| -The Flamingos ザ・フラミンゴス | |
| メンバー | Sollie McElroy(lead・tenor・33.07.16〜95.01.15)Johnny Carter(lead・tenor) Zeke Carey(tenor・33.01.24〜99.12.24) Paul Willson(baritone・35.01.06〜88.05.?) Jake Carey(bass・26.09.09〜97.12.10) |
| 結成年・出身 | 1952年・メリーランド州・バルチモア |
| 代表曲 | I only have eyes for you |
| シングル | ■If I can't have you・Someday someway(Chance-1133)53.3 ■That's my desire・Hurry home baby(Chance-1140)53.6 ■Golden teardrops・Carried away(Chance-1145)53.10 ■Plan for love・You ain't ready(Chance-1149)53.10 ■Cross over the bridge・Listen to my Plea(Chance-1154)54.3 ■Blues in a letter・Jump children(Chance-1162)54.11 ■Dream of a lifetime・On my merry way(Parrot-808)54.11 ■I really don't want know・Get with it(Parrot-811)54.4 ■I'm yours・Ko ko mo(Parrot-812)55 ■When・That's my baby(Checker-815)55.3 ■Please come back home・I want to love you(Checker-821)55.7 ■I'll be home・Need your love(Checker-830)55.12 ■A kiss from your lips・Get with it(Checker-837)56.5 ■The vow・Shilly dilly(Checker-846)56 ■Would be crying・Just for a kick(Checker-853)56 ■Dream of a lifetime・Wispering stars(Checker-915)59 ■The ladder of love・Let's make up(Decca-30335)57.6 ■My faith in you・Helpless(Decca-30454)57.11 ■Where Mary go・Rock and roll music(Decca-30687)58.7 ■Lovers never say goodbye・That love is you(End-1035)58.11 ■Kiss a me・Ever since I met you(Decca-30880)59.5 ■Jerry Lee・Hey now(Decca-30948)59.5 ■But not for me・I shared a tear at your wedding(End-1040)59.3 ■Love walked in・At the prom(End-1044)59.4 ■I only have eyes for you・Goodnight sweetheart(End-1046)59.4 ■I only have eyes for you・At the prom(End-1046)59.4 ■Love walked in・yours(End-1055)59.9 ■I was such a fool・Heavenly angel(End-1062)59.11 ■Mio amour・You, me and the sea(End-1065)60.3 ■Nobody loves me like you・You, me and the sea(End-1068)60.3 ■Besame mucho・You, me and the sea(End-1070)60.4 ■Mio amour・At night(End-1073)60.6 ■When I fall in love・Beside you(End-1079)60.7 ■Yore other love・Lovers gotta cry(End-1081)60.12 ■That's why I love you・Ko ko mo(End-1085)61.2 ■Time was・Dream girl(End-1092)61.3 ■It must be love・I'm no fool anymore(End-1111)62.4 ■For all we know・Near you(End-1116)62.9 ■Flame of love・I know better(End-1121)63.4 ■True love・Come on to my party(End-1124)63.5 ■Ol man river part 1・Ol man river part 2(Roulette-4524)63.10 ■Lover come back to me・Your little guy(Checker-1084)64.6 ■Temptation・Call her on the phone(Smash-40308)65 ■The boogaloo party・The names of you(Smash-40347)66 ■Brooklyn boogaloo・Since my baby put me down(Smash-40378)66 ■She shook my world・Litty bitty baby(Smash-40413)67 ■Koo koo・If keeps the doctor away(Smash-40452)67 ■Oh Mary don't you worry・Do it, do it(Smash-40496)68 ■Dealin'・Dealin' all the way(Julmar-506)69 ■Buffalo Soldier Part 1・Buffalo Soldier Part 2(Polydoll-P 14019)70 ■Lover come back to me・Straghten it up(Polydoll-P 14044)70 ■Think about me(Worlds-103)74 |
| アルバム | ■Flamingos(Checker-1433)59.5 ■Meet the Moonglows(VeeJay-1052) ■Flamingos(Constellation-CS3)64 ■Flamingo Sernade(End-304)59.4 ■Battle of the Groups(End-305)59 ■Flamingo Favorites(End-307)60.10 ■Requestfully Yours(End -308)60.10 ■Battle of the Groups Vol.2(End-309)60.11 ■12+3=15 Hits(End-310)61 ■The Sound of The Flamingos(End-316)63.4 ■The Spiritual and folk song moods of the Flamingos(End-317) ■Their Hits Now and Then(Phillips-PHS 600-206) ■Color them beautiful(Ronze-RLP 1001) ■Today(Ronze-RLP 1002) |
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Doo-Wop 史上最高のグループの一つである。傑出したベースシンガーを持たない彼等だったが、圧倒的なコーラスワークとリードを包むようなスタイルは、どのグループにも決して真似できるものではなかった。従兄弟同士の Jake Carey と Zeke Carey は、Sonny Til(The Orioles のリードシンガー)と友人であり隣人だった。50年に彼らは地元のユダヤ教会で Paul Wilson と Johnny Carter と出会う。4人は意気投合しグループを結成、レークパークの35番街や36番街で歌いはじめる。The Highway QCs や Sam Cooke らもここでうたっていたという。彼らが早くからユダヤ教の賛美歌を歌ったことが後年のグループのユニークさの一つの要因となった。当時は、Whispering stars のようなマイナーなバラードが流行しておりそうした表現もグループはどんどん取り入れていった。メンバーの姉とデートしていた Earl Lewis(The Channels のリードではない)が間もなくリードボーカルとして加入した。彼らはバルチモアにある King と契約するまでのおよそ半年間、The Swallows という名前で活動している。やがて Johnny Carter が El Flamingos を提案し、最終的に Five Flamingos と改名、52年の秋頃からパーティーやクラブで活動を始める。Fletcher Weatherspoon Jr. という人物が彼らのステージを聞き、友人のクラブ Martin's Corner へ連れて行った。グループは毎週木曜日に Martin's Corner で開催されるタレントコンテストで優勝し、さっそく次の夜からの出演契約を結ぶ。Fletcher Weatherspoon Jr. はグループにステージ経験させるために様々なパーティーに出演させた。Martin's Corner での演奏を見た King Booking Agency の社員がステージに感激し、上司でのちにマネジャーとなる Ralph Leon に彼らを推薦した。Fletcher Weatherspoon Jr. は独自に Uncle Sam にグループを打診していたが、やがて彼はウィラード劇場で行われたタレントショーで見いだした Sollie McElroy という19歳の新人をグループに紹介、新しいリードボーカルとして加入した。Earl Lewis は態度や行動に問題がありしばしばリハーサルに参加しいなどの理由からグループから解約された。彼は53年に The Five Echoes(Satire)に加入している。グループは(17歳の Paul から26歳の Jake という年齢の差があった)、The Five Keys・The Orioles・The Dominoes・The Clovers・The Ravens・Four Tunes らに影響を受けていたが、そういった先人達とは質的に異ったものにしようと、自身のスタイルを発展させることに懸命だった。52年に新しいマネージャーとなった Ralph Leon はレコード会社のオーディションを受けさせようと、シカゴで最も成功したR&Bレーベル、United との交渉にはいった。しかし United はもっと白人受けするようなグループを欲しており興味を示さなかった。ちなみに、Ralph Leon がさらに次の手を打とうと準備していた52年にビルボード誌が The Flamingos と Savoy がすでに契約していることを掲載しているが、このグループではない(The Flamingos 名義のレコードは Savoy には存在しない)。53年2月に Ralph Leon はグループを Chance(Art Sheridan 設立)との契約に成功(当時このレーベルには The Moonglows・The Spaniels が在籍している)させ、3月の第2週に If I can't have you をリリースした。シングルのラベルには The Flamingos と書かれていたが、グループはおよそ2年間 The Five Flamingos として活動を続けた。7月に彼らの2枚目のシングル That's my desire(Sammy Kaye の47年のヒットのリメイク)がリリースされ、ローカルヒットとなった。 10月の第3週に名作 Golden teardrops をリリース。Johnny Carter が作曲し、Sollie McElroy がリードで歌ったこの曲は、グループの黄金時代の先駆けとなった。後年多くのコレクターに最も完ぺきなシングルと呼ばれるようになる。この曲が地元のラジオから流され徐々に売り上げを伸ばし、やがて彼らの名を広ていく。ちなみに、61年の夏に再発されポップチャート第108位にランクインしている。当時のほとんどのグループがそうであったように、シングルのヒットにもかかわらずグループは Chance から著作料を受け取る事はなかった。グループは公演を続ける事で収入を得なければならなかった。このことががきっかけとなり、ABC(Associated Booking Company)との関係を深めていく。彼らは Lionel Hampton や Duke Ellington といったビッグジャズ・バンドと、53年のニューヨークのアポロ劇場・54年2月19日クリスマスのシカゴのリーガルといった場所で公演を開始する。しかし、グループは自分達の音楽に足りないものがある事を知っていた。彼らは観客が視覚的にもエキサイトできるようなステップを考えた。それはのちに The Four Tops・The Temptations といったR&Bアーティストによって模倣されることにる。ステップという新しい武器でさらにファンを獲得していった。53年10月に Plan for love(Patti Page・54年のヒット)、54年3月には Cross over the bridge をリリースしたが、ともにヒットにはいたらなかった。54年11月、グループの Chance での最後のリリース Blues in a letter は彼等にとっては珍しいブルースで、B面の Volt voit(のちに Jump children としてリメイクし、映画 Go Johnny go で登場する)は優れたジャンプナンバーだった。Alan Freed はこのシングルを大変気に入り、5年後の59年に彼が製作した映画 Go Johnny Go ! にグループは出演している。ちなみに The Flamingos が Chance に残した September song は64年に Constellation がリリースしたアルバムに収録されるまでは未発表となっていた。Chance から去ったグループはシカゴの Parrot(Al Bensons 設立・DJ)へ移籍する。Parrot からは3枚のシングルをリリースしたが、55年1月に最初シングル Dream of a lifetime は聖歌を彷佛とさせるバラードで、当時の彼等のさまざまな音楽スタイルへの挑戦は、伝統的なR&Bの枠を超える事さえ恐れなかった。ポップ・ブルース・ラテンから I really don't want to know(Eddie Arnold のヒット曲)といったカントリーナンバーでさえも歌っている。この頃新しいリードボーカリストとして Nate Nelson(元 The Velvetones・Aladdin に在籍していたグループではない・32.04.10〜84.06.01)が Sollie McElroy に代わって加入している。Sollie McElroy は、宗教上の理由もありしばしばグループから孤立しているように感じていたといわれている。彼はその後、The Morocco(United)に加入し、Sad, sad hours・Over the rainbow などをリリースし、61年には、Eugene Record・Robert Lester(のちに The Chi-Lites を結成する)のいる The Chaunteurs にも加入している。Nate Nelson は Parrot での最後のシングル Ko ko mo(Al Benson がカリフォルニア旅行中に聞いた Gene and Eunice のヒット曲)で Johnny Carter とデュエットしている。 またB面には、名作 I'm yours が収められている。この頃、全米とカナダのツアーを行ない、Ralph Leon は Checker と契約を成立させた。 55年4月の第4週に、When をリリースしたが、ほとんど売れなかった。この曲は Checker のスタジオでレコーディングされたが、スタジオのコンディション調整がされていなかったために、マスターテープが破損、オリジナルのテイクは、最初のわずかなプレスでのみ聞くことができる。そのため、グループはこの曲を再録している。 7月にリリースの I want to love you も成功とはいえなかった。翌56年の1月、I'll be home をリリース。 ちなみに作曲は Fats Washington(DJ)とStan Lewis(ニューオリンズの配給業者)のクレジットとなっているが、実際には Nate Nelson が、彼の海軍経験をもとにほとんどを書いたといわれている。I'll be home はグループが残したレコーディングのなかでも最も美しいバラードで、暖かみのある Nate Nelson のリードで大ヒットし、1月14日付けのビルボード誌のスポットライト欄で「少年たちのリラックスしたロマンチックなコーラスと、愛しいリードボーカルが交ざりあう、きれいなバラード」と評価された。3月にはナショナルR&Bチャート第5位となった。Phil Groia は著書 They All Sang on the Corner で「Nate Nelson は海軍としてバージニアに勤務していた頃、Sonny Til and The Orioles の曲を歌うことが好きな未知のボーカルグループとほとんど一緒に時を過ごした」と記述している。Nate Nelson が除隊する頃にはこのグループは The Five Keys と呼ばれていた。I'll be home のリリースの直前に、グループは、Pat Boone らと Tommy Small ショーに出演し、この歌を披露している。ショーの数週後に Pat Boone の低温殺菌されたバージョンがリリースされ、ポップチャート第4位を獲得し、グループのオンエアーを脅かした。もっとも数十年後には彼のバージョンは事実上忘れられ、The Flamingos のバージョンが生き残ったわけだが。56年5月に A kiss from your lips をリリースし、この衝撃的なバラードは6月にR&Bチャート第12位に達した。さらに続くラブソング The vow と Would I be crying だったが、チャートには失敗している。しかし、Alan Freed は Would I be crying を彼の映画 Rock, Rock, Rock に使用することにした。グループを愛していた Alan Freed は彼らに敬意を感じ、その時期にはヒットがなかったにもかかわらず、グループをフィルムに記録する事を強く望んでいた。彼は59年の映画 Go Johnny Go ! にもグループの The vow を収録している。56年、Irving Feld という人物が、最初の大きなロックンロールショーを企画する。Bill Haley and his Comets・The Platters・Frenkie Lymon and The Teenagers・Clyde McPhatter らの多数の第スターとともにグループはステージに立っている。Would I be crying のリリース後に Zeke Carey と Johnny Carter が徴兵のため脱退し、グループは解散した。57年、Jake Carey・Nate Nelson・Paul Wilson・Tommy Hunt(元 Five Echoes・Satire)の4人が The Flamingos を再結成する。同年7月、Decca から The ladder of love をリリースしたが、当時 Checker は、Nate Nelson との契約が継続中で The Flamingos の名前も Checker に属していたため、そのシングル(次の Decca からリリース予定だったものを含めて)は間もなく発売中止となった。また、ABC Paramount は、Steve Gibson and the Red Caps のシングル Silhouettes(Rays)に Nate Nelson がリードボーカルとして参加していると訴えた。58年8月、Zeke Carey が復帰し再加入した。同じ頃 Johnny Carter が The Dells に加入している。58年夏、George Goldner が The Flamingos と再び仕事を望んでいることを知った Zeke Carey は、George Goldner と Chess の間に立って調停をすすめた結果、Nate Nelson との契約を解除し、グループは End に入社することとなった。コレクターの間では、Chance・Checker 時代の作品に人気が集中し、End 時代の美しく歌われた(物足りない)歌は前者ほど人気がない。これはグループ自身が決断し、時代にあったスタイルへと変貌していったいわばアーティストとオーディエンスの差異でもある。Zeke Carey によると「George Goldner が我々のアルバムコンセプトを考え出した」という。この頃、Terry Johnson(テナー担当でギタリスト)が加入している。グループの End での最初のシングルは、58年11月の名作 Lovers never say goodbye(Paul Wilson・Terry Johnson 共作)で、R&Bチャート第25位最、59年春には念願のポップチャートに第52位でランクインし大成功をおさめた。Zeke Carey の歌う But not for me が次のシングルとなり、59年4月にグループの代表曲となる I only have eyes for you(Eddy Duchin の34年のヒット・Al Warren,Harry Dubin 作曲)をリリースする。誰にも真似のできない The Flamingos 独自のスタイルで歌われる壮観なバラードだった。この曲は6月1日にポップチャートで、6月15日にR&Bチャートでともに第1位という彼等最大のヒットとなった。国際的なヒットとなったこの曲は、8月の終わり頃でさえR&Bチャートで第3位にいた。オーストラリアではチャート第32位まで上昇した。なお58年にグループは、Bo Diddley のバラード You know I love you でバッキングをつとめている。これは MCA が90年にリリースしたボックスセットに収録されるまで未発表だった。59年5月、Decca が Kiss-a-me をリリース(同タイトルのアルバムもリリースしている)した同じ頃に、Checker は旧作 Whispering stars・Dream of a lifetime を再発した。59年から61年にかけて、グループは多くのレコードをリリースしチャートにも頻繁に顔を出した。End は多数のシングルとともに4年で4枚のアルバムをリリースした。Love walked in(59年7月・ポップチャート第88位)・I was such a fool(59年11月・ポップチャート第71位)・Mio Amore(60年16月・ポップチャート第74位)・Your other love(60年11月・ポップチャート第54位)・Time Was(61年6月・ポップチャート第45位)などである。61年に Tommy Hunt がソロとして独立しグループを去っていた。彼は61年の秋に Human(Scepter)をリリースしマイナーヒットとなっている。64年春にグループは再び Checker へ移籍した。ラテンのリズムにのって歌った Lover Come Back to Me(Oscar Hammerstein のリメイク)をリリース後の65年に Phillips に移籍し、Temptation(Bing Crosby の34年のヒット)の Doo-Wop バージョンともいえる作品をリリース。66年には Smash から I only have eyes for you 的なアレンジの The nearness of you(Hoagy Carmichael 作)を発表し、好評を得る。B面の The boogaloo party がポップチャート第93位・R&Bチャート第22位と、新生 The Flamingos 最初のR&Bチャーターとなった。またイギリスでチャートインした(66年6月・第26位)グループの唯一の曲である。一方、66年の後半、Let's be lovers を The Starglows としてリリースしていた Nate Nelson は Atco を去り、Musicor へ移籍し、The Platters のリードシンガーとして I'll be home をリメイクした。70年に The Flamingos として最後のチャートインシングル Buffalo soldier(ポップチャート第86位・R&Bチャート第28位)をリリースした後、Roulette・Worlds・Julmar・Ronze(彼等が設立したレーベル)で数枚のシングルを残し、The Flamingos はレコーディングを終えた。90年代の初め、Zeke Carey と Jake Carey は共に活動を続けていたが、新たに Archie Saterfield・Kenny Davis・Ron Reace らとグループとして活動をはじめている。Dick Clark は Rock & Roll:The First 25 Years on TV であらためて彼等を紹介している。 88年のグラミー賞の Best of the '50s にThe Flamingos は選出された。 |