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寺田屋(伏見区)
伏見京橋付近は三十石舟の舟着場として賑わっており、旅籠「寺田屋」は 薩摩藩の定宿であった。
「寺田屋騒動」
文久二年(1862)四月二十三日
薩摩藩の急進派有馬新七らに藩主久光の命で自重を求めて説論に 来た奈良原喜八郎との間で藩士同士が斬り合った。
「寺田屋事変」
慶応二年(1866)一月二十三日
坂本龍馬と三吉慎蔵が伏見奉行所の役人に襲われる。
風呂に入ったお龍が裏通りの捕吏に気づき、そのままの姿で湯殿をとびだし 二階の龍馬たちに知らせた。
寺田屋は現在も営業しており、お龍が駆け上がった階段や、 龍馬がよく泊まっていた「梅の間」も現存する。