『スティービー・ワンダーとの思い出』

Stevie


プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンが1987年にスティービー・ワンダーとレコーディングした思い出を語ります。
(ジェシカ・サトラーによるインタビュー:テレグラフ誌 2010年3月13日)


あの夢のような出来事ははっきりと憶えてる。弟のマーティンはピアノの前に座って、バート・バカラックの“アルフィー”って曲を一緒に演奏してもらうようスティービーに頼んだ。写真の中で馬鹿みたいに歯を見せてにっこり笑っているのが僕さ。僕らはスティービーをうんざりさせていないか心配していた。プリファブ・スプラウトの4枚目のアルバム『ラングレーパークからの挨拶状』(1988年3月のアルバムチャートで5位獲得)に収録されている“ナイチンゲール”という曲の20秒のハーモニカソロをスティービーに吹いてもらうよう依頼したんだ。スティービーは僕にとって子供の頃からのヒーローの一人だった。彼のアルバム『シークレット・ライフ』(原題: Journey Through the Secret Life of Plants)は夢中になって聴いたし、彼の目が見えないことも知っていた。
僕らのマネージャーのキース・アームストロング(写真ではスティービーの隣に立っている)がスティービーのマネージャーと知り合いだったから、マネージャーを通じて頼んだ。スティービーはこの曲を気に入ってくれたのか、僕らを憐れんでくれたのか、9月にロンドンに滞在する予定だから、その時にこの曲をレコーディングする時間があるかもしれないって言ってくれた。そしてその時がやってきて、僕らは朝9時30分にウエスト・ロンドンにあるレコーディングスタジオのスティービーの隣の部屋に行ったら、彼のバンドのメンバーが廊下で寝てたんだ。彼らは昨夜ギグが終わってから翌朝スタジオにいるように言われてたらしいけどスティービーはまだ来てなくて、彼が現れたのは午後3時だった。彼は“ナイチンゲール”を聴いて試し吹きをした。それから部屋を出て、曲を覚えるために膝の上にカセットプレーヤーを置いて座っていた。そしてあっという間に4つのテイクをレコーディングした。ローオクターブが2回とハイオクターブが2回。全テイクを重ねて入れたよ。レコーディングが終わった後、「君が思った通りの演奏になってるかな?」ってスティービーに聞かれたから僕はこう答えた。「ええ、それ以上のものになりました」
1976年にプリファブ・スプラウトを結成して、マーティン、ウェンディ・スミス、ニールコンティというメンバーと一緒に17年間に8枚のアルバムをリリースした。でも実際はもっと多くのアルバムをレコーディングしてて、その何枚かをリリースし始めた。何年もの間、今後6ヶ月間何をすればいいのかってことに頭を悩まされ続けていた。バンドでギグをやってればおそらく金持ちになれたかもしれない。でも新しい曲が書けないことに疲弊していただろう。終わりのないジレンマさ。
作曲、レコーディング、アルバムのリリース、今でもそういった作業にコツコツと取り組んでいる。でも4年前に右耳がちゃんと聞こえなくなったからライブバンドとしてはもうやっていけないんだ。ベースラインがひどく耳障りに感じて、真夜中に突然大きなノイズが聞こえるようになった。医者からは耳鳴りだって診断されたよ。7ヶ月間ずっとひどく悩まされたけど、ようやくノイズも小さくなってきた。今じゃ作曲をするのにコンピューターを使ってアレンジをしている。骨の折れる作業だよ。ひとりでバンドサウンドを再現しようとしてるんだからね。でもうまくいった場合には満足感も味わえる。僕は自分自身にこう言い聞かせてるんだ。もし無人島に不時着して、そこでスタジオを見つけたらどうだろうって。きっと大喜びしてそのスタジオを存分に使うだろう。僕の両目は網膜剥離になって失明しかけたけど、3回手術をして、目の中に器具を入れて、見えるようになった。目については難聴ほど心配はしてない。僕は楽観的な人間なんだ。くよくよ悩むよりただ音楽を作っていたい。


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