"Stars in his frets" by Chris Ingham

『フレットの中の星』

記事:クリス・インガム(MOJO誌 1997年5月号)


●一体全体あなたは今まで何をしていたのですか?

別に忙しくはなかったよ。休憩するつもりは全くなかったんだけど、かといって、あらかじめ決められたスケジュール通りに仕事をするつもりもなかった。「ヨルダン・ザ・カムバック」を作った後、僕はアルバムを売るためのツアーをやらない口実のために「ゾロ・ザ・フォックス」にまつわる映画/ミュージカル/マンガのための仕事をしていたんだ。

でも、気晴らしというか実は全く興味がなかった「ベスト・オブ・プリファブ・スプラウト」の製作のために「ゾロ・ザ・フォックス」の仕事を中断してしまった。その後、僕は1992年の後半に「Let's Change The World With Music」というアルバムを製作し始めた。6ヶ月かかって16曲をデモに録音したんだけど、その時になにげなくこのアルバムの中の1つか2つの曲で、あるひとつのアイデアを持った長いトラックに発展させて別のアルバムを作ったらいいんじゃないかって思いついんだ。それから、アルバムの中の「Earth: The Story So Far」という1曲を、地球の歴史について歌った20曲程度の曲に発展させてみた。

あきれないでほしい、ただの仕事だよ。地球の歴史は膨大だから僕はテーマとなるイベントや、歴史を通して見られる一致を減らしていったんだ。アダムとイブに対してジョン&ジャッキーのケネディ夫妻、デアリー広場(※ケネディが暗殺された場所)の薮や木々に対するエデンの庭…といった具合にね。 コロンブスやニールアームストロングについての歌もあった。でも君はこのインタビューをちゃんとした記事にしないといけないだろうから、この作業について話すのはこのくらいにしておくよ。

その後2年くらいは、僕はずっとコンピュータで音楽を作る作業に取りかかっていた。でも、やりたいことをちゃんと実現させるテクノロジーを持ってなかったから、デモテープには録らなかった。そんなとき、ジミー・ネイルが曲を書いてくれって頼んできたんだ。それは気分転換で楽しかった。それからシェールにも何曲か書いた。

それで「Earth: The Story So Far」をあきらめたら、新しいアルバムをより早くはじめられそうだと思ったので、1995年の7月からデモテープを録りためて、12の曲をひとまとめにしたんだ。

トーマスドルビーは「1993年からずっと“Let's Change the World with Music”が作られるのを待ってるんだよ」と言って今回のアルバムをプロデュースを断った。でもその時に「君はもう自分でプロデュースできるはずだ」とも言ってくれたんだ。 それは僕には負担だったけども、彼は正しかった。だって僕は自分がほしいものが何かって知ってるんだからね。


●プリファブ・スプラウトの熱狂的信者についてどう感じていますか?

誰かがネット上にある僕にまつわる資料をどっさり送ってくれたんだけど、ちょっとびっくりして興奮したよ。僕はある意味で自分自身にとりつかれている。僕は、バーンスタインとソンドハイムが書いた「Something's Coming」(※ウエストサイド物語の中の一曲)について今後も永遠に、思いめぐらすことだろう。今までそのことを考えることに、数え切れないほどの時間を費やしてきたけれども、それはちょっとした時間を過ごすには楽しい方法だった。しかし、誰かの仕事や、その人生において一貫性というものを探さないで欲しいんだ。それはまったく同時に20もの違った見方を持つことが可能だし、僕らがやってることは、どうやってその見方、考え方が僕たちを捕らえてるのかってことにつきるのだから。


●「SWOON」は他に何物にもたとえようがないほど、どこにもないサウンドを生み出しているように見えましたが?

知ってるよ。僕らは「ステーション・トゥ・ステーション」(※デビッドボウイのアルバム)や「AJA」(※スティーリー・ダンのアルバム)を聞いてきた。ビートルズやブライアン・ウィルソンも好きだった。実際にスティーリーダンの曲を演奏できるくらい十分に洗練されてはいなかったけどね。

当時はジェイムス・ジョイスの小説、ジョイスの考え方が気に入っていた。今このことを思い出すと赤面してしまうんだけれども、僕はすべてのことは挑戦でありオリジナルでなければならない、とそのときは考えていたんだ。人々がそれを賢明さだと間違って受けとめてるのは、ひどく無知なことだ。僕らはとても孤立していた中で、何年間か毎晩ライブで演奏していた。そして摩訶不思議でアイデアを発展させすぎたような奇妙なスタイルを導き出したというだけさ。僕らだけの小さな世界だったんだ。


●何が「SWOON」を書いたような作曲家に、「Mystery of Love」のような曲を書かせることになったのでしょうか?

過去の僕だったらおそらく「Mystery of Love」のような曲は、音楽的にはシンプル過ぎると考えていただろうね。当時の僕は単純なセンチメンタリズムに寄り掛かるようなことはしなかった。でも「Swoon」の作曲家は二十歳で、それを録音した時ですら作曲家としての僕は既にそこから遠く離れていたんだよ。

僕は「Swoon」を自分たちのレコードを作る最後のチャンスかもしれないと考えてた。それで正気なことをする代わりに、つまり「Johnny, Johnny」や「Bonny」、「Faron Young」みたいな曲を入れる代わりに、一風変わった曲を入れることにしたんだ。そのほうがスタジオでよりうまくいくって思ってたから。

いま僕はよりセンチメンタルなものに依存している。「Mystery of Love」には「Ignorance is bliss(無知は無上の喜び)」とある。陳腐だけど真実だ。僕はいつだってそれを広めるのに満足してきた。今ではもっとリラックスしているよ。


●「Life's a Miracle」には本当に胸が一杯になってしまい、私は自分が何に対して答えようとしているのかを知ろうとしてこの「Life's a Miracle」という言葉を紙に書きつけました。

それは同様に僕にも謎めいてる言葉で、あの歌で歌われていることは日常生活から搾り出される自分自身へのちょっとしたメッセージのようであり、クリシェ(決り文句)でもあるんだ。

でもね、言葉というのは音楽をよりよく表現させるためのものじゃなきゃならないって思うんだ。それは僕が音楽を別にした詩だけを書かない理由でもあるんだけど・・。音楽を別にして詩だけを書いても僕にはそれが良いか悪いか判定できないし、それらの言葉を信頼することもない。そこに音楽を伴ってこそ、シンプルな感情が音楽の上にわきおこり、それらの言葉が日常生活で語られる話し言葉よりも温かみを帯びてくるんだ。


●このアルバムであなたと星を結びつけているものは何ですか?

作曲方法は可能な限りポップミュージックから離れていた「Swoon」とはまったく正反対のやり方だった。ロマンティックな唄を作ることに主点を置いて、究極の「スターソング(※星に関する歌)」を書こうと試みた。

かつて父にこれまで書かれた中で最高の曲とはいったいなんだろうって尋ねたことがあったんだけど、その時の父の答えは「ホージー・カーマイケルの“スターダスト”」だった。いつかは星についての唄に取り組まなければならないなってその時も考えたよ。丁度、サン・ラ(※宇宙的ファンクソウルジャズの巨人)を聞き始めた頃で、サン・ラの神話体系の全体像が僕の中にあったんだ。


●「Electric Guitars」はあなたの個人的なビートルズ・ファンタジーですか?

いや、僕のじゃない。それはもっとマッカートニーそのものになりたいと願うものだ。ビートルズがどんな風にみんなの心を魅了したかってことを2分で語っている。

僕もちょっと老けてしまったけど、ある種のファンタスティックなスターみたいな経験をしたこともあるんだ。ローマで観客の間をすり抜けるときに、武装した警官が僕にサインを頼んできた。ちょうど僕が金属探知機を通ろうとしたときのことだったよ。彼は仕事を忘れてね!僕がボブヘアーだったら、女の子たちがやってきてそれを撫で回しただろうね。ハハハ。


●あなたが以前「誰が僕のライバルなんだ?」と言ったことはよく引用されてきました。その傲慢さをあなたはまだ維持していると思いますか?

時々はね。その傲慢さはぐらついてはいるけど。ポップミュージックを聞いてると、僕はもうそれに近づくことができなくなったって考えることがあるんだ。ジョージ・マイケルの「Fast Love」、シックの「Good Times」、ビージーズの「Saturday Night Fever」は素晴らしいね。これらの曲はポップミュージックのすべてを体現していると思う。だから、僕が持っているなんらかの傲慢さは、ポップサイドでおこなっている人々によって本当によく修正されるんだ。ブルーナイルは好きだよ。ポール・ブキャナン(※ブルーナイルのメンバー)はものすごくいいと思う。でもMOJOやQといった雑誌でアーチストを神聖にあがめたてるように取り上げるやり方が嫌いで、みんなが僕にもそのようなアーチストあって欲しいと期待していることも本当に嫌なんだ。買かぶられすぎてるんじゃないかって思うよ。僕は誰のことも馬鹿にしたくはないんだけどね。


●あなたはこの時代におけるステファン・ソンドハイム(※Stephen Sondheim:有名なミュージカル作曲家)みたいな人ですね?

時期によってそうでなかった時もあるけど、多かれ少なかれ愛情を持ってそうだ。

ソンドハイムの作品にはフェイクや今風の神経症的なおしゃべりがたくさんある。しかし、彼がファンタスティックな手腕を発揮すると、それらをとても感動的にさせてくれるんだ。僕は彼が好きだ。クラシック・ソングとは、いくつかのアイデアをひとまとめにした固まりではなく、同じことを別の言い方でもって話すというアイデアの繰り返しだと解釈していたソンドハイムのような人々に僕は心を奪われてきた。そんな人々が作った作品はとても小さな部屋から無限を示唆するような何かを軽やかに滑るように僕たちに運んでくれるんだ。

アービング・ベルリン(※ビンググロスビーによる「ホワイトクリスマス」を作った20世紀はじめのアメリカの作曲家)の曲がまさにそうで、それはいつか僕もやりたいことなんだけど、もし、その曲が正しく歌われたなら、僕たちはそのアーティストを見ることなく、フィーリングだけを感じるだろう。そういった状態が僕には一番理想的なんだ。


●別の男と付き合っている女性に焦がれることを扱った曲がいくつかありますが。

ハハハ(笑)。それは意味深な質問だね。僕はロマンティックな主題を探し、新しい観点を見つけようとしている。君も知ってるだろうけど、僕の曲はどこにも行き着くことの無い「憧れ」を表現してきたんだ。誰かの奥さんと恋愛したことはないよ。それは僕自身の人生の恐ろしい混乱をベースに作っているわけじゃないんだ。でもね、こう考えてみたんだ。みんなその感情を知っている。たとえ、それがつかの間で去っていくものであってもね。人は高貴な行為が何事かは知っていても、むしろもっと別のなにかをしたがってしまうものなんだよ。


●今までにプリファブ・スプラウトという名前にしたことを後悔したことはありますか?

僕はなるべく自分に対して無理のない気楽な人生を送れるようにしてきたから後悔したことはない。このプリファブ・スプラウトって名前は僕がまだ若い時に選んだんだ。神秘的な名前のバンドやアルバムをよく見ていた。「グレートフル・デッド」とか、「グランド・ファンク・レールロード」は神秘的な言葉だと思って、もし2つの無関係な言葉を無理矢理繋げてみたら、これらの言葉と同じようなオーラを呼び起こすことができるんじゃないかって考えたんだ。それが無邪気にも僕がまだその名前を名乗っている理由さ。なぜなら「プリファブ・スプラウト」という言葉にはひどく感傷的な響きがあるから。


●あなたは退屈なプロモーション仕事はもうやらないのですか?

プレスの取材は受けるけどツアーに行くことはもうないと思う。まったく興味がないから交渉の余地すらないよ。僕はスタジオを持っていて、それを使用することでスタジオを作った出費をまかなわなくちゃならないからビデオは作ると思うけど、それも気乗りはしない。もしショウを上演することがあったとしても、まったくビジュアルがないものになるだろうね。




以上 翻訳:M. Hisatsugu


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