Prefab Sprout’s new album

by Thomas Dolby

記事: プリファブ・スプラウトのニューアルバム(トーマス・ドルビーのブログより)
トーマス・ドルビー


数週間前に発売されたPrefab Sproutの最新アルバム‘Let's Change The World With Music'について、遅ればせながら書いてみたい。本作には興味深い歴史がある。Paddy McAloonは、1990年の'Jordan: The Comeback'に続くアルバムを作るつもりで、90年代初期に本作の楽曲群を書いた。彼は自宅スタジオで全曲のデモを作り、私と、バンドの所属レコード会社であるソニーに送ってきた。私は一発でそれらの曲に心を奪われた。特に‘Ride Home To Jesus’と‘I Love Music’。是非プロデュースしたいと思い、我々は計画を作り始めた。しかし、ソニーのA&Rのトップであり、それまでバンドを強く支持してきたMuff Winwoodはアルバムに対して若干否定的であった。彼曰く、多くの曲で宗教的な色が濃すぎて「キリスト教的ロック」のバンドという印象を与えかねない、そしてそれがバンドに対する信頼や商業的アピールを損ねかねない、と。U2が‘One Man In The Name Of Love’や‘I Still Haven’t Found What I’m Looking For'といった曲を出した当時、多くの人から「神のロック」に向かって方向転換しているという非難を浴びたことを、Muffはよく認識していたのだ。(実際には、これらの曲は、全く別のことを歌っていたのだが。)

結局、U2は何の害も被ることは無かった。そして Paddyの曲も神とか宗教を宣伝するようなものではなかった。あるとすれば、信仰や高潔さといったものに対する分析性だけだった。彼の楽曲は、我々自身を越えた、高みにある何かに対する愛を熱望しているように思われた。例えば、‘Music Is A Princess’では、作者は自分自身をボロを着た少年に見立て、音楽に身を捧げたいと思いながらも、その御旗を掲げるに値しない者として描いている。‘Ride’では、Paddyは、たとえ報われなくとも、より大きな善のために働く人々を称えている。私は、素晴らしいコードとメロディに溢れた彼の楽曲は最高だと思ったし、単にセックス、人間関係、カネや窮乏を歌ったのではない、とても爽快なものだった。だが、バンドはレコード会社からの反発により生じる摩擦を解消するのは無理だと感じ、Paddyは最初からやり直すことを決めた。Muff Winwoodはそれ以来、「自分は歌詞とタイトルを少し変えて欲しかっただけであり、あまり議論の種にならなそうな曲をいくつか追加してくれればよかったんだ」と言っていたと思う。

今にして思えば、‘Let’s Change The World With Music’のリリースを取りやめた当時の判断が、バンドのキャリアに消すことのできないダメージを与えたと言える。明らかにそれは作品をぶち壊した。その後の12年間に出たアルバムはわずか2枚だけで、そのいずれもが、前4作に値する批評家からの評価や、あるいは商業的成功を収めることができなかった。他にも着手にいたらなかったプロジェクトがいくつかあった。怪傑ゾロに関するミュージカルや、マイケル・ジャクソンをテーマにしたアルバムも含まれる。PaddyやKitchenwareのマネージャは私にテープをよく送ってきて、私はそれをいつも楽しんだし、彼の自宅スタジオでのレコーディングがいかによくなっているかに強い印象を受けた。

その間に、時代はアーティスト自身がネット上で作品を発表できる時を迎えた。私は、メジャーレーベルとの契約を完全に捨てて、ネットで作品を配信すべきだと、繰り返しPaddyに言った。彼のアウトプットは豊富で、1年に2〜3枚のアルバムは簡単に出せただろう。巨大なメーリングリストを保持して(弟のMartinはWebのエキスパートになっていた)、A&Rやラジオ局の宣伝マンからの干渉を受けずに十分な収入を得ることができただろう。しかし、彼は音楽ビジネスに関しては非常に保守的で、商業(主義)的に受け入れられなければ成功とはいえないと考えていた。たとえばWHSmithsの窓にポスターが貼られたり、BBC Radio 1で曲がかかったりとか。彼は完全にそういう考え方に傾倒していた。しかし今日において、業界が作ろうとしているスターというのは、名声に飢えた二十歳そこらの、歌って踊れて、世界チャンピオンみたいに服を脱げるような若い娘なのだ。Paddyの健康状態は良くなく、スポットライトを浴びる場に出られる状態では無い。だから、おそらく今の彼なら私の忠告を聞いて、新曲を作り、Sproutsの献身的なファンに向けてネット上で淡々とリリースすることも考えてくれるだろう。

数年前、SproutsのマネージャであるKeith Armstrongが、‘Let’s Change The World With Music’を復活させ、インディーズとしてリリースするよう説得した。Callum Michael(Calum Malcolmの誤りか)の助けの下、Paddyは録音済みの音源を整理し、いくつかの部分を差し替えたが、オリジナルのボーカルにはこだわった。とても甘い響きを持つレコードだ。打ち込み中心のバッキングが、Martin、Wendy Smith そして Neil Contiの演奏で差し替えられ、パッケージ全体を私がプロデュースしていたら、もっと良いものになっていただろうと思う。結局、それはPaddyのソロプロジェクト‘I Trawl The Megahertz'とは異なり、Prefab Sproutのアルバムということになった。しかし、このリリースはもっと急ぐ必要があったし、そうすればコストも抑えられた。複数のミュージシャンと高価なスタジオを要するプロジェクトを、レーベルを赤字に陥れることなく、いかにやりとげるか、それが新しい音楽ビジネスを展望したときの問題点の一つだ。会計や印税計算にかかる膨大なコストを負わせることなく、ミュージシャンやプロデューサーを補償する、真に新しいシステムはまだ整っていない。

とはいえ、我々は素晴らしい芸術作品を与えられた。私はこれが日の目を見たことを本当に喜んでいるし、ファンや評論家たちから暖かく受け入れられることで、聴力や視力の問題を抱えながらも、Paddyが新しい作品に取り組もうと勇気付けられることを願っている。もし、あなたが感銘を受けたいと思うなら、彼自身による、Brian Wilsonと'The yawning caves of blue'についてのライナーノーツを読んでみてほしい。彼は優れた著述家でもあり、素晴らしい小説家にもなれるほどだ。ここ(*)にとても率直なPaddyへのインタビュー記事があり、アルバムについて私よりずっと分かりやすく説明しているので、是非参照してほしい。なぜかiTunesには無いようだが、Amazonでは販売されている。

翻訳: Mr. N


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