Mr.Moonlightのアートギャラリー

 ピカソ、ダリ、エルンストなど、シュールレアリズムの作品んに刺激され、18歳頃からイラストを描き始めた。
 今は若い頃の感受性がだんだん失われてきていることを実感している。それに根気や体力も。何よりも、駆り立てられるような情念が消えて、平々凡々の日々であればいい、というような開き直りのような諦観が心の中で大きくなって来ている。
 けれど、がんばる年寄りが増え、何だかぼくもこのままでいいのかと煽られているような気になって来た。マイペースは変わらないけれど、若い頃の自分に負けない作品を作ってみたいと、最近はそう思っている。
 下手の横好きですが、どうぞご覧ください。
「あくび」
 20歳頃、シュールレアリズムの影響を受けて描いた作品。キリスト生誕から21世紀までを考えていたらしい。かじりかけの林檎、月の裏側の謎など、小学生に見せると、そんなところに関心があるようだった。

「セクシーなテーブル」
 錠来の殻を破って初めてポップアートに挑戦(家族に見せると物議を醸した)。
 ペンタブで描いていて、14のレイヤを使用。2022年の作品。
「闇夜に蠢(うごめ)く物」
 デカルコマニーという手法で作った素材をペンタブで合成、2022年の作品。
「神秘」
 デカルコマニーという手法で作った素材を画用紙に貼り付け加筆、2022年の作品。
「植物園にて2」
 一度水彩で描いたものをペンタブで、写真のトレースという手法で。2021年の作品
「顔-2」
 ふたつ下の「顔」と同じモチーフでリメイク。ペンタブと描画ソフトを使った、2020年の作品。

「紅葉台から望む富士」
 ペンタブ初めて描いた写実画、2020年の作品。

「顔」
 見ての通り、目、鼻、口といった顔の部分がデフォルメされ、異惑星にいるような背景の中で地平線からそそり立つ、というイメージで、何かあるものの形を変形させて新しい雰囲気を作り出すというのは、ダリの手法から学んだことだ。この作品のスケッチは20代に既に出来ていたが、実際にこの絵を描いたのは2000年頃。

「植物園にて」
 孫とのツーショット。娘が撮ってくれた写真が絵になりそうだったので、水彩で。

「不安定な街」
 最初に不安定な街の姿が頭に浮かび、後は福島原発、オスプレイ、ドリームワークスのロゴ(少年が今にも落ちそう)などをコラージュ。
「妻の似顔絵」
 還暦の記念に似顔絵を描いた。お祝いの席で渡したら、少し感動してくれた。

「行燈」
 和紙アート。枠はぼくが、和紙の貼り付けは妻が担当した共同作品。

「高架下」
 これは2006年の作品で、基本的に写生。ぼくの会社(今はリタイア)の駐車場は阪神高速の高架下にあって、ふと見上げると面白い構図になっていた。休みにデジカメで写真を撮り、それを基に写生した。 ちなみに、元の写真はこれ。



「うたた寝する女」
 この2作品は、上が先に出来た。輪郭を頂上にした氷の壁をイメージして作ったが、出来が悪く気に入らない。それで同じモチーフで普通のイメージで描き直したら、なんとなくいい感じだったので、対の作品ということにした。東京で単身赴任中(2000〜2002年)の作品。

「侵入者」
 ピカソの「夢」というとても好きな作品があり、女性がうたた寝をしている絵だが、周りの情景が頭の中に入り込んでいる。そこからヒントを得て、恐ろしいイメージに置き換えてみた。後ろの怪物は、人の夢に侵入してくる「悪夢の正体」とか、正気を失わせる悪魔みたいなイメージだ。これも単身赴任時代の作品。
 インスパイアされたピカソの絵はこちら。

「幾何学的な顔」
 これは、エルンストの「ユークリッド」をイメージした作品。ちなみに、エルンストの「ユークリッド」はこちら(何故か白黒写真しかなかった)。


 


「美しき生物」
 下は20歳頃のイラスト、上はそれをリメイクしたもの(単身赴任時代)。モチーフは全く同じ。ライオンとか豹、キリンやピューマ、そういった美しいフォルムを備えた生き物をイメージしている。廊下に配置したのは、ふとピートルズの「イエローサブマリン」の1シーンを思い出したから。同じものを何度も描くのは、人間の性?
 
 2019年に遂に立体に造形しました。絵には当然背面はありませんが、作ってみたらそちらの方が生物チックになりました。皮肉なものです。



「石の顔」
 これも20代のイラストのリメイク。実は文明の利器を活用し、下の絵をコピーして繰り返しペースト。所謂塗り絵みたいなものだ。もともとのイメージはイースター島のモアイなので、リメイクの方が本来の姿。

「憎しみが残したもの」
 9.11、アフガニスタン、そしてイラク。何時まで続く不毛な戦い。その憎しみが残したものは何か。戦いで失われた幼い命と、残された親たちの悲しみ。憲法改正論も堂々と議論される時代、戦争放棄の崇高な理想は後退させるべきではないと思う。アフガン開戦の日、家族にメールを送った。ぼくはアメリカのアフガン攻撃を支持しないと。最も明快な結論を、国家や社会が捻じ曲げてしまうのはなぜなのか。

「無題」
 いつの作品かもわからないが、1970年頃のぼくの部屋の壁に張ってあった。マチスなどの影響によるものだと思う。

「生物」
 手塚治虫の影響が大きい。「アトム」か「火の鳥」に似たようなイメージの絵があったような気がする。生命を胃腸のお化けみたいに描くのには、何か意味があるはず。

「恐れ」
 初恋の頃、家族に干渉されることが怖かった。左下の真っ黒な顔は彼女、右上は父、母、祖母、姉。本当に怖かった訳ではなく、思春期の自分が勝手にそう感じた。家族の顔が歌舞伎風なのは、恐怖にふさわしい姿に思えたから。

 
「表と裏」
 この作品は2つが対になっていて、実際に紙の表と裏に描いてある。全く裏表になっている部分とそうでない部分があって、裏表一体とはいってもそういうものだ。

「無題」
 この絵には解説もつけられないし、タイトルもない。このような絵は、当時ゴマンと描いたが、ほとんど人にあげてしまった。

「イライラした気分」
 タイトルはそういうことだが、そう見えるかどうか。そういう気分の時に、むちゃくちゃに描きなぐったということ。

「宇宙人」
 エイリアンが連想出来ればタイトルにも同感?下に物を引いてそのデコボコを写し取る、フロッタージュという手法を用いている。

「1970年の頃のぼく部屋」
 タイトルの通りで、この絵の壁に貼ってある作品の多くがこのギャラリーに掲載されている。当時はバンドはまだ始めていなくて、小説と絵にはまっていた。この部屋もかなり以前に取り壊されて、今はない。

「秩序を支える女神」
 タイトルの通り、無秩序な女性像が天井を足で支えている。我ながら、これはなかなかよく出来た作品で、ピカソの、視点を変えながら対象を描いていく手法からヒントを得て、人体を切り貼りするもっと過激なものにチャレンジしてみた。ただし、ぼくには一切モデルというものがなく、すべて頭の中だけで作り上げたものだ。

「考える男」
 何となくそう見えればOK。それなりのモチーフはあるものの、その時の気分で描いている。

「トリ」
 フリーハンドで形良く線を描くのは、それはそれで難しい。この絵も、ゴマンと同じような絵を描いた中からこれは、というものをピックアップした。

「光の方向と墓標の相関関係」
 それがどうした、と思える若いタイトルのつけ方だが、矢印が光の方向とした場合の影の出来方を表現している。2次元の絵を3次元的に見せる手法でもある。
「上と下」
 天体望遠鏡と、深海ソナー。年輪は宇宙の歴史の長さの象徴。

「無題」
 若い頃、自分のサインを作っていた。そのサインをモチーフにしたもの。

「手」
 飛び出しナイフを持った自分の左手を描いたもの。

「虹」
 本物の虹にお目にかかると、いつも感動する。確かにそこにあって、でも決して近づくことが出来ないその何ともいえない不思議さ、美しさ。後ろからさす太陽の光が水滴に反射して・・・などと無粋なことは考えまい。

「母の思い出」
 それはやっぱり赤ん坊の頃の「おっぱい」。この絵では、シャガールとピカソが合体。

「倒立」
 帽子、ネックレス、と見ていけば、タイトルの意味がわかるはず。

「山小屋」
 アルプスに憧れ、西洋の象徴の十字架を添えた。日本アルプスには何度も出かけたが、やはり本物のアルプスに、いつかは是非行ってみたい。

「怪獣」
 子供の頃、怪獣映画が大好きで、今でもSF映画は大抵見に行っている。現実にないものに憧れる空想癖のある少年だった。

「顔」
 鬼、悪魔、鎧、仮面、そんなイメージで描いたもの。

「ペネロープ」
 これも何か下敷きになる作品があったと思う。キリコあたりかも知れない。

「モデル」
 スタジオでの撮影風景をイメージ。これらの下絵を、いつか油絵で仕上げて見たいと思う。それなりに面白いものになりそう。

「カメラ」
 昔家にあった8mmムービーをイメージ。8mmといっても、デジタルではなく、アナログのフィルムで撮影するもの。フィルム一本で3分しか撮れない上に、当然撮り直しも出来ないし、現像費を含めると1時間で3万円くらいかかる。だからかなり貴重なものだった。

「紫煙」
 若い頃、タバコを吸っていた。その立ち上る煙が何となくセクシーに見えた。

「女蟲」
 別に女性が虫のようだということではない。手塚治虫のマンガに影響された気がする。

「タンポポの微笑み」
 こちらはディズニーの影響か。「不思議の国のアリス」に出てきそうだ。「女蟲」とペアのような作品だ。

「トルソ」
 いろんな作家のトルソ(胴体)という作品をよく目にする。あまり男の胴体といものは見かけない。どういう意味があるのかは分からないが、何となく子孫繁栄的なイメージがあるように思う。あるいは、母のイメージか。

「静物」
 これが最後の作品だ。一気に通して見てみると、それなりにボリューム感がある。本当はもっともっとたくさん描いたのだが、いろんな人にあげてしまって大半は失われてしまった。それを振り返っていても仕方がない。これからまた新しく産み出して行くための時間と気力を、何とか捻出して行きたいと思う。

THE END