「プリファブ・スプラウトは何をしているの?」

トーマス・ドルビー

Thomas Dolby



Flat Earth Society(プロデューサー、トーマスドルビー自身によるHP)のFAQより
FAQ10:プリファブスプラウトは今何をしているの?
うーんこれは深遠なる質問だね。プリファブスプラウトっていうのは北イングランドのニューキャスルという都市の近くにある小さな街、ダーラム出身のバンドで、彼らはこれまでに何枚かのアルバムを作ってきたんだけど、そのうちの3枚を僕がプロデュースしたんだ。
初めて彼らに会ったのは1983年ぐらいかな。BBCのラジオONEの番組でシングルを批評するゲストとして出演したんだ。ちょうどその当時のイギリスのミュージックシーンは停滞ぎみで、ほとんどのシングルは退屈なものばかりだったんだけど、お世辞たらたらのDJは「すごい!」とか「最高!」とか言ってた。でもクズみたいな曲ばっかりの中で一曲だけ本当に輝いてる曲があったんだ。錯乱ぎみに掻き鳴らされるアコースティックギターとハーモニカをバックに「...the burden of love is so strange.」(愛の重荷は奇妙な代物)、「Dawn breaks in the Southern states」(南部の土地は夜明けをむかえ)っていうフレーズがニューキャッスル特有のなまりをもったソウルフルなボーカルで歌われるこの曲はプリファブ・スプラウトの1st アルバムに収録されている「Don't Sing」だった。DJは「ちょっと変な曲だね」とか言ってけど、僕はここ数年に聴いた曲のなかでもっとも素晴しい曲だって言ったんだ。彼らはそのときの放送を聞いていて、後日彼らのマネージャーのキース・アームストロングが僕にコンタクトを取ってきた。「彼らは今度新しいレコードを作るんだけどプロデュースする気はありますか?」ってね。
そして僕はダーラムにあるダーラムにある彼らの家に行くために列車に乗った。パディとマーティンのマクアルーン兄弟は一緒に音楽をやりながら成長して、早い時期からプリファブ・スプラウトって名前のバンドを組むって決めてたらしい。兄のパディが作曲、ギター、ボーカルで、弟のマーティンがベース。丘の上の教会の隣にある十字架がたくさん飾られた家に母親と一緒に住んでた。彼らはとても信心深い家庭で、実際パディはカトリックの神学校に行ってたんだ。「SWOON」や後の彼らの作品の詞のなかにカトリック的なものを扱った表現が多いのはそのせいなんだ。彼らの父親は発作性の重い病気にかかっていて寝たきりだった。パディは小さな部屋のベッドの上に座って、ギターをかかえて、なぐり書きの言葉の上にコード名が書かれたたくさんの歌詞を引っぱり出して、40曲あまりを僕の前で歌ってくれた。そこから気に入った曲を10〜12曲を選んで「スティーブ・マックイーン」というアルバムを作ったんだ。
これを作った時は丁度僕のフラットアースという作品と同じ時期で、僕にとってもすごく充実してた期間だった。「スティーブ・マックイーン」というアルバムにはこれまでにない開放的な感じと大きな期待、そうどこかマジカルなところがあるんだ。それはある意味では僕らが何をしていたかってってことをまったくわかってなかったからだと思うんだけど...。ロンドンのスタジオでプリファブ・スプラウトの連中が本当に1日中したがってたことは食べることなんだ。彼らは食事の間のおやつにダブルチーズバーガーなんかを食べるんだからね。後にLAへ行った時も、ピンクスのホットドッグスタンドに住めたらどんなに幸せだろうって言ってたぐらいだから。ある時、レコード会社の気取った取締役が僕らをソーホーにあるヌーベルキュイジーヌのレストランに連れて行ってくれたんだ。ウェイターがマーティンの前にメインコースを持ってきたけど、それはすごく小さな魚の切れはしとまわりにまばらな野菜をのせただけの皿だった。彼は出し抜けにこう言ったよ。「ねえ、これって喉の部分だけの分量しかないんじゃないの?僕の胃の中に入るものはどうなるんだい?」
バンドのバッキングボーカルを担当しているほっそりとした優美な女性ウェンディはシンガーとしての仕事以外にコントロール室にいる男達のためにお茶とおいしいベーコンサンドウィッチを作ってくれるという仕事もしてくれるんだ。彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいのかぼそい声をしていて、語尾のS(エス)の音はちょっと遅れて発音するクセを持ってる。「プリン...ス、彼の曲はぜんぶセック...スのことばかり」ってな具合にね。ボーカル録りのとき、彼女はとても真剣に取り組むんだ。パディが書いた膨大な量の指示書のコピーを引っぱり出してきて、その時は歌詞のそれぞれの音節にE♯、A、Dのコードが書かれたものだったんだけど、彼女は小さなカシオのキーボードを持ってスタジオの隅へ行って、メロディを演奏して暗譜してた。問題はパディとマーティンがいつもギターをE♭でチューニングしてて、ウェンディにそれを移調するように言うのを忘れてたんだ。テープが回って彼女は調子よく歌いだした。そう正確に半音だけ上がったままでね。歌い終わった時、彼女に言ったんだ。「ウェンディ、よかったよ。調子も旋律もばっちりだ。でも、もう少し感情を込めて歌ってくれないかな?」すると彼女はほとんど消え入りそうな声でこう言うんだ。「歌う時は感情なんか込めない。ただノー...ツ(notes:音符)どおりに歌うだけ・・・」数年たって、ウェンディは街中で話題になるような女の子になって、ペットショップボーイズのコンサートの楽屋とか、美術展のオープニングなんかにもちょくちょく顔を出すようになった。彼女とパディは最初の頃恋人同士だったけど、別れてしまった。ウェンディが活動的になるにつれて、パディはどんどん内側にこもってロマンティックで隠遁した本の虫になっていったんだ。ナイジェル・タフネルも言ってたけど、だからといって、彼らの音楽的なプロ意識には影響はなかったんだけどね。
「ラングレーパークからの挨拶状」の製作も素晴しいひとときだったよ。でもプリファブ・スプラウトにとっては商業主義的なものと芸術的なものがいつも互いにうまく調和させられるわけじゃないってことがわかって、ちょっと行き詰まってた時期でもあったんだ。それまでに彼らはヨーロッパだけで50万枚を売るバンドだった。かなりの偉業だと思うよ。でも、パディの作曲能力が向上するにつれて、「キング・オブ・ロックンロール」に見られるようなやんちゃなエネルギーを保ち続けるのが難しいってことがわかってきたんだ。その結果、所属会社であるソニーとのいさかいも起こった。
「ヨルダン:ザ・カムバック」は文学作品と肩を並べるぐらいの素晴しい仕上がりで、ジェイムズ・ジョイスだって生きてればこの作品を誇りに思っただろうね。ここにはボックスセットなみの量のメロディと歌詞が詰め込まれていて、エルビス・プレスリーとフランク・シナトラの神話性、パディとウェンディの別離、そして父親の死によってパディの中で沸き起こった心理的葛藤なんかがテーマになってる。個々の曲を聴いていくにつれて、非常に明晰で荘厳な深遠さに到達してゆくんだ。ほとんど苦痛を伴うくらい重みのある作品だけど、僕自身もこの作品に関われたことを誇りに思ってる。この作品と僕のソロ作「Astronauts and Heretics」は、僕達のアルバム「スティーブ・マックイーン」と「フラットアース」の時よりも、さらに似通ったところがあって、パディや僕にとっては、商業主義的なものと芸術的なものの垣根をうまく乗り越えて目指すところに近い作品を作れたように思うんだ。さあ、ここにロック批評のようなものを書いてみよう。
悲しいことに、「ヨルダン:ザ・カムバック」と「Astronauts and Heretics」は90年代のミュージックシーンの中でその居場所をもてないかもしれない。あまりにも個人的で、叙情性が強すぎていわゆるロックのカテゴリーには収まらないんだろうね。どちらかと言えば、レコード屋よりも本屋で売られるべき作品なのかもしれない。数年たって、パディは次のアルバムのためのデモテープができあがったって僕に言ってきた。だから、もう少しすれば彼が今後数十年間に渡って独占する居心地のいい場所を見つけることができたかどうかわかるだろう。
僕たちのやってることを本当にわかってくれてるほんの一握りの人達、レコードの購買者の中ではちっぽけなを数にすぎないんだろうけど、そんな人達を大事にしていくべきなのかどうかってことをよく考えるんだ。僕らの忠実なファンにとって、僕らの存在自体が人生においてすごく大切なものだったとしても、音楽産業の中じゃ僕らが売ってる程度の枚数はものの数にも入らない。でもだからといってそういう人達をないがしろにしてもいいのかな?たぶんそうじゃない。僕が音楽に熱中してた15歳の時、その当時聴いてたキャプテン・ビーフハートやダン・ヒックスのアルバムがチャートに入ってるかなんてぜんぜん気にしなかった。そりゃ何百万枚かは売った実績のある僕やパディのような人間にとってはちょっと困惑することだけど、僕らや僕らのファンにとっては、そのアルバムがレコード会社の出費をまかなえるだけ売れる作品かどうかなんて大事なことじゃない。
さあ、レコード会社が何に対してお金を使おうとしてるのか見てごらんよ。

プリファブ・スプラウト

左より、マーティン・マクアルーン
ウェンディ・スミス
パディ・マクアルーン

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