いごっそう随想へ

高校の必須教科履修誤魔化しの問題

 最初の1校の問題であった必須教科履修誤魔化しがあっという間に全国の高校の問題になってしまった。この問題はまるでその高校の教師および校長にのみ責任があるように言われている。しかし、責任を追及するのなら教育委員会や教科書会社にまで及ばなければおかしい。

 高校での教科書の選択は高校に任されているとはいっても、どういうカリキュラムにしてどこの会社の何という教科書を選んで使うのか、ということは毎年教育委員会に書類で提出をしなければならない。従ってその書類にちゃんと目を通していれば都道府県の教育委員会の担当者は不正があればわかるはずである。また教科書会社も自分の会社の教科書を売り込むのに必死である。どの高校がどの会社の教科書を使うようになったかは最大の関心事である。全ての高校の情報は手に入れているはずである。両者ともこれまで気がつかなかったというのは信じられないことである。こんなことを考えあわせると、このことは教育委員会も黙認していたのではないかと疑いたくなる。攻められるべきは学校だけではないだろう。

 誠に残念ながら世間の高校評価は「毎年どんな大学にどれだけの生徒が入っているか」で決まるのが日本の現状である。受験校と言われるそういう学校の生徒たちの多くが受験科目でない教科は軽視するのも事実である。しかし受験校であっても「大学だけが人生ではないよ」ということ語るのが教師ではないのだろうか。生徒を自殺に追いやった教師のいじめ発言にも通じるものがここにもあるような気がするのだが、それは考えすぎだろうか。

  もっとも指導要録を厳守することが歴史的に見て正しいかどうかはわからない。「学校の常識は世間の非常識」とはよく言われるが、せめて幾分は世間の圧力に負けない部分が学校にあっていてもいいのではないだろうか。特にこんな弱い者いじめや欺瞞が満ちている世の中ではそれが大切なところだと思う。


(2006年10月28日) 

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