"Interview with Paddy McAloon" by Arnd Zeigler

ルイ・フィリップのMy Spaceより
Paddy

September 2009


1. このアルバムのリリースについてどのように感じていますか?

これまでインタビューの中で話をしてきただけのアルバムが、こうやってみんなに聴いてもらえるようになってうれしいよ。あまりにも長い間、「こんなレコードを作ってるんだ」って説明してきたからね。これまで多くの作品がリリースされないことについて深く考え込んだりしないってよく言ってたけど、それは日常生活において、いつも新しいことが自分に起こってたからであって、こうやってみんなに聴いてもらえるようになったのはうれしいし、みんながこのアルバムを気に入ってくれることを願うよ。

このアルバムはこういう形で発売されるのではなく、僕としてはマーティン、ウェンディ、ニール、それにトーマス・ドルビーと一緒にやりたかった。当時の僕にはこのアルバムのビジョンがあって、「これはデモテープで、単なるスケッチにしかすぎない」ってぐらい野心があった。でも実は、内心では自分でも気に入っていて、ずっといい作品だって思ってた。今はテクノロジーの面で以前より大きく変わって、昔レコーディングしたものに手を加えて微妙な調整ができるようになった。だからこれまで数多くのプリファブ・スプラウトや僕のレコーディングに関わってくれたエンジニアのカラム・マルコムが細かい手直しを施して、より今風に磨き上げてくれた。でも本質的には僕が当時レコーディングしたものなんだ。

レコーディングしてすぐに発売しなかったことを後悔してるけど、このアルバムをめぐる物語にはみんな興味を持ってくれている。正直言って、当時はプリファブ・スプラウトの単なる一枚の新しいアルバムにすぎなかった。こんなに発売が遅れたから、このアルバムにまつわる物語も大きくなっていったんだ。何人かのジャーナリストと話をしていて「もし当時すぐに発売されていたら、こんなに興味を持ってもらえなかったんじゃないかな?」って考える時があるよ。これもひとつの観点だと思わないかい?君たちがこのアルバムをめぐる物語について書けば、その物語が観点になる。もちろん、君たちが書いている時にその観点を作品に織り込むことはできないけど。1993年の4月に「このレコードはいつリリースされますか?」って尋ねられたら「1年以内に出るよ」って答えてたに違いない。「もっとかかるのでは」って言われても理解できなかっただろう。それから何か起こるか予想もできなかったからね。


2. SONYがこのアルバムを却下したことについてどう思いますか?

SONYのマフ・ウィンウッドがこのアルバムについてコメントしたものを読んだことがある。彼は偉そうにしてアーチストを虐げるようなことをしない好人物の一人で僕も大好きなんだけど、このレコードについてひとつの部屋でみんなで話し合った時に誤解と行き違いがあったように思う。彼は2〜3曲だけ曲数を減らしてレコードの長さを調整して欲しかっただけだって言ってるようだけど、そこがあまり明確じゃないんだ。その部屋にいた誰もそんなことは言わなかった。「これはいい曲だ。おっ、これもいい曲だね。うん、こいつもいい。全部いい曲だけど何曲か減らさなきゃいけない」って話は誰もしなかった。そこに間違いがあったんだと思う。僕は彼らに対してあまりにも多くの曲を差し出した。もともとDATには16曲も入ってた。『ヨルダン:ザ・カムバック』の後だったから「曲が多すぎる。またたくさんの曲をやろうとしてるな」って思われたに違いないんだ。でも僕としてはそこから曲を選んでもらうつもりで、良かれと思ってたくさんのストックを差し出した。だから口出しはしなかった。おそらくその時に立ち上がって「さあこのレコードを作ろうよ」とか「どこが悪いんだい?」って言ったら良かったんだろうね。僕は何も言わなかった。その後でこのアルバムのアイデアのひとつかふたつを拡大する話になった時には少しショックを感じたよ。そこから話が完全に脱線したんだと思う。マフか誰かが「“Earth: The Story So Far”はいい曲だから、この曲のアイデアを広げてみないか?」って言った。そういう経緯があって、僕は別の曲を作り始めたんだ。


3. 久しぶりに聴いた時、アルバムに収録されている曲に親しみを感じましたか? あるいはまったく知らない未知の曲のようでしたか?

すっかり忘れていて、まったく知らない未知の曲だったよ!聴いていてどんな曲だったか思い出せなかったし、次にどんな歌詞が歌われるのかもわからなかった。2008年のある時に久しぶりに箱の中から取り出して聴いた時は強烈な印象だった。「こいつはすごい!」って思ったよ。それから聴力と一緒にいかに多くのことを失ったかを考えた。「この時に持っていたパワーはもうなくなってしまった」ってね。曲がどんな風に展開していくのかも思い出せなくて本当に奇妙な感じだった。去年のクリスマスに『スウーン』を聴いた時も曲展開の手掛かりすらつかめなかった。まるで新しいレコードを聴いているみたいだった。でもこの『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』を久しぶりに聴いた時は、正直に言って、どこにも悪いところはないって思った。親密に感じたよ。その後、本当にゾクゾクしたのは、カラム・マルコムがテープを持っていってきちんとミックスを始めてからだよ。だって僕はミックスのやり方を知らないから。自分のスタジオでは、うまくできた試しが無いんだ。バランスはひどいもんだしね。だからミックスを本業にしているカラムにやってもらった。聴いてみて本当に驚いて、「どうやったんだい?どんなトリックを使ったんだい?」って彼に何度も尋ねたよ。彼は「テープにある音のまんまだよ」とか、時には「君の作ったドラムパートを読み込めるマシンを持ってたから、別のベースドラムを混ぜたんだ」って言ってたかな。ボーカル部分の間にあったノイズもPro Toolsを使ってきれいに仕上げてくれた。基本的にはデモテープにとても近いものになってる。ただ“Meet The New Mozart”は別で、あの曲はボーカル以外の部分は僕がプログラミングをやり直した。だから歌声は1992年のものだけど、バックに流れている音楽は新しく作り直してる。同じようなことを“Music Is A Princess”でもやった。当時はトーマス・ドルビーのために作ったデモテープにすぎなかったから、完全に仕上げるつもりはなかった。だからよりカラフルしてみたんだよ。

長い答えになってしまったね。でもこのレコードを聴いて気に入ったし、恥じることもなかった。とても大好きなレコードだよ。


4. 声が成熟したんじゃないですか?

そうだね。このレコードを聴いて初めて気付いた。僕の声も年老いて、枯れた味わいと深みが出てきたよ。 [アーニー:“それはいいことでしょう。”] うん、ある種の曲にとっては絶対そうだね!でも今はもう以前のようにファルセットで歌うことはできないと思う。このレコードの声は自分でも若く聴こえるし、気に入っているよ。年をとることから逃れることはできないからね。自然の摂理だし、どんな歌手にだって起こることだ。できればもう少しうまくやれたらっていいなって、まあコントロールって言葉が適切かどうかわからないけど、声も筋肉もかつてのように張りのあるものじゃないからね。でも年を取るにつれて、どうすればうまくいくのか、どうすればうまくいかないのかが感覚的にわかってくるようになる。


5. ニューアルバムについての賞賛のレビューをどう思われますか?

とても興奮してるよ。なんたって20年近く前の作品なんだから!昨日、店頭でQマガジンのレビューを見たよ。おそらく若い人向けの雑誌だと思うんだけど、いいレビューが載ってた。時代遅れのドラムサウンドって書かれてたな。でも思ったんだ。20年前だよ。ビーチ・ボーイズのペットサウンズだって20年も経てば音は今風ではなくなるよね。ハハハ。でもいいレビューだったし、書かれていたことは的を射ている。アルバムを聴く時には、雰囲気ってものが何よりも重要なんだ。僕にも理由はわからないけど、このアルバムはある雰囲気を持っている。アンドロメダ・ハイツ・スタジオは天井の高い大きな部屋だけど、このアルバムはそこで作ったのではなく、以前台所だった部屋で作った。狭くて音響的にもひどい部屋だった。本当に最悪の音響環境で作ったんだ!本来レコードを作るような部屋じゃない、ただの部屋だよ。でも僕にはレコードを作っているっていう意識はなかったんだ。ほとんどコンピューターを使って、ミキシングデスクに直接つないで録音するから、僕のボーカル用以外、オープンルームでたくさんのマイクを使う必要もなかった。ただ“Ride(Home To Jesus)”だけは別で、あの曲では歌いながらフィンガースナップをやってる。

ギターの音もあまり入れてない。ギターの音はほとんどがフェイクで“Fall In Love”で少しだけ本物のギターを使ってる。この曲以外は全部コンピューターで作ったギターの音だ。かなり工夫してやったよ。何でそんなことをするのかって?だってレコーディングするような環境じゃないから、ギターの音をマイクでどうやって拾えばいいかわからなかった。要するにできなかったんだよ。今でもこれには悩まされてる。

すまない。君の質問はレビューについてだったね。興奮したよ。本当にゾクゾクした。それだけは言えるよ。僕あるいはプリファブ・スプラウトが最後にレコードを作ってから今までの間に、僕らに興味を持ってくれた人たちが「このアルバム、いいと思わない?いかにも90年代って感じだよね」なんて言ってくれたらって想像してるんだ。僕はラッキーな人間だよ。作り手に対して同情や憐れみを持ってない人達にもアルバムは行き渡る。ホワイト・スネイクが好きだった人にも、ディープ・パープルが好きだった人にもね。彼らは僕らについて知らなかった。だからスリリングなんだ。みんなに感謝するよ。


6. 時代を超える不朽の名作はどうやって作られるのですか?

時代を超えるような作品はいくつかの要素を持ってると思う。時事的な事柄を大きく扱うことを避けているというのもその特定要素のひとつだよね。不朽の名作と呼ばれるレコードには時事的な事柄はあまり入ってない。僕にも時事的な事柄を取り上げた曲が何曲かあったけどやめたことがある。“Diana”って曲もその1曲で最後まで仕上げなかった。80年代に作った『プロテスト・ソングス』に収録されている“Diana”じゃなくてまた別の“Diana”って曲なんだけど、曲の中の状況が現実に起こったことに追い越されたからやめざるをえなかった。僕が書いた曲はダイアナ妃がスーパーマーケットで仕事をしてるって内容の曲なんだけど、趣味が悪いし、レコードとして出すにはもう遅い。やっぱり時事的な事柄は避けるべきだよ。それにコンピューターを使うのも…。もしコンピューターを使うんだったら、他の誰もやってない使い方でやるべきだ。だってダンスミュージックってどれも同じように聴こえるよね。みんなコンピューターやシンセサイザーを使ってエレクトロニック・ポップみたいなのを作ろうとするけど、僕はプリファブ・スプラウトのデモテープを作るのにコンピューターを使った。だから音の時代性と由来があいまいなのかもしれない。僕の作るデモテープはデペッシュ・モードやヒューマンリーグみたいな音じゃないからね。なんて言ったらいいのかな。やっぱり単にプリファブ・スプラウトみたいな曲になってしまうんだ。まあ僕がプリファブ・スプラウトについてわかりすぎてるってこともあるんだけど。僕が作る曲はエモーショナルで、音楽、宗教、崇高さなんかをテーマにした感情に強く訴えかける曲が多い。あらゆるレコードの中にある個々のテーマがパワフルなんだ。ゴスペルのレコードって、歌われているテーマがパワフルだよね。時事的な事柄を避けるとか、パワフルなテーマを持つことが時代を超える名作をつくる手助けをしてくれるのかもしれない。でも僕にも本当のことはわからないよ。それはやっぱり謎だよね。


7. タイトル曲である“Let's Change The World With Music”が収録されていないのはなぜですか?

タイトル曲? ああ、そうだね。それには訳があるから話をしよう。僕はそのタイトル曲をもう一度プログラミングして、レコーディングをやり直すことに決めた。以前作ったものは趣味の悪いコカ・コーラのCMソングみたいにトゥーマッチで気に入らなかったからね。マイケル・ジャクソンの“Man in The Mirror”のような曲を作ろうと考えてて、始めたんだけど、おそらくトーマス・ドルビーと一緒にやった方がよかったのかもしれない。もしトーマスとプリファブ・スプラウトのメンバーと一緒にこの曲をレコーディングしてたら、いいバージョンになってたと思う。曲とぴったり合うようなゴスペル風のコーラスも入れただろう。でも7〜8分もあってかなり長すぎたから、僕は駄目だと思ったんだ。この時、アルバムにはもう1曲同じタイトルの曲があった。そう、同じ“Let's Change The World With Music”ってタイトルの曲が2曲あった。でも第1次湾岸戦争を扱った曲でちょっと時代遅れになってたから、出来は悪くなかったけど作業を途中でやめたんだ。曲の長さの問題もあってうまくいかないだろうって感じたからね。そりゃあ、曲がかなり長くこともあるさ。でも今の僕は短くしなきゃいけないってことがわかるから、もう一度プログラミングして、レコーディングをやり直した。そしていいバージョンが出来上がった。去年の8月から9月にかけてその作業をしたけど、その後にひどい咳の風邪にかかって、歌を歌えなくなった。だから歌えるようになるまで待つことにしたんだ。でも待っている間にアルバムの曲数が多いと考えるようになって、この曲を減らすことにした。だからこの曲のボーカルは録音していない。この曲はこのレコードの奇妙な遺物で、いずれ仕上げたいと思っている。とてもソウルフルなバージョンだったから、同じようにソウルフルなフィーリングを持つ別の曲を何曲かくっつけてみるかも。そうしたら、また別のものになって、タイトルも“Let's Change The World With Music, Volume 2”になるかもしれない。完成はいつになるのかわからないけど、タイトル曲はそんな感じの曲なんだ。

他にも収録されなかった曲はないかって?全部で16曲じゃなかったかもしれない。14か15曲かな。16曲だったかどうか確信を持てなくなったよ。2曲のタイトル曲と、“Diana”が収録されなかった3曲だと思うけど今はもう思い出せない。まあ、そんな重要なことじゃない。全く重要じゃないよ。でも曲数が合わないのはおかしいよね。たぶん16曲じゃなくて14曲しかなかったんだよ。


8. ベッドの下に隠しているまだリリースされていない曲が詰まった箱はどうなっていますか?

うん、それはなかなかロマンティックな言い方だね。でも残念ながらもうベッドの下に収まりきるような量じゃないんだ。スタジオの隅に置いてあるんだけど、アルバム何枚分あるかわからない。見るのもうんざりするぐらい多いからね。時々そばを通り過ぎる時にタイトルをチラリと見るよ。例えば1986年には『Total Snow』っていうクリスマスソングのレコードがあって、その何曲かは覚えてる。僕は曲を作ってはこう考えるんだ。「う〜ん、この曲はやろうとしているアルバムには合わないかもしれないけど、別のプロジェクトにはぴったり合うかもしれない」ってね。そんな感じで曲を作っては箱の中に入れていくから作りかけのものがたくさんある。正直言って、アルバム何枚分あるかわからない。本気で取り組むにしても、全部やるにしても量が多すぎるんだ。どれも僕にとっては興味深いものだけど、他の人にとってどれだけ興味深いものなのかはわからない。それが何年もかかってやっとわかったよ。ちょっと奇妙なアイデアを基に作った作品もある。ある特定のテーマに沿った曲をたくさん作ってみたらどうかってよく考えることがある。ボコーダを使ってブルースをやってみたらどうだろうか?とかね。二つの変なアイデアを一緒にして何曲か作ってみたいんだけど、そんな中で僕の好きなレゲエ音楽みたいな“Sound World“ってアイデアもある。機会があれば、ポール・サイモンが作りそうな曲を書いてみたい。知っての通り、彼はカリビアン・リズムをきちんと咀嚼しているからね。あんな曲を書いて「OK、これはキャッチーだ」なんていって、ひとつにまとめていくんだ。もうかなりの曲を作ったけど、このことは今日まで話したことなかったし、実はまだ1曲もレコーディングはしていない。とてもポップで力強い曲だよ。でもやっぱりわからないな。アルバムを1枚作って、そのアルバムに関するインタビューを受けたとしよう。「ポップなレゲエで一枚のアルバムを作られましたね?」って聞かれて、その質問に答えなきゃいけないと思うと憂鬱になるかな。僕がレコードを作らない理由のひとつは、作品について長々と説明するのが億劫だからなんだ。変なこと言ってるって思うかい?


9. 未発表の音源をリリースするのに不安を感じますか?

作曲について言わせてもらうと、僕は毎日のように曲を作っていて、そうして作った様々な曲を分類するのが好きなんだ。分類してレコード1枚全体を体系づけるとそこにテーマが浮かび上がってくる。『アンドロメダ・ハイツ』では星の比喩表現というあいまいなテーマがあったように、様々なテーマが出てくる。それからそれがOKかどうか自問するんだ。「僕の生まれ育った小さな町をテーマにしたレコードを聴きたがっている人はいるかな?」ってね。実はあるんだ。弟たちと一緒に小さな町で過ごした僕の人生に関するアルバムがあって、まさにそんな雰囲気の曲が入ってる。面白いレコードだけど全編引用だらけだったかもしれない。「ちょっと好き放題やりすぎたかな?」って思う一方で、「世の中にはうんざりするようなありふれたレコードでいっぱいなんだから、なんでそういうレコードを作らないんだ?」とも考えてしまう。要するにバランスを取ろうとしてるんだな。“完全に個人的なもの”とドイツの誰かが興味を持ってくれそうなもの。「なんだ、これは?さっぱりわからないぞ!」って具合にね。この2つの間でバランスを取ろうとするんだ。


10. 『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』をリリースするというのは誰のアイデアでしたか?

キース・アームストロングが、このアルバムをリリースする資金を工面できそうだって僕に言ったんだ。彼がそのお膳立てをして、興味を持ってくれた人がいたけど、僕はリリースには懐疑的だった。僕にとってこのアルバムは古傷みたいもので、傷は癒えて、もう「このアルバムを出さなきゃ」って考えもしなくなってたけど。僕は17年前に失望感を味わって、それから時間が過ぎていった。インタビューでも話してきたようにリリースされなかったのは僕の過ちだったに違いない。僕がどれだけ忙しかったかなんてこれまで言わなかったけど、新しいことをするのに夢中だった。誰も新しいことに理解を示してくれなかったからね。僕はプリファブ・スプラウトについて話をする時、大昔の出来事を話すような感じになる。プリファブ・スプラウトのレコードはとても大きな氷山の一角なんだ。僕らはレコード作りを存分に楽しんだ。僕がそう言うと、トーマスやマーティン、ウェンディをないがしろにしているように聞こえるかもしれないけど、どうかそういう風に思わないで欲しい。何年も前の大昔のことだからね。単に新しいことに夢中だっただけ。みんなでレコードを作っていた時でさえね。変に思うかもしれないけど、みんなでレコーディングしている時でも僕は一人で新しい曲について考えている。『ヨルダン:ザ・カムバック』のレコーディングでスタジオに入る時には、そのアルバムはもう僕にとっては古いものなんだ。「さあ、次は何をやろうかな?」なんてことを考えてる。決して日の目を見ることがないプロジェクトがあるのは何をどうやればいいのかわからないからさ。だから箱がどんどん大きくなるんだ。プリファブ・スプラウトのアルバムを作っている時、僕は毎回そこに収録されている曲とは別の曲を書いていたし、他のことを考えていた。だから僕のこれまでのキャリアは僕の思考プロセスとは一致しないんだ。発売されるアルバムは僕の思考プロセスよりいつも少し遅れている。そして過去のある時点において、それは確か『ヨルダン:ザ・カムバック』の後だったと思うけど、自分のやってることにうんざりした。トーマスだって、僕が暗い部屋でレコードを作るのに時間をかけすぎてるって思ってただろう。彼が本当にやりたかったのはよりライブっぽいサウンドをレコーディングすることだったんじゃないかな。でも当時の僕はそんなことには興味なかった。今じゃライブっぽい音を録りたいって衝動もわかるよ。ボブ・ディランのセッションのように、スタジオに入ってそこにある何かを捕らえるようなレコーディングをして、うまくいかなかったらもう一度やり直し。うまくいかなくても、自分でOKを出してリリース。そんな風に前に進めていくやり方もわかる。ところが当時の僕ときたら、これだって思える音に徹底的にこだわって、なんとかそのサウンドを手に入れようとしてた。それでみんなうんざりして、トーマスと僕はそんなやり方にほとほと疲れ果てた。暗い部屋で長い時間、同じ曲にずっと取り組むなんて変なやり方は人間を疲弊させるし、強迫観念にとりつかれた行為だと思うよ。


11. 技術的に、楽曲にはどんな手が加えられたのですか?

どんな手が加えられたか、正確に?それはカラム・マルコムに聞いたほうがいいよ。正確に何が行われたか、彼に尋ねたほうがいい。なぜって、技術的にどんなことをしたのか、彼なら話せるだろうから。彼はいつもとても謙虚だから、僕には「あなたが録音したもの、それだけですよ」って言う。でも、サウンドの深みを増すために、見えないところで彼はいくらか手を加えているんだ。ただ、「それほど多くの加工はされていない」って僕が言うと、カラムがレコードにもたらしてくれたものを僕が過小評価しているように聞こえてしまう。でも本当に知りたければ、彼に尋ねるべきだよ。本質的には“Meet The New Mozart”と“Music Is A Princess”以外は、完全にやり直したわけじゃない。作った当時の姿にとても近いよ。当時の感触がそのまま残っている。昔の曲を新しい曲として全部録音し直すっていうのはバンドではよくあるよね。でも今回のは、ほとんど作った当時のままだよ。秘密のテープ? [アーニー:“無いでしょう。”]  誰かが秘密のテープを持ってるんじゃないかって?“Let There Be Music”のような曲は、僕が作ったそのまんまだよ。でもカラムがバランスをとってくれた。彼は古いレコーディング音源から、ノイズを抑えて音圧を上げるのがとても上手いんだよ。そういうのが得意なんだ。だって僕は1/4インチのテープで録音したんだよ。16インチのRevox…じゃなかった、Fostexのデッキと18トラックのSEKのミキサーで。1983年か84年には家庭用の高品質な録音システムだったんだ。1992年に僕はまだそれを持っていた。トラックを何度もピンポンしなきゃならなかった…ビートルズが昔やってたみたいにね。数トラックに録音したものをステレオの2トラックにまとめる。で、そこにまたトラックを加えていくんだ。どんどん層を重ねていくみたいにね。一度まとめてしまったらもう戻せない。それ以上いじることができないんだ。でも今は、Pro Toolsを使えばある程度の処理が出来る。カラムはそれをやってくれた。でも、昔僕が下した判断の多くはそのまま残されている。だってそこは変えようがないからね。だから、たとえば“Last Of The Great Romantics”を聴いてみると、リズムトラック…パーカッションなんかはかなり大きめのミックスになってる。もし全くの新作の録音だったら、カラムはもっとそのへんのバランスを下げていただろう。でも、そうすることは出来なかった。もう作った当時のバランスのまま、永遠に固定されてしまっているから。それを使うしか無い。だけど、僕の見方はこうだよ。「歴史を越えて影響力のあるレコードのことを考えてみて(自分の作品をそれと比較しようとしてるわけじゃないよ)。ロバート・ジョンソンが、シカゴのホテルの部屋でもどこでもいけど、彼のギターで録音した音源は多くの人をインスパイアしてきた。多くの古い作品がファンタスティックに聴こえる理由に、技術的制約や不完全性、或いはコンプレッションがあったりする。テープ・コンプレッションは素晴らしいよ。 [アーニー:“逆に言うと、多くの80年代のレコードはそれによって完全にダメにされてるよね。”]  全くその通り!誰が60年代を差し置いて、80年代のボブ・ディランの作品を選ぶ?「それはインスピレーションとソングライティングのせいだよ」って言うだろう。でも彼は常にいい曲を書けるんだ…でも曲のもつ雰囲気が逃げてしまうことがある。この問題について年寄りじみた言い方はしたくないんだけど、だって僕はデジタルで音楽をいじるのが好きだから。カラムにその力が無かったら、このレコードはこんなにいいサウンドにならなかっただろう。僕が自宅でテープでやったことを思えば、よりよいサウンドになっているよ。それは事実だね。このサウンドには何かがある。フィルムで撮った写真みたいに。深みがあるんだ。まあ、このへんで止めておくよ…これはニール・ヤングのお気に入りの話題だしね。(笑)


12. 未発表アルバムのクオリティ(および状態)について

どれもそれほど具体的にレコーディングしていないんだ。『Earth: The Story So Far』はかなり進んでいた。基本的に全曲仕上げたかな。何年も『Total Snow』を作ることを考えてきたんだ。昔ながらのクリスマス・レコードのサウンドを使いたくてね。鉄琴やグロッケンシュピール…そんな音を使ってこの作品を大きな、栄光ある大聖堂のようなものにしたかった。でも、実際考えてみて。それってクリスマスの1ヶ月前にとりあげる類のレコードだよね。そしてたぶん、次のクリスマスが来るまで忘れられてしまう。アルバムの賞味期限が限られているんだ。だけどやってみたかった。アイデアが気に入っていたんだ。プリファブ・スプラウトのためにとっておいた曲もあるよ。80年代や90年代はね。ひとつに『20th Century Magic』というのがあって(タイトルは今や少し時代遅れだけど…『21th Century Magic』にしないと)、そのなかに今も好きな曲がある。そしてたくさんの…曲名まで出したくないけど…とんでもないリストになってしまうからね。 [アーニー:“『Neon Opera』は?”] あぁ、『Neon Opera』…『City Songs』、そう、『City Songs』!これのために今年いくつか新曲を書いた。今年の5月、6月、7月にね。4、5曲書いて、アルバム収録曲のリストも仕上げたんだ。だからこれは出来そうだね。他に何があったかな?『Blue Unicorn』っていうLPがあったね。これは一番最近のものだ。 [アーニー:“完全な新作ってこと?”] これは完全なる新作だ。一番最近作ったものだよ。それからMojo誌のインタビューでは、『Digital Diva』のことに触れられたけど、あれは2007年から今年の初め、聴力障害が出た頃にかけてのものだった。ドラムマシンに近づきたくなかったし、ギターの音も聴きたくなかった。だからヘッドホンを付けて、静かに曲を書いていた。そして誰かに歌ってもらうことを考えていたんだ。ほとんどロボットみたいな声でね。そのロボットの声と音楽の主題にはある種の緊張関係があるんだ。主題というのは、願わくば感動的なもの。でもこれは奇妙なプロジェクトだ。すぐにやってみたいというものではなかった。おそらく『I Trawl The Megahertz』みたいな感じのものだね。でも曲は良かった。すごく独特な感じで…だけど『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』みたいにポップじゃなかった。別のもの、とても憂鬱な感じで、願わくば美しい。そう思いたいな。

僕の仕事の仕方は、極と極を行ったりきたりなんだ。オペラ風の女声をイメージして、シンセストリングスでスローな気だるいメロディーを書いて、それに飽きたら、全く反対のものをやりたくなる。ギターを取り出して、ヘビーなリズムの曲を書く。もっと明るめで軽い感じのものをね。そしてまた逆のものに戻る。これが僕の書き方。あるポジションから別のポジションへ。それから、異なるムードの曲をピックアップして混ぜて、LPを作るんだ。


13. 肯定的なレビューは、未発表アルバムに対する姿勢に影響を与えますか?

それには悩まされてきた。いま直面しているもっとも基本的な問題を話すよ。このアルバムに対するリアクションがあまりにポジティブなものなので、これから作ろうとしているレコード…『Zero Attention Span』がとても… [アーニー:“冒険的?”]  …うーん、冒険的でもなくて…ムードが、暗いわけじゃないし、ひねくれてるわけでもない。新聞の見出しに取り上げられた物事に関する音楽なんだけど。有名人や著名人、現代世界について、その厚かましく陰気で冷たい側面のすべてから描いたもの。だから、違う感じなんだ。それがいいものだと思ってるかって?もちろん!やる価値があるかって?ああ、だけど分からないんだ…。悪く言うべきじゃない。まだそいつを作ったわけじゃないから。でも何だかけなしているみたいに思える。だけど君はそういうものの背景にある問題が何か、僕に尋ねた。それは本当に、次に何をやるかなんだよ。僕は『Zero Attention Span』の制作を続けようと考えてきたけど、それと同時に僕は、アコースティックギターとマイクといくらかの音を加えて…早く作れるけども、いいムードのもの、そういうのもやるかもしれない。そんなのをやってみようと思ったり。でもそれが実現可能かまだ確信が持てない。サウンドを聴いてハッピーな気持ちになるのに時間がかかるから。

やってみたいのは、アコースティックギター一本で今までやったことのないことをやりたいな…1週間の間、気が向いたところで即席でレコードを作る…ただそれだけ。何かに対して終り無き作業を続けるよりも、それってビジネス的にも理にかなってるだろう。でもどうだろう…二つのことを同時にできそうな気もする。だってそれらは全然別々のものだから。『Zero Attention』はコンピュータによる打ち込みのレコード。アコースティックギターは…それそのもの。


14. トーマス・ドルビー(およびバンドメンバー)と作品を作る可能性について

うん、連絡はとっているよ。皆と連絡はとってる。ニール以外はね、彼は今フランスに住んでる。そして、僕はインターネットを使ってないから、メールは送らない。今朝、トーマスに手紙を書いたよ。短い手紙をね。このレコードに対する彼のアドバイスと、プリファブ・スプラウトを注目の的にするために彼がしてくれた全てのことに対して感謝した。そう、まだ連絡は取っている。 [アーニー:“いつか彼と仕事をする可能性はありそう?”]  わからないな。わからない。なぜなら(溜息まじりに)…。問題は、プリファブ・スプラウトの大きなレコードを作るには、マーティン、ウェンディ、ニール、そしてトーマスと一緒にやるには大きな予算が必要なんだ。今は皆それぞれ別の仕事があるようだし。それに、将来の仕事に関して、偽りの希望を抱かせてしまうんじゃないかって気がする。そんなことはしたくないんだ。皆いまの仕事でうまくやっているようだから。新しいプリファブ・スプラウトのレコードを世に出したくないかって?ああ、それが聴けたら素敵だと思う。『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』で聴きたかったけど、僕のやり方や、旅行はしたくないという事実を考えると…小さい子供もいるし、聴力の問題も抱えてきたし、飛行機は嫌いだし。住んでいるところで仕事をしたいんだ。それが一番現実的な解決策だと思う、僕にとって。


15. 『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』はなぜ「フル・バンド」によるアルバムにならなかったのか。

そこまでいかなかったんだ。スタジオに入らなかったんだ。つまり…マーティン、ウェンディ、ニールと一緒に作った音楽を僕が聴きたかったか?もちろんイエス。だけど、僕らはデモの段階から先に進めなかった。マーティンやウェンディに聞いてみれば、おそらく僕と同じことを言うだろう。彼らもミーティングの場にいたからね。たぶん彼らは、スタジオに入って僕のデモテープを元に制作を始めると思ってたって言うだろうね。トーマスと一緒に。トーマスもそのつもりだった。彼は準備できていた。そしてその後、それは実現せずにストップしてしまったんだ。だから僕らは同じ部屋に入ることは無かった。一緒に演奏することは無かったんだ。マーティンも気に入っていた。ウェンディも。だって、僕は彼女から素晴らしいカードをもらったんだ。曲を書いていたときからね。「素敵な曲をありがとう」って。本当に素敵なカードだった。でも全てダメになってしまった。


16. 新作にはあなたの音楽に対するこだわりが以前より少なくなってきているような変化の兆しを感じましたが…

いい質問だね。アルバムを作ってる途中で僕がこのデモテープをどれだけ気に入ってたかってことがわかったんだ。このラフなデモテープを本当に心から気に入ってた。いやラフっていうよりも、やたら威勢がいいといった方がいいかな。とにかくとても気に入ったんだ。自分が昔やったことをね。でも当時は自分でこんなに気に入るなんて考えもしなかったよ。だから君の言うように変化があったにちがいないんだ。このアルバムのレコーディングが今の僕が考え得るいい状況で行なえたとは思ってないよ。レコーディングのやり方に以前のようなこだわりがなくなったか?と聞かれたらたぶんそうだろう。さっきも言ったけど、このアルバムの雰囲気はハイテクのコンピューターには依存してないと思う。細部までこだわった壮麗なステレオ・サウンドのレコードを自分一人で作るのはとても難しい。たくさんの人の協力を得て、レコーディングルームにこもって録音するだけのお金を持ってたら最高なんだけどね。そんなレコーディングのやり方ができたら作品に深みが出て、独特の雰囲気が出るくるはずさ。でも僕は別のやり方でやらなきゃいけない。僕の家にはレコーディングスタジオがあって、その部屋の壁には自分自身に向けたこんなメッセージを貼ってる。「飛行機事故で無人島に不時着したと想像してごらんなさい。君は何とか生き延びた。そこにはさびれた人の住んでいない小さな町があって、時代遅れの古い機材を備えたレコーディングスタジオがある。必要最小限の機材があるだけ。飛行機事故を生き延びて、レコーディングスタジオを見つけたらどれだけうれしいか想像してごらんなさい」毎日このメッセージを見て自分に言い聞かせてるんだ。「難聴になったのは飛行機事故のようなものだ。なんとか生きてるし、幸いまだ働くこともできる」ってね。僕の部屋には少しばかりの録音機材があって、みんなも思ってくれてるように、そこで良質の音楽を作り出してきた。僕はまだ音楽を作ることができるし、その作業に没頭してる。オーケストラや他のミュージシャンに演奏してもらえたらなんて大それた野心はもう持ってないよ。それもいい考えだと思うけど、他人に演奏してもらってもちゃんと音が聴こえないし、それがOKなのかどうか判断できないっていう問題があるんだ。判断はともかく、演奏だけしてもらうっていうやり方もあるけど、僕はそのやり方には満足できない。つまり僕は今の自分の状況でできることをやってるんだ。


17.『レッツ・チェンジ・ザ・ワールド・ウィズ・ミュージック』には宗教的精神性がありませんか?

聴き手が信心深いかどうかは別として、宗教的精神性はこのアルバムにおいて強力なテーマになってる。僕は宗教に関しては自分自身の見解を持っていたい。僕の個人的な考えでは、曲に広がりを持たせるために宗教は持ち込まない方がいい。聴き手がいろんなふうに曲を解釈することができるからね。それぞれの曲の意味を明確に限定してしまったら、広がりのないものになってしまう。でもこのアルバムは明らかに信仰心が大きなテーマになってる。1曲ごとに解説してみようか。“Let There Be Music”では「もし音楽が神の声だったら?」っていうとてもシンプルな問いかけをしてる。僕らはみんな問題や困難を抱えているけど、そんな僕らに音楽は慰めを与えてくれるっていう詩的なアイデアさ。音楽は意味を超越したものを僕らに伝えてくれる。だって音楽は何の意味も持ってないからね。例えば僕が英語を話して、それをドイツ語か他の言語に訳してもらったら、そこには翻訳ミスって問題が出てくる。でも音楽はそうじゃない。意味を読み取るものじゃないんだ。そこが音楽の面白いところさ。信仰上の経験、あるいはスピリチュアルな経験から僕はそう考えるようになった。“Ride (Home To Jesus)”はとてもシンプルだよ。多くの人は神を信じてない。でも善い行いをしている。それは善い行いには価値があるって考えてるからなんだ。本能的にスピリチャルな思考経路を辿ってるんだよ。僕ら人間の利己主義を超えた何かによって世界が形作られていることをちゃんとわかってる。いい考え方だよね。キリスト教のメッセージとして世界を捉えるか、あるいはそんなものを必ずしも必要としない状況で世界を捉えるか、そのきわどい境目がいいんだ。この曲は両方の意味が取れるようにあいまいにしてるよ。そこが気に入ってる。だって僕自身、個人的にその観点に同意できないような曲を聴かされても、楽しむのは難しいからね。そこがスピリチャルなテーマでありながら人から受け入れられるレコードを作る難しさでもあるんだ。“God Watch Over You”にいこうか。この曲の歌詞の最初の部分には“I've no time for religion / Maybe doubt's a modern disease / Then I look at you / Here's what I do / I wear holes in both my knees.”(宗教の出る幕じゃない/不安は現代病なのかもしれない/僕は君をじっと見つめる/君を見つめる僕がいる/僕のズボンの両膝には穴があいている)とある。基本的にはラブソングだ。自分の人生を守ってくれる誰かを望んでいる。そんな曲は他にもたくさんあるよ。神を持ち込むとラブソングにも深みが出るって特徴があるんだ。でも歌詞が僕のある特定の視点になってるなんて主張する気はない。視覚的な歌詞っていうのは難しいんだ。今まで言ったことないけど、ビデオの監督なら、いつだって目に見える視覚的なものを新しいアイデアとして考え出さなきゃならない。でも作曲家はイメージや状況を求めるんだ。僕はいいアイデアを見つけたら何度でも使うよ。音楽に関する曲もたくさん書いた。そう音楽そのものをテーマにした曲をね。スピリチャルな背景を持つ曲もたくさん書いてる。LPもあったな…そのLPの主題曲のタイトルは…確か“Devil Came A Calling”(悪魔の召還)だったかな。“God Watch Over You”とは全く真逆の世界観で作られた曲なんだ。もっと暗い別世界を描いてる。僕は一体どっちの立場にいるのかって?それは僕にもわからないよ。僕はリスナーのためにパワーのあるテーマを探しているだけなんだ。難聴になるちょっと前だから2005年のことだ。だから次はこの“Devil Came A Calling”に取り掛かかるつもりさ。いつか2枚組で出せるといいよね。(笑)


18. ブライアン・ウィルソン、『スマイル』そして‘Yawning Caves of Blue’(あくびの口のような青い洞穴)について

じゃあ、説明しようか。15歳の時にNME(New Musical Express)にニック・ケントがブライアン・ウィルソンに関する長い記事を書いてたのを読んだ覚えがあるんだけど、その記事で初めて伝説的アルバム『スマイル』の存在とそれがブライアンの絶頂期に作られた作品だってことを知った。その2、3年後にアルバムを買って…長くなりそうだから短くして話をしてみるよ。ビーチボーイズの曲に関する本をニューキャッスルの本屋で買った。その本にはローリング・ストーン誌の記事から引用した長いエッセイが載ってて、そのエッセイを書いてたのがトム・ノーランだった。『スマイル』を聴いた人達に取材して書いたもので、まだ『スマイル』がアルバムとして発売されていない1980年か1981年のことだったと思う。80年代に出版された本だけど、その記事は70年代のローリング・ストーン誌から引用されていて、『スマイル』の製作過程に関するちょっとした読み物だった。ジャーナリストのトムはブライアン・ウィルソンの曲のうちの何曲かが持つ印象を「聴いているとあくびの口のような青い洞穴に辿り着くような音楽」という風に表現してた。とても美しい詩的な文章だと思ったよ。自分が聴いてきた“Surf's Up”や“Good Vibrations”、“Wind Chimes”のような音楽がベースにあって、彼の言わんとする意味が分かったんだ。『スマイル』時代のブライアン・ウィルソンの作品の多くはモジュール構成になっていて、断片を寄せ集めて作られていたんだ。その頃、僕も自分なりのこじんまりとしたやりかたで、曲の断片や、他の曲の一部になりそうなサビを作ったりしていたんだ。だからそういうやりかたがうまくいくってことが理解できた。音楽に関する文章を読んで自分でも驚くくらいインスパイアされたんだ。音楽そのものより、写真や何かの解説から音楽的影響を受けることが僕にもよくある。そういう解説を読んで、その雰囲気を掴んで、曲を作るんだ。音楽そのものでなく言葉による描写から影響を受けてね。この‘Yawning Caves of Blue’(あくびの口のような青い洞穴)っていう文章を読むと「さあ作曲に取り掛かろう」って気持ちになれる。長い間ずっとそうだったし、今でもそうだ。「こんなテーマで作曲するとすれば、どうやったら聴き手をあくびの口のような青い洞穴まで連れて行くことができるだろうか?とびきりエモーショナルな音楽を作り出すアイデアは何だろう?」って、時々考えることがある。それはたぶんロジカルなものじゃない。Aメロ・Bメロ・サビ・間奏じゃない別の構成要素があるんだ。そういった類いのことについて話をしていたんだけど...


19. 健康問題について

目のほうはもう大丈夫なんだ。網膜剥離になって、そのままにしてたら、網膜内の体液が網膜から流れ出て失明するところだった。(右目を指差して)こっちの目のほうさ。ここに器具がついているのが見えるかい?丁度、結婚した頃で、『アンドロメダ・ハイツ』のプロモーションを終えた1998年秋の11月のことだった。最初は雨粒を通して世界を見ているような感じだった。首を振ると影みたいなものが見えたんだ。以前にはなかったことだから「何か変だ」って思ったよ。その時に網膜剥離になってた。治療しても、もうひとつの目の左目が同じ症状になって、約1年後に左目も網膜剥離になった。それからまた右目も網膜剥離になって、3回も手術したんだ。手術後も眼鏡をかけないと2重にものが見えるようになった。君を見ても、君が2人か3人いるように見える。本当にちゃんと見えないんだよ。 [アーニー:“その器具はプリズム?”] そうだよ。よく知ってるね。健康問題については目の方はもう大丈夫。でも難聴はひどいものさ。ほとんど気が狂いそうになったよ。 最初に右耳から空耳が聞こえた。急になったと思っていたけど、実はもう1年間も正確に音が聞き取れない状態が続いてた。低音が聞こえないんだ。それから突然頭の中でひどいノイズが鳴るようになった。これは深刻な問題だって思って、腫瘍ができてるのかどうか徹底的に検査したよ。しかし根本的な原因としては、音楽、雑音の聞きすぎか、血管異常によるウィルス性の病気かもしれないって言われて、最終的には医者からは耳鳴りだって言われた。詳しい説明はもらってないけどね。ヘッドホンをしながらキーボードを弾いていても、ヘッドホンからはピュッ、ピュッって音しか聞こえなくて低音が聞こえないんだ。なんとなく不安定な状態がずっと続いて、ちょっと行き詰まりを感じることもあるけど、まだ仕事はできるよ。それに変な音にも耐えられる。難聴になった当初は頭の中で鳴っているノイズのせいで長い間どこにも行けなかったし、子供たちの立てる物音さえ聞こえなかった。まったくひどいものだったよ。まるで自分だけがひとり別の部屋にいるみたいだった。そういった事情のせいで、僕が持っていた野心も本当に衰えてきたんだ。耳がちゃんと聞こえないのにどうやって自分で判断を下せるのか?っていう問題もある。症状は治まってきていて、ちょっとした不快感は感じるけど、激しいノイズは聞こえなくなった。音楽がどんな風に鳴っているかを知るのに周波数(Frequency)を必要としないミュージシャンがいるけど、僕はそうじゃない。理屈はわかるよ。譜面を見れば、どんな音楽が鳴っているかをあいまいだけど掴み取ることができる。想像はできる。子供の頃に楽譜を読み方を教わらなかったけど、今は少し覚えた。若い頃だったら楽譜の勉強もはかどったろうけど、今じゃ自分の聴覚がおぼつかないからね。「Gメジャーコードはこんな響きだ。これが一番高い音ってことは、こんな感じだな」って具合にある程度わかる。だけどもし新たな聴覚の問題が生じたら、今度こそ終わりかもしれないって考えてるんだ。でも僕は大丈夫だよ。

翻訳: Mr.N & sneeze


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