| -The Inkspots ジ・インクスポッツ | |
| メンバー | Ivory 'Deek' Watson(lead・09〜69.11.24)Jerry Daniels(tenor・16〜95.11.07) Charlie Fuqua(tenor・10〜71.12.21) Orville 'Hoppy' Jones(bass・〜44.11) |
| 結成年・出身 | 1931年・インディアナ州・インディアナポリス |
| 代表曲 | Your Feet's Too Big |
| シングル | ■Swingin' on the Strings・Your feey's too big(RCA-24851)35 ■Don't low no swingin' in here・Swing gate, swing(RCA-24876)35 ■Swingin' on the Strings・Your feey's too big(Bluebird-6530)36 ■'Taint nobody's biz-ness if I do・Your feey's too big(Decca-817)36 ■まだまだいっぱいなんで入力あとまわしね |
| アルバム | ― |
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40〜50年代に活躍しR&B史に大きな影響を与えたグループである。結成当初は The King's Jesters という名前で、メンバーの Cotton Pickers は Duke Ellington and McKinney に、Ivory Watson は Four Riff Brothers(29年に結成)・The Percolating Puppies に在籍していた。また、Charlie Fuqua は The Moonglows の Harvey Fuqua の叔父にあたる。Charlie Fuqua と Jerry Daniels はボードビルスタイルのバンド Charlie and Jerry で活動しており、ギター・ウクレレ・バンジョーなどをプレーしていた。31年に Deek Watson が、この二人と The Swingin' Gate Brothers というトリオを形成し、WHKラジオ(クリーブランド)等に出演。その後活動の拠点をシンシナティに移し、CBC (Crosley Broadcasting Company) のコマーシャル活動をする頃、Red Barber(スポーツキャスター)に認められている。The King's Jesters は30年代初期にニューヨークへ移り The Ink Spots と改名する(The King's Jesters は著作権上の問題から、マネージャー の Moe Gale が命名した)。彼らの活動はニューヨークの WJZ ラジオで15分のショーでスタート。35年1月4日に、RCA スタジオで Swingin' on the strings・Your feet's too big をレコーディング、リリースする。アメリカ国内ではヒットしなかったが65年冬にBBC(ロンドン)のラジオから流されはじめビッグヒットを記録、グループはその人気を広げた。その頃に Jerry Daniels がグループを去り、インディアナポリスで The Deep Swingin' Brothers・The Three Shades というグループを結成している。The Ink Spots は Decca と契約し、36年5月12日に T'aint nobody's bizness If I do と Your feet's too big(再録)を発表、パッケージショーをスタートする。以降3年にわたってグループは、Ivory Watson のリードボーカルを中心に Call the whole thing off、Stompin at the savoy をリリース、38年の終わりまでに10枚のシングルをリリースする。この頃、Billy Kenny(The Alphabetical Four に在籍、ゴスペルやブルースを歌うグループ・15〜78.03.25)は Johnny Smith と出会う。Johnny Smith は臨時のメンバーとして参加していた。やがてヒットに恵まれなくなり解散の話も出始めた39年1月12日に、Jack Lawrence というソングライターの書いた Knock-kneed sal・If I didn't care をレコーディング、2月に Decca から発表され大ヒット。4月までには100万枚のセールを記録しグループの危機を乗り越える。ちなみに38年に書かれた If I didn't care で歌われている Linda とは、彼の弁護士の娘の名前で、Paul McCartney の妻となる女性で、Paul McCartney は彼の版権を所有している。If I didn't care のヒットに続き、Address unknown(39年・第1位)・My prayer(39年・第3位・のちに The Platters で再ヒット)・When the swallows come back to Capistrano(40年・第4位)・Maybe(40年・第2位)・We three(40年・第1位)・Do I worry(41年・第8位)・I don't want to set the world on fire(41年・第4位)・Don't get around much anymore(43年・第2位)とヒットを重ねてゆく。41年には映画 Pardon my sarong にも出演、44年のファン投票でナンバー2に選ばれている。43年中頃、Charlie Fuqua が軍隊に召集され、Bernie Mackey が加入する。42年8月〜43年9月にあったミュージシャン組合のストライキによりレコーディングが停止、しかし彼等はレコーディング済みの5枚のシングルから、Every night about this time(42年・第17位)・Don't get around much anymore(43年・第2位)・If I cared a little bit less(43年・第20位)・I'll never make the same mistake again(43年・第19位)をチャートにのせる。アレンジヤーは Bill Doggett(Louis Armstrong・Ella Fitzgerald・Louis Jordan らのアレンジを務めた人物・16.02.16〜96.11.13)。この頃からメンバーが頻繁に交代する。44年の末、Bill Kenny と Deek Watson が不仲となり、Deek Watson は彼自身の Ink Spots を結成する(その後裁判で敗訴し、Deek Watson and The Browndots と命名)し、Bill Bowen(The Cotton Pickers に在籍)が加入する。また、Hoppy Jones が44年10月18日に39歳の若さで死亡、変わって Cliff Givens(Golden Gate Quartet に在籍)が加入。 Huey Long が Bernie Mackey に変わり加入。Herb Kenny(aka Herbert Cornelius Kenny・14〜92.07.11)と Billy Kenny の兄弟もグループを去っている。45年後半には Charlie Fuqua も去った。Decca はさらに The Ink Spots でのヒットを期待し、45〜48年を通し17枚のシングルを発表する。しかし59年にはグループは崩壊寸前であった。各メンバーはそれぞれの Ink Spots を作りはじめ、また裁判沙汰などのトラブルが続く。Billy Bowen は The Butterball Four(MGM)を結成、Charlie Fuqua は彼自身の Ink Spots(Harold Jackson・Jimmy Holmes・Leon Antoine)を結成し、53年〜55年に9枚のシングルを King からリリース。もう1つの Ink Spots(Adriel McDonald・Jimmy Kennedy・Ernie Brown)も存在した。最終的なグループの崩壊は、彼らに Ed Sullivan ショウへの出演依頼があった53年のこと。当時 Bill Kenny はすでにソロ活動をはじめていたが、The Ink Spots として出演することを承諾する。しかし彼はグループに対し、ソロで出演すること、彼らにギャラの支払いがない事を告げる。また Ed Sullivan は彼がプログラムの一番下に Bill Kenny をリストしたことに激怒…と、様々なトラブルの末ついに解散。その後、The Ink Spots を名乗るグループが雑草のように現れる。90年代の初めには、40以上のグループが The Ink Spots であると主張した。40年代に Johnny Smith は Bill Kenny の未亡人からグループの権利を2万ドルで買い取っている。最後はあっけないグループの解散ではあるが、彼等から音楽的な影響を受けたグループ、たとえば、The Platters・Bobby Day and the Satellites・The Sharps・The Hearts・The Isley Brothers・The Belmonts・Billy Ward & The Dominoes・The Orioles・James Brown and His Famous Flames 等々、数多い。92年に UGHA Hall of Fame に選出された時、The Ink Spots を代表して、Herb Kenny が受賞したが数カ月後に死去している。 |
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