Beyond the darkness

-暗闇を越えて-


by Alex O'Connell 2003年6月6日 TIMES ONLINE



プリファブ・スプラウトのパディ・マクアルーンはほとんど盲目になっていた。そしてその時、彼はラジオにインスピレーションを求めるようになった。


パディは自分の目についている器具を見せてくれた。「見えるかい?怖がられるかもしれないけど、よく見ると僕の両目に装置がついてるのが見えるだろう」ピーナッツぐらいの小さな機械がパディの両目のつけられていて目の下が少しふくらんでいる。「こっちの端にひとつ付いてて、もうひとつはよくずれ落ちるからつついて戻してるんだ。見える?」

5年前、タイン川沿岸出身で80年代に活躍したバンド、プリファブ・スプラウトのソングライターであるパディは網膜剥離を患い、失明することに脅かされ、しばらくの間、見るものはすべて濃い霧におおわれていた。網膜は目の内側にくっついているものだが、いったんそれがはがれると、体液が目の内側に流れてくっつかなくなる。まるで湿気のある部屋の壁紙が壁から剥がれ落ちるように。

網膜剥離は頭を殴られたボクサーの症状としてよく知られる病気である。イングランド北部のゲーツヘッドにあるバルチックギャラリーで行われたこのインタビューの中で、「地雷が出てきたようなものさ」パディは陽気にそう言った。パディは80年代にギターを掻きならし、完全無欠の歌詞を歌った『スティーブ・マックイーン』のような作品をリリースし、その中には完璧なポップソングが何曲もあった。当時はザ・スミスのモリッシーが持っていたけだるい雰囲気と、パディ自身の強固なオリジナリティ、オアシスのリアム・ギャラガーのようにはっきりと物を言う態度をあわせ持っていて、ソングライティングの技法をめぐる議論の中でジャーナリストに「僕のライバルなんているの?」と尋ねたのは有名な話である。

たくさんのアルバムをリリースし、パディは白ワインのスプリッツァーのように謙虚で慎み深くなっていった。今はコンセットで家族と一緒に住んでいて、自宅の近くに作った自分専用のスタジオであるアンドロメダハイツスタジオにも足を運ぶことはなく、妻と子供がそばにいる自宅で仕事をするようにしている。もう剃り落としてしまったが、ネモ船長のような長いあごひげをはやしていた。

多くの本を読む読書家であり、多くの曲を書く作曲家‐そのキャリアにおいて、「Cars and Girls」「When Love Breaks Down」「The King of Rock'n'Roll」のようなヒット曲を含めて1日1曲ぐらいのペースで書き散らしてきたが、網膜剥離のせいでいつものやり方で曲を書けなくなった。しかしパディはその回復期に素晴らしい作品を作り上げた。ソロアルバムである「I Trawl the Megahertz」は1982年にプリファブ・スプラウトと契約したニューキャッスルのキッチンウェアレーベルから今週リリースされる。わがままな偏執狂的天才による作品。甘美なインストルメンタルをバックに話される言葉のほとんどはパディが作ったものではなく、ラジオで話されている会話の断片を物語風につなぎ合わせたものである。

"Hers is the wingspan of the quotidian angel"というセリフを含む25分のモノローグからなるタイトル曲は気持ちの持ちようによって、天国へのサウンドトラックにも安手の瞑想テープにも聴こえる。

パディは今やインタビューにもめったに顔を出さない45歳の隠遁者で知られているが、インタビューの前の夜、ちっとも眠れなかったにもかかわらず、うれしそうにこの作品について語ってくれた。

「ラジオのチューナーを回しながらいろんな局の番組を聞いている人、そんな人の記憶を探ってみるというアイデアでやってみた」パディは思慮深く言う。

「目の手術をする前は大きな雨粒を通して世界を見てるようだった。治療のための薬をもらったけど(見えない部分にはさまれた留め金ははずされたが、読書はいまだに難しい)、目の焦点をあわすことができなかった」

「前向きなこと、生産的なことがなにもできない。一体どうすればいい?そしていろんなものを聞いて作詞することを始めたんだ。BBCのRadio 3 や4、ドキュメンタリーといった違う世界から言葉を引っ張り出すのはある意味で楽しかったよ。テープレコーダーを回しっぱなしにして、後で早送りして全体をざっと聞いてみる。ラジオから最初の文節を拾っていき、おおまかにではあるけれど、それぞれの文節が人生におけるひとつの出来事になるようにしたかった」

いろんな要素を膨らませるために聞き取りにくいリトアニアのラジオ局の番組なんかも聞いていたの?「いやBBCのRadio 4を気楽に聞いてたよ」パディは笑う。「夜中の聴取者が電話で参加する番組には"ありふれたもの"がなくて、永久不変の真理の中で起こる数々の偶然の出来事はまるでボルヘスの小説みたいなんだ」うーん、言っていることがよくわからない。「時々僕は人をだましてうまく言い逃れることがあるからね」

パディは最後の方でアルバム全体をまとめるような形で少しだけ歌っており、実際はパディの声よりもアメリカ人女性の声が多くを占めている。官能的で癒しを与えてくれるその声は、もともとは聴取者参加番組やインタビューなどで話されていた素晴らしくリリカルな言葉に厳粛さを与えている。うっとりとした気分がちょっと覚めるから、イヴォンヌという商品ブローカーの声だということは知らないほうがいい。

「自分とは正反対になるような女性を探してた。レコードの中で自分の声を聞きたくなかったから、僕であって僕でない、自分がちょっと隠れるようなレコードを作ってみたかったんだ」

他人が話した感動的な言葉を使っていることに騙してるようなやましい気持ちはありませんか?「そうだね。確かに他の人が話したものではあるんだけど」パディはそう認めつつも法的な問題が起こる心配はしてないようだ。「自分ではそれほど悪いことじゃないって言い聞かせてる。事実に基づいてはいるけど、詩的な効果を上げるために、文脈にないことをたくさん付け加えてるからね」

パディの手法はブライアン・イーノとデビッド・バーンが『My Life in the Bush of Ghosts』でラジオを使ったことを思い出させる。「この作品がまったくのオリジナルじゃないことは自分でもわかってる」パディは笑う。「問題なのは自分の作品がオリジナルかどうかなんて気にしてないってことなんだ」

アルバムは2万5000ポンドという昨今では比較的安いコストで作られ、パディ自身が原盤を所有し、EMIを通して発売されることになった。「以前にプロデューサーのトレヴァー・ホーンと話す機会があったけど、彼は"芸術的なレコードにはそれに見合う芸術的な予算の価値しかない"って言ってたよ。要はレコード会社っていうのは売れなきゃたくさんの予算をくれないってことさ」

次のプリファブ・スプラウトのアルバムでは、身近にいてパディのやり方も熟知している弟のマーティン・マクアルーンが参加する。「僕の取り組み方は役割を分担するバンドのやり方とはあわない。でももうすぐ新しいレコードを作るつもりさ」

バンドのギターリストでシンガーでもあったウェンディ・スミスは今は教師をして彼女自身の道を歩んでいる。パディはウェンディが次のアルバムに参加するかどうかはあいまいにしている。はっきりしたことはまだ当人にもわかっていないらしいが、ギターを主体にした、よりトラディショナルな作品になるとのこと。

この3年の間に、5つのプロジェクト分の曲を書き上げたが、まだひとつに絞りきれていない。パディは世界で最も熱心に働いているポップソングライターに違いない。「ツアーもせず、他のこともなにもしないで…今年になって新しい家に引っ越して、アルバム3枚分の曲を書き上げた。1月からやりはじめた12から15曲の小品の出来には満足してるよ」

ひと夏のサウンドトラックとなる完璧なポップソングを作ろうとしてるって言ってませんでしたっけ?「そうだね。こんなこと言うのは畏れ多いんだけど、僕はもう自分がやっていくことのアウトラインを決めた。これまでやってきたこと以上のことをしようとは思わない。作曲家として、もう椅子に座って考え込むのはやめにする。僕はヒット曲を書きたい。ヒット曲はもっと複雑で、聴衆を得ようとすることに苦心しなくちゃいけない、僕はそこに興味があるんだ」

リンキン・パークジャスティン・ティンバレイクがやりそうな曲を書いても、それを僕がやったらヒットはしないだろう。僕はもう年寄りで、みんなから見向きもされないからね。ジャスティン・ティンバレイクがパディ・マクアルーンとデュエット。そう、それこそが僕がやってみたいことなんだ」


<過去20年間のヒットアルバム>

1984 『Swoon』
1983年にレコーディングされたプリファブ・スプラウトのデビューアルバム。これを聴いたCBSはバンドと8枚のアルバム契約を結んだ。

1985 『スティーブ・マックイーン』
トーマス・ドルビーのプロデュース作で「When Love Breaks Down」を含むプラチナアルバム。

1988 『ラングレ−パークからの挨拶状』
ブルース・スプリングスティーンのパロディ「Cars and Girls」とトップ10ヒット「The King of Rock'n'Roll」を含むチャートのトップ5に入ったアルバム。

1989 『プロテストソング』
1985年にニューキャッスルで録音されて遅れて発売された完璧なポップソングを詰め込んだ作品。

1990 『ヨルダン:ザ・カムバック』
19曲からなる大作。トーマス・ドルビープロデュース作でこの年の最優秀アルバムとして絶賛された。

1992 『A Life of Surprises』
the Best of Prefab Sprout

1997 『アンドロメダハイツ』
パディが作ったハイテクスタジオの名前を持つアルバム。


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