痩せた若い青年と同じ人物だとはとても思えない。ウィリー・ウォンカ(ロアルド・ダールの小説『チョコレート工場の秘密』の登場人物。『チャーリーとチョコレート工場』というタイトルでジョニー・デップ主演で映画化された)の服を着た神様みたいな仮装はある意味では彼なりの主張、防御手段なのかもしれない。しかしパディはいつも失敗者ではなく成功者として尊敬の目で見られてきたアーチストである。近年は一時的な難聴、目の悪化症状といった深刻な健康問題を抱えてきた。

そしてお蔵入りになっていた多くの作品群の中でロスト・クラッシックと呼ばれる1枚が世に出ることになった。1990年代に作られ、広大なテーマをまとめ上げた寓話的叙事詩の傑作と呼ばれた『ヨルダン:ザ・カムバック』に続く作品としてレコーディングされた『Let’s Change The World with Music』はデモテープの作成段階で作業が中断された。しかしそのテープがこの度エンジニアのカラム・マルコルムによって復元され磨き上げられた。パディは実質的にチャートやアルバム制作のタイムスケジュールとは無縁の隠遁生活に入り始めている。その非公式の隠遁はプリファブ・スプラウトが1982年に最初のシングルを出して以来、パディのことをイギリスのバカラックだと高く評価していた人達にとってはショッキングな出来事であった。鋭敏さと複雑さを合わせ持つ卓越した作詞能力、同じPとMcのイニシャルで始まるもう一人のミュージシャンであるポール・マッカートニーの絶頂期以来このイギリスでは聞かれることのなかった天賦のメロディセンス。『Let’s Change Te World with Music』はそのパディの才能に再び夢中になり、長い間その才能を喪失していたことを我々に思い出させてくれる。

「僕はこういった歌を歌う楽観的な人間の代表なんだ」パディは言う。「このアルバムを作った時、僕は35歳だった。面倒な問題もなく、表現したいことも目標もあった。その時は”これまでやってきたんだからうまくいくはずだ。それほど問題はないはずだ”って思ってた。でも当時のことを振り返ってみるとこのアルバムを作ってる時は失意の日々を送ってた。自分の声が若く聞こえるし、実際肉体的には若かった。このアルバムは古いものだけど、その中には今より若い自分がいる。なんだか奇妙な責任感を感じるよ」

アルバムの中でも傑出した1曲である『Music is a Princess』を聴いていると二つの矛盾する感情が引き起こされる。パディが得意とする洗練された巧みな表現と感情的深みのある表現の融合、しかしお得意の韻文詩もコーラスもなくひたすら繰り返され循環されるメロディ。それでいて胸が張りさけるほど感動的な楽曲。はじめはとても美しい曲だと思って聴いていたが、そのうち、これほどの音楽的才能の持ち主が隠遁生活をしていたことに嘆き、深い同情の念を抱かざるえないようになってしまう。

しかし目の前に座っている映画「34丁目の奇跡」に出てくる茶目っ気たっぷりのサンタクロースのようなパディはそんな我々の同情など必要としていないようだ。むしろ成り行きでそうなっただけで現実は彼が想像したほどひどくはなかったという印象を与えてくれる。我々の時代の(半分)隠居した天才ポップス職人であるパディと1,000人の凡庸なソングライターを交換してもらえないものだろうか。『Let’s Change The World With Music』を聴いて、これが伝説の箱の水準であるなら、この箱の中身をもっと見てみたくなった。


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