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OKeh
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Carl Linstrom
1910年・ドイツで創設 |
| 10年に Carl Linstrom(ドイツ人)がドイツで設立した。彼はいくつかの国でレコードレーベルを所有した。18年に Linstrom(Otto Heineman 設立・米国)に買収され、第一次世界大戦中に General Phonograph Corporation(ニューヨーク)の傘下になった。それまでの OKeh はあらゆるタイプの音楽をレコーディングしたが、20年に Mamie Smith の Crazy Blues のリリースから黒人音楽を中心に扱うようになる。以降10年間に Louis Armstrong の Hot Five や Hot Seven Combos などブルースやジャズによってその名をひろめた。26年に General Phonograph Corporation が Columbia Phonograph Company に買収され、さらに8年後に Columbia Phonograph Company は American Record Corporation(ARC)に買収された。ARC は Columbia・Vocalion を継続させたが、OKeh の運営は中止した。38年、Columbia Broadcasting System(CBS)が ARC を購入し、その2年後に Vocalion レーベルを OKeh に変えることにより、CBS は OKeh の名前を復活させた。OKeh は大手レコード会社 Columbia の1部門の独立レーベルとしてR&Bのリリースをするために用いられた。Columbia はこれまでの主な配給ネットワークではR&Bが効率的販売できないことを知り、レコード店・クラブ・R&BをオンエアするDJやラジオ局をターゲットに OKeh の配給権を預けたりもした。50年代初頭にデトロイトのシンガー Johnnie Ray(のちに親レーベルの Colombia に移籍する)の Cry がポップチャート第1位というヒットを放つ。このヒットで活気を得た Okeh は Chuck Willis・Joe Williams・Red Sanders・The Ravens らを次々とリリースする。56年に Screamin' Jay Hawkins の I put a spell on you をリリースするが、チャートに登場することはなかった。57年には Peanuts(Little Joe & The Thrillers)・Shirley(The Schoolboys)・Dumplin's(Doc Bagby)などのマイナーヒットをリリースした。しかし60年代のはじめにはほとんどの活動を行わなくなった。61年に、アトランタのブルースピアニスト Willie 'Piano Red' Perryman が OKeh と契約し、再び活況を呈した。Willie Perryman のグループは、バンド名の決まらぬまま61年5月31日(午後2時30分)にナッシュビルの Columbia スタジオに集合し、(午後6時30分までに)50年代の彼のヒット作 The wrong yo-yo(RCA Victor 50-0106)のリメイクや、のちに The Beatles で有名になる Mister moonlight、Doctor Feel-Good など8つの歌をレコーディングした。このセッションには、Willie Perryman(ピアノ)・Roy Lee Johnson, Jr.(ギター)・Howard Hobbs(ベース)・Bobby Lee Tuggle(ドラム)・Curtis Smith(ギター)・Beverly Watkins(ギター)らがセッションマンとして参加した。62年1月5日に Dr. Feelgood and The Interns としてリリースされ、Doctor Feel-Good・The wrong yo-yo はチャートにランクインした。62年6月に Dave Kapralik(Columbia のA&R担当のトップ)は、シカゴのベテランプロデューサー Carl Davis を雇い、63年4月に Okeh のA&Rディレクターに就任させた。就任後 Carl Davis はすぐに Curtis Mayfield をアシスタントプロデューサとして雇い入れている。Curtis Mayfield はシカゴで The Impressions に在籍し、シンガー・作曲家としてすでに有名であった。Carl Davis・Curtis Mayfield のコンビは Okeh を活気づけ、1年もたたにうちに有名なソウルレーベルになり、二人の作ったサウンドは「シカゴソウル」とよばれるようになった。OKeh のヒット作の多くは Curtis Mayfield によって書かれ、Carl Davis がプロデュースした。彼らのサウンドはブラスセクションの演奏を中心に、メロディアスなボーカルが特徴となり、のちの The Buckinghams・Mob・Mauds・The Chicago Transit Authority(のちの Chicago)といったシカゴのロックグループを生み出していく。シカゴソウルはハードなR&Rのビートではなかったが、Motown・Stax といったソウルサウンドより、いっそうリラックスしたムードを反映した。Carl Davis は、Major Lance・Ted Taylor・Walter Jackson・Billy Butler・The Enchanters・The Artistics などを製作し、多くをヒットチャートに送り込んだ。また OKeh 在籍中にも、Gene Chandler(Vee Jay・Constellation)・Mary Wells(Atco)・Dave Kapralik(Columbia)といった他レーベルのアーティストのプロデュースも行った。しかし65年に Columbia の企業再編により、Columbia と Epic(Len Levy が社長)が切り離され、OKeh は Epic の傘下におかれることとなった。しかし Len Levy と Carl Davis は馬が合わず、Atco やVee Jay で仕事をすることを問題にされた Carl Davis は会社を去り、Brunswick に入社した。Carl Davis 不在の Okeh に興味を失った Johnny Pate(アレンジャー)・Curtis Mayfield も同じ頃に会社を去っている。66年、OKeh は Carl Davis の残した作品をリリースし、いい成績をあげていたが徐々に下降線を辿っていく。ウエストコーストから Larry Williams を、イーストコーストからは Ted Cooper(Walter Jackson をプロデュースした)を入社させ、Johnny 'Guitar' Watson や、同じ Specialty レーベルに在籍していた Little Richard とも契約した。Larry Williams・Johnny 'Guitar' Watson・Little Richard らのかつてのヒットナンバーのリメイクをリリースしたが、ヒットしなかった。69年に、Okeh の再起をはかって Richard Parker がA&Rのトップとして雇われたが結局はどうにもならなかった。70年の終わりにとうとう Columbia は Okeh の運営を完全に中止した。93年に、Bob Irwin・Vic Anesini(CBS/Legacy)の編纂による The OKeh Rhythm and Blues Story 1949-1957(Epic/OKeh/Legacy E3K 48912)という3枚組のCDボックスがリリースされた。 |