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池田屋跡 |
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池田屋の変:元冶元年(1864)6月5日夜
この日は祇園祭の宵山。
京都守護職配下の浪士隊、新撰組が長州・土佐の尊皇攘夷志士が
集まっていた旅館池田屋に斬り込んだ。
新撰組は近藤勇、沖田総司、藤堂平助ほか数人、
志士は22〜23人。1時間半に及ぶ激闘の末、志士は壊滅、
多数の死者をだした。
幕府はこの戦功に対して感状を出したが、結局
「暴は暴を呼ぶ」ことになり蛤御門の変(禁門の変)へと
発展していく事になってしまった。
この時龍馬は京大阪の過激浪士たちを使って
蝦夷地の開発、通商行おうと江戸で勝海舟や大久保一翁などに
働きかけていた。
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