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女王様の英語と10分間読書

女王さまの英語 

◇6月8日の朝日新聞の『天声人語』は英語教育をしている者にとっては非常におもしろかった。しかしこれを読んで何の抵抗もなく理解できるのは「英語をかなり勉強した人」だろう。「クイーンズイングリッシュそのものである女王陛下その方が文法など気にせずに The young can sometimes be wiser than us.という英語を使われているのだから、文法重視の英語の授業などせずに気楽に話せるようになる授業をすればいい」というのが筆者のいいたいことのようである。この点については後で触れる

◇まず「女王様の英語の than us のところが何故これほどに問題にされるのか」という点について。この解説を読んで理解できる学生がどれだけいるのだろうかと思った。私が教えている生徒達から判断すると、大学生でもそれはかなり少ないような気がする。せめて「品詞とその働き」ぐらいの文法知識がなければ理解できないことだからである。日本語でも「『違い』の品詞は形容詞」だと言った元大学生もいた。品詞のことなど考えたこともない人達も多そうだが、than が『接続詞』ならその次には「主語+述語動詞」が来る。当然 than we are とならなければならない。than が『前置詞』なら当然 than us である。前置詞の後には目的格が来るからである。しかし「イギリス英語ではthanを『前置詞』として使うのはまだ正式には認められていないということだろう。『格調高い英語』のお手本であるべき女王様にそんな言い方をしてもらっては困る」というのがこのもとになった『オブザーバー』の記事である。日本の皇室の方々でも「見れる」などという『ら抜き言葉』を使われたら騒ぎが起こるかもしれない。

◇しかし「もったいぶった言い方を避けようと努めようとするのは理解するが・・・」のところを理解するのにはもっと高度な文法的知識を要する。than we が「かなり堅苦しい」ということがわかるためには「この we royal "we"(王様の we)というもので、王様や女王様は一人でも Iではなくweを使う」ということを知っていなければならない。もっともエリザベスU世は"my husband and I"という言葉を使われる方だから、この us は国民を含めての「私達」の意味とも考えられる。それなら than us が女王様の意図に叶った表現だということになる。

◇場合によっては、このようにわずか1文の英文でも私達外国人が native なみに理解するにはそれなりの「文法力」が要るのである。だから子供時代を過ぎてから外国語を学ぶ方法は母国語と同じでいいというわけにはいかない。「聞く・話す・読む・書く」どれをとってみても母国語である日本語と比べればその量は水泳プール一杯の水とバケツ一杯の水以上の違いがある。その少ない量を効率よく使うためにはやはり「文法」は欠かせない。外国語を学ぶのならせめて「品詞」と「文の構造」を理解できるくらいの文法力を持っていなければ金も時間も莫大にかけなければならなくなる。 



英語の授業で日本語の本を読む10分間読書

◇ところで『天声人語』のこの筆者は今の学校でも相変らず一昔前のような教え方をしているのだと思っているのではないだろうか。ぜひ現場を知ってもらいたいものだ。『文法のための文法』=『文を作り出すためには役立たない文法』なら必要はないが「単語をどういう形でどういう順序で並べればいいのか」という文法くらいは知ろうとして当然、知っていて当然ではないだろうか。これくらいは取り立てて『英文法』などというほどのものではない。 

◇なるほど一昔前は「日本人は英語は読めるがさっぱりしゃべれない」などと批判されていた。そこで「それもこれも文法が悪い」「英語嫌いを多く作ったのは文法だ」ということになってしまった。その結果が「大学の英文科や英語科の学生が『3・単・現』を知らない」という事態になり、中学生や高校生は「I や you などが代名詞だ」ということすら知らないで英語の勉強をしている。文法用語だけではなくごく常識的な知識も身につけていない人達が増えてきた結果「英語を話すことどころか、聞くこと・読むこと・書くこともできない日本人」がたくさんできてしまった。「話す英語」ばかりを強調してきた結果である。今や「話せもしないし、聞けもしない、読むことも書くこともできない」日本人が大量にできてしまった。 

◇またそれが英語だけではないところが深刻だ。母国語である日本語でもそうなってきているのを知らない人が多すぎる。それなのに「小学校から英語教育」なんてとんでもないことだ。なんで「もっと日本語を」と言わないのか不思議でならない。外国語は決して母国語以上にはならない。母国語である日本語で「聞く・話す・読む・書く」を疎かにしておいて小学校から英語を教えても今以下にしかならないことは目に見えている。

◇一方、最近は多くの外国人が日本語をちゃんと学んでいる。このままでは日本語を外国人から習わねばならなくなる日も遠くなさそうだ。「真剣に聞いているのは留学生のみ。日本人学生の勝手なおしゃべりで大学の講義が成り立たない」などという国が日本をおいてどこにあるのだろう。このままでは日本はアジアのお荷物にもなりかねない。


◇同じ日の朝日新聞の別のページに「小学生6人に1人『読まない』」という記事が出ている。私の勤めている高校は学力が低いと言われるところではない。しかし高校生になるまでに読書をほとんどしてこなかった生徒が実に多い。彼等の語彙の乏しさ・こちらが常識だと思っている知識の無さは目を覆いたくなる。彼等が知っているのは「仲間達としゃべる言葉がほとんど」なのである。教師が説明している日本語すら理解できないことが多いようだ。そのために居眠りやおしゃべりも増えてくる。わからない言葉は知ろうとしない。だからわからない言葉がますます増加する。わからないからますます聞こうとしない。こうした悪循環の結果が大学生の講義中の私語にもなって現れていることは明らかだ。 

◇高校で教えている私達も英語ばかりを教えているわけにはいかなくなってきた。そこで数年前に大きな決断をした。「英語の授業中にも好きな本を読む時間」を設けたのである。これを『10分間読書』と称している。読書を始めるのは高校生では遅いけれども、遅すぎるということはない。お先真っ暗な日本のこんな傾向に少しでもブレーキをかけようというささやかな試みである。『10分間ニュース(新聞の切り抜きを読む)』というのも始めている。相変らず居眠りやおしゃべりを続けている生徒も残っているが、その数は格段に減り、家でも本や新聞を進んで読む生徒が増えてきた。生徒達から記事に対する意見を求められたり、本を勧められたりすることも起こってきた。まだ希望はある。

(1999年6月9日)
 

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