Rock's Backpages Interview: Paddy McAloon

by Barney Hoskyns

記事: バーニー・ホスキンズ (Rock's Backpages 2001年6月号)
西部の男


プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーン−タインサイド(*ニューキャッスル近郊のタイン川沿いの地域)のジョージ・ガーシュイン−のかつての楽しみは粗野なブリティッシュロックや聴き難い他のジャンルの音楽に対して自分の立場を守ることだった。それは今も変わらない。プリファブ・スプラウトは新しいアルバムを発売しようとしている。それもまた早咲きのデビュー作『Swoon』(1984年)と変わらず不思議なアルバムだ。

パディ・マクアルーンは私達の時代の、あるいはバート・バカラック、ポール・マッカートニー、ジミ−・ウェッブ、ドナルド・フェイゲン&ウォルター・ベッカーと並ぶオールタイムにおける偉大なメロディストの一人である。彼ら先人達の影響を受け、「Desire As」(1983,"スティーブ・マックイーン"収録)、「Nightingales」(1988,"ラングレ−パークからの挨拶状"収録)「Life's a Miracle」(1997,"アンドロメダ・ハイツ"収録)のような傑作を残してきた。

昨年10月、パディと弟のベーシスト、マーティンはニューヨークとカリフォルニア州にあるポモナに飛び、伝説のプロデューサー、トニー・ヴィスコンティと一緒に『The Gunman and Other Stories』をレコーディングした。しかし発売二ヶ月前になってパディの目の病気が再発。発売が延期になった。


●まずはじめに目の調子はいかがですか?

おや、その質問からはじまるのかい。目はもうまったく大丈夫だよ。ただ1回再発しただけで、8週間前に手術して完全に良くなった。将来再発する可能性がないわけじゃないからそれがちょっと気がかりなんだけどね。それと僕はコンピューターを使って作業するんだけど、1度手術をすると数週間目の焦点をあわすことができなくなんだ。実際もう大丈夫だし、目の調子もすこぶるいい。でも自分がこういう風にしたいってことをもっとうまくできたらなあと思うことがあるね。


●それはコンピューターを使って作曲することを言っているのですか?

そう。僕がコンピューターを使うのは作曲の時だけさ。コンピューターで作曲やアレンジをする利点は、キーボードやギターで作曲するのに飽きてしまった時、まあ指の筋肉の記憶っていうのは何度も古い同じことをさせることがあるんだけど、コンピューターはときどきその指の筋肉の記憶ってやつを少しだますことができるんだ。指の筋肉に頼った古い同じことが必ずしも悪いものじゃないけど、自分のやりたいことと違う時もある。本当、皮肉なことだけどね。コンピューターを使うやり方を例えてみると・・。中古本の膨大なコレクションを持ってて、すべての蔵書を読める準備ができてる。片目は拡大鏡を使って入念に読んで、もう一方の目で全体を見渡す。そういう感じさ。


●今度も軽めの質問で申し訳ないのですが、カール・マルクスがカール・ウィルソンに出くわしたような立派なあごひげはどうされたのですか?

切り落としたよ。ちょっと落ち着いた感じにしたかったから。ジェリー・ガルシア(*グレートフル・デッドのリーダー)とは関係ないからね。あごひげのことでこんなに説明をするのが僕にはちょっと驚きだけど、ただ2年間何も考えずに座ってのばし続けただけなんだ。家族だってひげのことは何も言わなかったし、子供達は気に入ってくれた。でも突然みんなが「Jeeeezus!」って叫ぶようになったんだ。


●アルバムの中のワイルド・ウエスト、カウボーイといったテーマはどこから始まったのですか?私はジミー・ネイルに提供した「Cowboy Dreams」からだと思うのですが。

各曲から思い起こされるそういったテーマにそれほどこだわったわけじゃない。僕は誰も考えもしないようなものに対してよく興味をひかれたり、知識の深さを示唆するような何かを何気なく思いついたりする。だからカントリー・ミュージックについて僕と真剣に話したがってる人とは話ができないんだ。カウボーイというテーマはもともとはジミー・ネイルがカントリーシンガーを演じるテレビ番組の中のキャラクターから湧き上がってきた。もし僕がアメリカ人だったらカウボーイの曲を書くにはどういう風にすればいいのか、古っぽい田舎臭い感じでやればいいってことがわかったかもしれない。でも僕もジミ−もイギリス人だからこそ、このテーマでなんとかうまくやれるんじゃないかって考えてみたんだ。


●ガンマンに託した愛のメタファー(隠喩)は実際作品のなかでうまく表現できているように思えます。

うん。その愛のメタファーをメロディの持つ甘美さ(Sweetness)に対して作用させてみた。音楽的な点で言えば、甘美さとメロディへ向ける僕の自然に出てしまうクセっていうのがあって、そのせいで僕が好きな他の音楽の要素と組み合わせるのがときどき難しいことがある。ハウス・ミュージックも好きだけどそのスタイルは僕の音楽には適していない。それに僕はジミ・ヘンドリックスの「Voodoo Chile」が大好きだけどあの種の音楽のタッチを自分の作曲に取り入れることは考えられない。自分の作る音楽に対してベストの編曲をすることにおいて、僕は自分で制限事項を持ってる。だからもし僕が曲に抒情的な面をうまくもぐりこますことができるなら、それは甘美さの極みまで達するんだ。


●甘美なメロディの達人はまだ健在だった、このアルバムを聞いてそう感じる人もいるでしょう。

メロディに興味を持ってくれるのはうれしいね。ポール・サイモンが何年か前にメロディはすべて出尽くしてしまったと言ってたのを覚えている。彼がそういう結論に達したのはリズミカルなものへ移行している当時の状況への警鐘で、それは鋭い考察だと思うんだけど、多くの人の嗜好がリズミカルなものへシフトするときはいつでも、そこに奇妙な自分の持ち味を入れる余地があると思ってる。だからこそ僕は大いに張り切ってメロディにこだわる姿勢を持ち続けてるんだ。


●ウエスタン・ワールドの音楽的なサブカルチャー(*カントリーミュージックのこと)は今やほとんどメロディをないがしろにしているように思いませんか?メロディはまったくクールじゃないですよね!

「どうして僕はマーヴィン・ゲイみたいなグルーヴィーなサウンドを作れないのかな?」一度トーマス・ドルビーに尋ねたことがあるんだ。そのとき彼は僕のそばにきてこう言った。「君がたくさんのコードを使って、そのメロディが君の描くべき主題にちょっとでも重なったとしたら、そのとき何かが君の曲にグルーヴィーなものを与えてくれるはずだ」今のポップミュージックを聴いているとメロディの遊びに許されるのは8小節までだということはわかる。でもそれはポップミュージックの場合だけで、オペラのような長い一連の音符のある音楽ではそういう傾向はないんだ。歳をとって、ある音楽的な主題を通して音楽を聴くようになると、オペラのような変則的な旋律も好きになったよ。


●私がこのアルバムで最も好きな曲はタイトルに"Not For The World"というあなた自身の言葉を付け加えた新しいヴァージョンの「Street of Laredo」です。

「Street of Laredo」を最初に聴いたのはまだ子供のときだった。マーティ・ロビンスの歌ったバージョンだけど、アルバムを持ってたわけじゃない。僕はこの曲の著作権について念入りに調べてみた。匿名の民謡であるこの曲を自分の手でいじってみようってアイデアが気に入ってたからね。付け足した歌詞はすべてオリジナルソングの中にあるイメージから引き出したものだ。この作業をするうちに僕はこの曲を歌い継いできた人たちのことを尊敬するようになった。この曲については自分でもその出所を調べてみたんだけど、実は性病にかかって病院に収容されている兵士達について歌ったイギリスのフォークバラードがもとになってることがわかった。それがアメリカに渡ってカウボーイソングになって歌い継がれるようになったんだ。僕はこの曲を下敷きにして、ストリートギャング文化にも目を向けつつ、お気に入りのスィングビートをのっけてみたかった。まあそれは単なる僕の個人的なお楽しみだったんだけどね。


●『The Gunman and Other Stories』のレコーディングで再訪したアメリカはいかがでしたか?

アメリカに行ったのは8週間でマンハッタンは午後に半日行っただけ。家族と一緒で僕は運転もしなかった。妻が運転するにもアメリカは広大すぎるしね。


●トニー・ヴィスコンティのスタジオでのセッションはどんな風に行われましたか?

初めてスタジオを見たときはちょっとショックだったよ。だってニューキャッスルにある僕のスタジオより小さかったし、機材も不十分に思えたから。でもそんなこと口に出すのも畏れ多いし、こう考えることにしたんだ。ここには伝説的なレコードを作ってきた人物がいる、ってね。だからとても居心地はよかったよ。カルロス・アロマ−はHIPなやつで、彼は「Street of Laredo」を黒人が演奏するアイデアに眉を上げたけど、僕がちょっとヒップホップみたいな感じにしたいって言ったら、僕を見てこう言ったんだ。「ヒップホップの第1原則:同じ素材を使った曲で同じキーのものはありえない」


●このレコードを聴いているとジミ−・ウェッブの作品を思い出させる瞬間が必ずあります。

君のその感覚はとても正しい。ジミー・ネイルの為に曲を書いてた時、ほとんど毎朝「僕の模範となるジミ−・ウェッブだったらここをどうするだろう?」って考えてて、そうすることによって彼のような力強い語り口と確かでまっすぐな表現に戻ってこれたんだ。そしてたまに「この曲をある特定の歌手、たとえばウィリー・ネルソンの為に書いてるとしたらどうだろう」って考えたりもしたよ。


●人々はまだジミーのように愛する人ために悲嘆にくれている、そこが素晴らしいです。

人生の早い時期にミリオンセラーを作ったという事実は別にして、さまざまなことがジミ−を不利な立場に立たせてた。"Everybody thinks that just because I play Vegas…"など歌詞の題材になってた人達がHIPじゃないから彼もHIPじゃないって思われてた。本当にHIPな人の特徴のひとつはその人がどれだけクールものを書いてて、それがみんなに認められてるかってことなのにね。僕はいつだって彼のことをクールガイだって思ってたよ。バート・バカラックだってそうだ。彼がどんな政治的信条を持ってようが、黄色い派手な上着を何枚持ってようが、そんなことは関係ない。


●ジミー・ウェッブに会ったことはありますか?

ジミ−とは仕事をしたことがある。僕はアイルランドまで行った。"An Eye on the Music"っていう番組があって、それはソングライターのためにオーケストラで自作を演奏する番組でこんな風に誘われたんだ。「今度うちのショーにジミー・ウェッブが出演するんです」僕は軽い感じで冗談めかして「僕もジミーと一緒のショーに出れたらなあ」って言ってみたんだ。そしたら「The Highway manをジミーとデュエットする気はありますか?」って尋ねてきた。もちろん僕は自分の仕事をすべてなげうってデュエットしに行くって言ったさ!それから僕はジミ−に会って二人で「The Highway man」を演奏した。歌詞がちょっと変わってたこともあって現場ではすごくあがったよ。ジミ−の歌は素晴らしかった。ジミ−の曲はいつも歌詞がちょうどいいくらいの分量なんだ、会話体で打ち解けた感じだしね。ジミーは「恋はフェニックス」も歌ったんだけど最後のメロディーが変わってた。「僕がそこのメロディ変えたの?」って尋ねたら、「あのメロディは気に入ってないんだ」って言うから「でもグレン・キャンベルのレコードでは・・」って言いかけたら、「あれはグレンが変えたんだ。私じゃない」って。


●素晴らしいアルバムだった『アンドロメダ・ハイツ』の話をしたいのですが、あなたはこの作品の仕上がりに満足していますか?

うん、あのレコードは気に入ってるよ。活気や興奮を排除するような形で作ろうとして、アルバムではすべて生のバンドが演奏しているようなフェイクをやってみたんだ。でもそれが気に入ってるし、口に出してあれはたいした仕事だったって言うのもはばかれるんだけどね。「Swans」やタイトルトラックの「Andromeda Heights」のようなフェイバリットソングも何曲か入ってるし。


●「Life's a Miracle」はどうですか?私はあの曲に打ちのめされたのですが。

どうもありがとう。あの曲は僕にとっては他の歌手が歌ったらどうなるだろうってよく想像させてくれる曲なんだ。レイ・チャールズが押さえどころをつかんで歌うのも想像してみたよ。彼はああいうちょっと古びたセンチメンタルな感情を込めて歌うのがとってもうまいからね。ルイ・アームストロングが「Wonderful World」を歌うのも昔から好きだったなあ。「Life's a Miracle」という言葉はクリシェ(陳腐な決り文句)のようなものだけど、そのクリシェの上にポップミュージックが走り出すと、陳腐な言葉がメロディによって活気づけられるんだ。


●いろいろなやりかけのプロジェクトがあるようですが、それぞれの状況はいかがですか?

未完の脚本みたいなものをいまだに蓄積し続けてる。まだ引き出しの中ってところかなあ。もし資金調達のためにプロジェクトの詳細を誰かに話す機会があるならそうするつもりだよ。元気がないときの僕は、どっちがよりコマーシャルなものかって選択するときに、あまり考えずにやりやすい方を選びがちなんだけど、そのコマーシャルで売れるものっていうのは、それが実際に店頭に出て売れないって烙印を押されるまでわからないからね。僕にはなにが売れるかなんてわからないよ。売れることもあるし、売れないこともあるっていう結論に達してる。コマーシャルなものを追求する気持ちもみんな半分は持ってるんだろうけど、それが自分の作りたいものじゃなかったら、おそらく後で自分の作りたかったバージョンを出したいって思うだろうし。僕も10年前には自分の曲をカバーするはめになるなんて思いもしなかった。まあちょっとはリラックスした気持ちでできるし、みんなが思うより簡単に起こりうることなんだけどね。それに僕はより個人的なものに集中できるし、誰かが曲の中に変な歌詞を入れるのを心配する必要もない。まあ言ってみれば、「I Never Play Basketball Now」は僕の個人的な曲だけど、あの曲をシェールが歌うレコードをみんなが手にすることはないだろうってこと。


●最近あなたの耳を捉えた新しい作曲家はいますか?

僕はもうそういったことを気にしなくなった。ずっと新しいものに目を向けてれば、そこにあるわずかな素晴らしいものも感じられるんだろうけど、そういうものに対する興味をほとんどなくしてしまった。それは単に自分のやるべきことをするにもあまり時間が持ててないからなんだけど。僕には確実性にこだわる傾向がある。だから20世紀のクラッシック音楽に目を向けていくだろう。そこには学ぶことがあるように思えるからね。トニー・ヴィスコンティはルーファス・ウェインライトがすごくいいって言ってたよ。


髭パディ

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