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Spark
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Lester Sill
Jerry Leiber Mike Stoller 1955年・ロサンゼルスで創設 |
| Atlantic の Herb Abramson が Atco という新しい子会社(Atlantic Company の略)設立を決定した55年の11月に買収を決定したレーベル。Jerry Leiber・Mike Stoller(ともにソングライター・レコードプロデューサー)という2人の若い白人は、The Robins というボーカルグループとともに Atlantic の新たな資産となった。Nesuhi Ertegun がカリフォルニアに在住していた頃にこの二人と出会っており、社長に紹介したのである。彼らは20代初めに、Kansas city を含む多くのR&B作品を持っていた。The Robins の中の2人のメンバー Carl Gardner・Bobby Nunn は Atlantic 移籍ののち The Coasters を結成し、Leiber・Stoller 作品を次々とリリースし、56〜61年まで在籍した。Young blood・Searchin'・Yakety yak・Charlie Brown・Along came Jones・Poison ivy・Little Egypt など多くのヒット作を Atco に残すこととなる。Leiber・Stoller は Atlantic で独立プロデューサーとして活動し、Atlantic 傘下で色々なレーベルからリリースも行ったが、業績の多くは Atlantic レーベルからで、The Coasters・LaVern Baker・・Ruth Brown・Clyde McPhatter・Ben E. King・The Drifters らに多くの作品を提供したことである。58年、Leiber・Stoller は The Drifters の There goes my baby でR&Bにストリングスを用いた最初のレコードを製作した。Ahmet Ertegun はこれをあまり好きになれず、Jerry Wexler もこの作品を dogmeat と呼び、約1年間はリリースを認めなかったが、59年4月に発売したとたんナンバーワンのヒットとなり、Atlantic 最大のヒットの1本となった。Atco は The Coasters・Bobby Darin をヒットさせたが、Atlantic が社長を Herb Abramson から Ahmet Ertegun への交代を決議すると、Herb Abramson はストライキを起こし長期にわたる交渉の結果、58年12月に彼の Atlantic 所有株は30万ドルで買収され、Miriam Bienstock(Abramson 設立)・Dr. Sabit の所有した株も、Ahmet Ertegun・Jerry Wexler・Nesuhi Ertegun(Atlantic 所有者)に売却された。Herb Abramson は Atlantic を去り、Triumph(傘下に Blaze を持った)を設立し、58年と59年に数枚のシングルをリリースしたが、短命に終わった。58年の Going back to my love(Gene Pitney が Billy Bryan という名前でリリース・B面は Cradle of my arms・Blaze-351)などがあった。60年に、Festival を設立し、King が配給した Butterbeans and Susie というコメディアンのアルバムをリリースした。60〜70年代にかけて Herb Abramson は A-1 Recording Studio を所有し、他のレーベルを通してリリースを行っている。Titus Turner・Tommy Tucker・Otis Blackwell・Louisiana Red などをプロデュースした。彼の最大のヒットは63年の Tommy Tucker の Hi- heel sneakers で、Checker にマスターをリースし、R&Bチャート第11位に達した。80年代にカリフォルニアへ移住し、ヒットレコードを求めて細々とレコードビジネスを続けた。彼は50年代後半に The Drifters・Clyde McPhatter・Joe Turner・LaVern Baker・Ruth Brown・Ray Charles・The Coasters らをヒットさせ、Atlantic をクロスオーバーレコードマーケットで成功させた。R&Bのカバーに満足していなかった若い白人の若者を狂喜させたのは彼の作った Atlantic であったが99年11月9日に82歳で死去した。のちに Wall of Sound と呼ばれるプロデューサー Phil Spector は60〜61年に Atlantic に入社している。彼は Atlantic の配給会社だった Trey(Lester Sill・Lee Hazlewood 設立・カリフォルニア)でレコードを製作していた。Phil Spector はウエストコーストでのレコーディング状況に限界を感じ、Lester Sill に対し Jerry Leiber・Mike Stoller(この当時は Spark にいた)への紹介を求めた。60年5月、Phil Spector は Leiber・Stoller のもとで働くためにニューヨークに移った。当初は、The Coasters・Ben E. King・The Drifters らのセッションギタリストとして参加していた。彼のギターソロは On Broadway(The Drifters)で聞くことができる。やがて Leiber・Stoller は Phil Spector に Dunes のシンガー Ray Peterson の Corrine, corrina や Curtis Lee の Pretty little angle eyes のプロデュースを担当させ、両方ともに大ヒットさせてしまった。Atlantic は Phil Spector の仕事の注目し、スタッフプロデューサーとして再契約した。Twist and shout は Phil Spector にとって失敗作となったが、この曲のオリジナルを歌った Top Notes を生み出したのも彼である。Bert Berns(この曲の作者)はこれを聞いた時、Phil Spector はこの歌をぶち壊わしていると激怒し、どのように歌うべかを示すため彼を訪れたという。のちに Bert Berns は The Isley Brothers でこの曲を大ヒットさせている。Phil Spector は Atlantic 在籍中に、Jean DuShon・Billy Storm・LaVern Baker・Ruth Brown をプロデュースしたが、61年に退社し Lester Sill とともに Philles を設立した。60年、Buster Williams(メンフィスのプレス工場のオペレーター)は Jerry Wexler(Atlantic 所有者)に、Satellite(Jim Stewart 設立)という地元の小さなレーベルの Cause I love you(Carla Thomas and Rufus Thomas)の膨大な数のプレスを依頼する。彼はさっそく連絡を取り、5000ドルで Satellite とのマスターリース契約を結んだ。Cause I love you は Atlantic からリリースされ大きなヒットではなかったが、1年後に Carla Thomas は Gee whiz を Satellite からリリースした。この曲に目をつけた Jerry Wexler はすぐに契約で得た権利を行使。Atlantic から全米でリリースを行ないビルボードで第5位というビッグヒットとなったのである。Satellite はまもなく Stax と改名され、Atlantic はこのレーベルと8年間の契約を結ぶ。Stax のレコーディング機材・スタジオ改善を行い、才知に長けた Atlantic のスタジオエンジニア Tom Dowd を担当に就任させ、Stax 作品のリリースを始めた。Jerry Wexler は、作曲から手配までをこなす Stax のハウスバンド(Booker T Jones・Steve Cropper・Al Jackson・Duck Dunn・Wayne Jackson・Andrew Love)の雰囲気に感銘を受け、やがて彼は Atlantic のアーティストたちをメンフィスでレコーディングさせるようになっていく。60年代初頭に、Atlantic から Ray Charles が ABC-Paramount へ、Bobby Darin が Capitol にそれぞれ移籍してしまう。この二人は Atlantic の収益の3分の1を捻出していたために痛手であった。61年秋に、Solomon Burke が予告もなく Jerry Wexler のオフィスに現れる。Jerry Wexler は Solomon Burke のファンでもあり契約を望んだが、彼はすでに Apollo と契約を結んでいた。Atlantic は Solomon Burke の契約が終了するのを待ち、61年9月に Just out of reach をリリースし大ヒットとなる。彼はヒットメーカーとなり68年の Atlantic では最多のヒットを持つこととなる。64年、Ahmet Ertegun・Jerry Wexler・Nesuhi Ertegun は、Progressive Music(Atlantic の出版社)を Hill and Range に売却し会社の増強を行った。Progressive Music の売却と同時に Cotillion という新しい出版社を設立した。のちに Cotillion はサザンロックやゴスペルをリリースする子会社レーベルの名前として使われている。一方 Stax では、Booker T. and The MG's・Carla Thomas・The Mar-Keys・Eddie Floyd・William Bell・Otis Redding らを送りだしセールスを伸しはじめていた。Jerry Wexler は Atlantic と契約した Sam and Dave も Stax に連れてゆき、通常契約の枠を超え Stax からリリースした。64年には Wilson Pickett とも契約した。彼は Bang(Bert Berns 設立)に在籍していたが、ヒットをだせないでいたが、彼もまた Jerry Wexler によって Stax スタジオでレコーディングした。Wilson Pickett と Steve Cropper(Stax のギタリスト・プロデューサー)の二人を、1瓶のジャックダニエルとともにホテルに詰め込み歌を書くように言った、と Jerry Wexler はのちに語っている。Stax スタジオでレコーディングされた In the midnight hour は大ヒットし、Wilson Pickett は72年まで Atlantic に在籍した。65年に Jerry Wexler は、Jim Stewart(Stax 社長)に対し「Atlantic はまもなく売却されるかもしれない。Stax を守るためにも Atlantic が配給するという契約を正式な書面にしておくべきだ」ということを知らせた。Atlantic の弁護士は、Jim Stewart の主張であった「Atlantic が売却された場合は Jerry Wexler も退社すること。退社後に再度契約の交渉を行うこと」を盛り込んで新しい契約書を作成した。Jim Stewart は Jerry Wexler を信頼し契約に署名した。しかし Atlantic は売却どころかますます成功をかさね、Jim Stewart はこのおこぼれにもあずかれないことに嫌気がさし、Jerry Wexler との関係は冷えていく。Jerry Wexler は、次にマッスルショールズ(アラバマ州)に向かい、Rick Hall の Fame スタジオでのレコーディングを開始する。Fame スタジオに向かった最初のアーティストの一人が Aretha Franklin であった。彼女の才能がわからないままにポップス・ジャズを歌わせ、あまりヒットもなかった Columbia との契約が67年に終了し、Atlantic はすぐさま彼女と契約した。I never loved a man (the way I love you) でデビューし、Respect・A natural woman・Chain of fools など次々とヒットを送りだし Queen of Soul と呼ばれるようになる。こうして Jerry Wexler がR&Bで歴史的なレコーディングを行ってたが、一方の Ahmet Ertegun は Atlantic で白人によるロックを製作している。65年に Caesar and Cleo という無名の夫婦と契約し、Sonny and Cher という名前で I got you babe をリリースし、年間第1位のビッグヒットとなった。また英国勢の重要性も見抜き、The Cream・King Crimson・The Yes・The Bee Gees らと契約した。後には The Led Zeppelin でアルバムマーケットで最大の成功を持つこととなる。さらに The Rolling Stones と配給契約を結び彼ら自身のレーベルもリリースした。66年、Nesuhi Ertegun・Jerry Wexler は The Young Rascals(のちに The Rascals と改名する)の公演を見るためにロングアイランドまで訪れている。このバンドには数多くのレーベルが争奪戦を繰り広げ、Ahmet Ertegun が契約を結ぶことに成功する。The Young Rascals は Groovin をはじめ Atlantic から多くのヒットを出した。同66年には Buffalo Springfield の For what it's worth が Atco からリリースされヒットし、数枚のアルバムを残した。Stephen Stills・Dewey Martin・Richie Furay・Neil Young・Bruce Palmer で構成されたグループは68年に解散したが、Atlantic は Stephen Stills をソロアーティストとして契約した。67年に、Atlantic のオーナー達(Ahmet・Jerry・・Nesuhi)は Warner Seven Arts Corporation から Atlantic の売却をもちかけられた。Warner Seven Arts は、新しい会社での Atlantic 運営と高給、それに Warner 株(1700万ドル相当)を申し出、3人はこれらに同意する。Atlantic・Atco は、Warner Brothers・Reprise レコードとともに Warner-Seven Arts Corporation の傘の別会社として運営されるはずであった。しかし68年に Stax と Atlantic 間で分裂が起こる。Atlantic の販売のために、1965年に交わされた契約には「Atlantic が売却された場合の Stax レコードの生産・配給は再交渉すること」が明記されたいた。Atlantic が Stax の旧カタログを再発しても、利益は Atlantic にしか流れないことを身に染みて感じていた Stax のオーナーの Jim Stewart は契約の改善を望んだ。Atlantic の弁護士から、65年に交わした契約には「この合意は、配給に関する合意以降から、Atlantic のリリースする Stax マスターの全所有権は Atlantic に与える」という条項を含んでいたことを知らさ、たった1ドルですでに全ての Stax カタログを譲渡していたことに愕然となった。彼にはほとんど交渉する余地もなく、やがて Stax を Gulf+Western に売却した。彼は自叙伝で「Jerry Wexler も Atlantic の弁護士(Paul Marshall)がこの条項を記載していたことに、配給契約の時点ではまったく知らなかった。Jim Stewart がスタジオで作り出したレコードの所有権は彼が持つべきだと話した」と語っている。Jerry Wexler は Jim Stewart の代理人として Warner-Seven Arts と口論を交わしたという。しかし一介の従業員となった身分では、この説得も効果はなかった。69年に David Geffen(Stephen Stills のマネージャー)は Jerry Wexler と会談し、Stephen Stills の新しいアルバムをリリースするように依頼したが、この話は見送られた。これに激怒した David Geffen は、Stephen Stills が新しく結成したグループを Columbia レコードへ売り込むと話した。Jerry Wexler と口論となった翌日、Ahmet Ertegun は Columbia に行く代わりに Atlantic との契約を打診し合意に至った。Atlantic は Crosby Stills and Nash を獲得したのである。やがて David Geffen は Ahmet Ertegun のもとで働きはじめ、Warner・Elektra・Atlantic 統合後に傘下レーベルとして Asylum を設立し、さらに Geffen で成功する。Seven Arts 傘下の Atlantic・Warner-Reprise は69年に Kinney Corporation に売却された。Kinney Corporation は、駐車場・オフィス清掃・レンタカー・雑誌配送・葬儀場などエンターティメントビジネス全般を扱う複合企業であった。Kinney 傘下で、Ahmet Ertegun は Warner Brothers・Atlantic の総合プロデューサーとして就任した。70年に Kinney は Elektra を買収し、WEA(Warner・Elektra・Atlantic)を設立、Columbia・RCA といった大手レーベルと十分に対抗で新会社となり、全米の主な地域での配給を一手に集中させた。Kinney(のちに Warner Communications となる)は、多くの失敗に終わったレコード会社(例えば Gulf+Western・Stax・Dot・Transamerica・Liberty・United Artists など)とは異なり、Ahmet Ertegun(Atlantic)・Jac Holtzman(Elektra)・Mo Ostin や Joe Smith(Warner Brothers)といった経験豊かな者に運営を任せたというのが理由の1つかも知れない。WEA の3つのレコード部門は互いと競争し、次々とセールス記録を塗り替えた。Atlantic は現在 Time-Warner の一部となり、40〜50年代に独立した少数のレコード会社の1つとして事業を続けている。Warner は、Columbia(Sony が所有)RCA(BMG が所有)よりも世界中の音楽マーケットで最も大きいシェアを持っている。96年に Atlantic は縮小されたが、Ahmet Ertegun は現在も在籍している。Ahmet Ertegun は「Rock and Roll Hall of Fame」の設立に尽力した。彼の伝記「Music Man:Ahmet Ertegun, Atlantic Records, and the Triumph of Rock 'n' Roll」が90年に Dorothy Wade・Justine Picardie によって書かれた。Jerry Wexler はすでに退職しフロリダに住んでいる。彼は93年に自叙伝「Rhythm and the Blues」を出版した。Nesuhi Ertegun は Warner Record Records International Division の社長だったが、87年に引退し89年に71歳で死去した。 |