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George Goldner
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| 50年代・60年代の音楽ビジネスを語る時にまず浮かぶのが George Goldner である。彼は、51年の Tico レーベル設立(51年)から Firebird レーベル(70年)までの数年間に多くのレーベルを持っていた。George Goldner は1918年にニューヨークで生まれた。50代初期に、ニューヨークやニュージャージーといった大都市にラテン音楽専門のダンスホールを開業し繁盛させていた。この頃にラテン系アメリカ人の女性と結婚している。彼はこの手の音楽が大衆に受けると知り、レコードビジネスを始めることを決意、48年にラテン音楽のスタンダード Tico Tico にちなんで Tico レーベルを設立する。Tico は、Tito Puente・Joe Loco・Machito・Tito Rodriguez らと契約し、ラテン音楽の分野で最も顕著なレーベルとなった。50代の初期には全米でマンボ・チャチャが熱狂的なブームとなり、いっそう多くの聴衆を彼のダンスホールに呼び寄せていたが、彼は新しいサウンドを耳にすることとなる。それはゴスペルの影響を受けた都市のブルース(アーバンブルース)であった。George Goldner はこの新しい音楽をレコーディングするためのアーティスト発掘に乗り出す。Tico はすでにラテン音楽と同一視されていたために、53年に新たに Rama レーベルを設立する。このレーベルは(当時呼ばれていた)レイスミュージックをレコーディングする予定だった。Rama からリリースされたのは、後にR&B(特に Doo Wop として)で名を残す The Crows の Gee であった。このシングルは最初のロックンロールレコードとも呼ばれるようになる。Gee の大ヒットで Rama もかなりの成功を収めた、ラジオではさかんにオンエアされた。George Goldner は、彼にとって最も成功した歌の名前にちなんだ Gee レコードを新設した。次いで Frankie Lymon and The Teenagers と契約し、Why do fools fall in love を皮切りに次々とヒットを出すポップレーベルとして成長していく。55年の後半、これら3つのレーベル(Tico・Rama・Gee)の所有権の50%を Joe Kolsky(Morris Levy とともにナイトクラブのオーナー)に売却する。57年1月に、Joe Kolsky・George Goldner・Morris Levy の3人は Roulette レコードを設立したが3人の協力関係は長くは続かなかった。57年4月6日、ビルボード誌は「George Goldner は Roulette・Rama・Gee・Tico の全権利を、Morris Levy らに売却した」と報じた。57年の初頭に George Goldner は新たに End と Gone レーベルを設立する。Gee で成功したグループの一つに Richard Barrett の The Valentines がいたが、George Goldner は Richard Barrett の音楽に対す感性を見抜き社員として抜擢する。彼は Gee・End でアレンジャー・プロデューサーとして活躍することとなる。またスカウトとしての才能も発揮し、彼が会社にもたらした最初のグループの一つが、Arlene Smith の在籍した The Chantels であった。The Chantels の He's gone は Richard Barrett のプロデュースで End 最初のシングルとしてリリースされ大成功を収めた。The Chantels はロックンロールのなかでも少女グループ時代の先駆けとなった。一方の Gone からは The Dubs の Don't ask me why がヒット、さらに Little Anthony and The Imperials の Tears on my pillow も全米で大ヒットとなった。56年、ノベルティレコードをリリースするために Bill Buchanan・Dickie Goodman とともに新しい会社を設立した。このレーベルは Universe と名付けられ、すでに新しいシングルのプレス作業も進行していた。しかし途中、同名の会社のあることを知った彼らは Luniverse と改名した。再プレスの時間もなく、ラベルに「L」を加えるのが最も早い方法だったからである。Luniverse 最初のシングル The flying saucer(空飛ぶ円盤)は100万枚以上を売りつくす大ヒットとなった。60年代の初期に再び George Goldner は End・Gone を Roulette に売却したが、彼はレコードビジネスを続けている。65年に Mike Lieber・Jerry Stoller とともに Red Bird レコードを設立する。Red Bird では The Dixie Cups の Chapel of love が全米チャート第1位というヒットを送りだした。このレーベルには The Shangri-Las・The Ad-Libs などが在籍していたが、経営者の協力関係はここでも破綻し、Red Bird は1〜2年で幕を閉じている。70年代初頭、Firebird レコードを設立したが、70年4月15日に George Goldner は52歳で突如死去してしまう。レコーディングはオーバーダビングやマルチトラックを使用して行われた。80年代に Roulette のに保管されていたステレオ・マルチトラックのマスターを Bob Hyde(元 Murray Hill レコード)が発掘、Little Walter DeVenne(プロデューサー)とともに、Roulette やその他の George Goldner のカタログのステレオリミックスによる再発に関わった。こののち Roulette は90年代に Rhino レコードに売却された。初期のラベルは赤色ラベルに黒文字で印刷されており、GEE のロゴは上部に黒バックの赤文字で印刷されている。後のレーベルは灰色ラベルに黒文字で、左隅に「followed by GEE RECORDS A Division of Roulette Records」と記載されている。GLP- で始まる品番はモノラルのみでリリース、SGLP- で始まる品番はステレオでリリースされた。Rama は濃青色ラベルに銀文字で印刷されている。初期の4枚のシングルではラベル上部に RAMA と描かれている。Luniverse は黄色ラベルに黒文字で印刷されている。 |