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消え行く唱歌


◇新聞などの報道によると『荒城の月』が音楽の教科書から消えるそうである。「@言葉が古くて生徒にはわからなくなっているA環境が変わってしまって歌われている状況が消えてしまっている」などだそうだ。童謡・唱歌・抒情歌の愛好家にとっては『故郷』につぐ衝撃的ニュースである。

(*最近、小学校の音楽担当者に聞くと『故郷』はどの教科書にも6年生で載っているそうだ。2001年6月24日)

◇『故郷』は長野オリンピックの閉会式でも歌われて「この歌を国歌に」という声もあった歌である。習ったときには「兎追いし」を「うさぎがおいしい」と思ったり「うさぎを背負う」と思い込んでいた、という話はよく聞く。「言葉が難しくて誤解しながらも歌っていても大人になると懐かしさが込み上げてくる」のはそれだけの名曲だからであろ。歌詞が難しかったのは今に始まったことではない。『荒城の月』もまたしかり。「はるこうろうのはなのえん…」と歌っていてもかなり大きくなるまでその意味など考えもしなかった人が多いのではないだろうか。歌詞が難しくても歌い継がれてきたのにはそれ以上の良さがあったが故である。日本の自然の良さを伝えるこれらの歌をなぜ今ごろになって教科書から消さねばならないのだろうか。

◇音楽の時間に「歌謡曲などもっての外」と叱られていたのが私達の世代であるが、今の教科書には流行歌もどんどん取り入れらいる。それはいいことだと思うのだが、だからといってこんな名曲を追い出さなければならない理由がわからない。

◇しかしその一方で、文部省の役人達や政府与党の政治家達には、多くの人々の批判を無視しても国民にむりやり歌わせたい歌があるようだ。「日本の良さを伝える歌は『君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで』だ」と思っているようである。社会党が崩壊してしまい反対勢力の力の力が無くなってしまったのをよいことに「ゆとりの時間」などつくって規制の緩和に向っているように見える学校現場では、管理統制が益々強まっている。「君が代と日の丸」の強制が執拗に陰険に進められている。強制されて愛国心が育つものだろうか。強制の裏には別の意図があると思わねばならない。

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